-天を相手に人生を全うした誠心の英雄-
西 郷 隆 盛
西郷隆盛は幕末維新の指導者で、明治天皇の信頼が厚く、日本最初の近衛都督陸軍大将になりました
1827年(文政10)下加治屋町郷中に生まれた西郷は、幼名通称を吉之介といい、南洲と号しました
青年時代に二才頭として農政に関する意見書を提出、藩主島津斉彬の目にとまり側近に抜擢され、
国事への関心を高めました ところが、その斉彬が急死
勤皇僧月照と錦江湾に投身、一人生き残り大島に流されました そのとき、大久保利通らの助けで
幕府を倒す運動に復帰、薩長連合を結んで王政復古の大号令を決行
東征大総督府参謀として江戸無血開城を実現しました
新政府が樹立したあとは、参議として廃藩置県を断行 岩倉具視、木戸孝允、大久保利通らが
外遊中は政府を預かりました
1873年(明治6)遣韓使節をめぐる政争に敗れて東京から鹿児島に帰ったあとは、
私学校を開き、後進の指導にあたりましたが、彼等の血気に押されついに西南戦争へと突入。
1877年(明治10)西郷は城山で自刃しました
*解説=鹿児島市観光課案内より
鹿児島の風物詩
島津斉彬と日本の旗・薩摩切子
西郷さんにも多大な影響を与えたお殿様は、好奇心旺盛の新し物好きでした
なかでも有名なのは次の2点でしょう
「日の丸の旗は日本(ひのもと)を日本(にっぽん)といひ且
日出づる国と唱ふにふさわし又天照大神の岩戸を出でられしよりこの日本は
開け始めし国なればそれらの故事をも考えて発案したものだ」
これは、島津斉彬公が国旗発案の動機について語った一説です
*解説=照国神社社務所パンフレットより
薩摩切子
薩摩藩におけるガラスの製造は1846年27代藩主島津斉興によって医薬用のガラス器に始まりました
1851年斉彬公が28代藩主になると着色ガラスの研究をさせ、紅、藍、紫、緑等の発色に成功しました
なかでも銅粉を用いた紅色は薩摩の紅ガラスとして有名です
1855年に磯にガラス工場を設け、薩摩切子の製造を始めました
それは、源流をイギリス、ボヘミア、中国に求めながらそれを凌駕し、
日本風ともいえる「ぼかし」をもった独特の作品は
「薩摩ビードロ」として世界のガラス工芸史に燦然と輝いています
*写真と解説=薩摩ガラス工芸株式会社パンフレットより抜粋
照国神社の六月灯
真夏の始まりを告げる、"六月灯"は、
毎年7月の中旬ごろからいたるところの神社で催されます。
温泉
指宿だけじゃない、温泉の秘境・鹿児島には、本当に美しい自然に囲まれた温泉が
たくさんあります 写真は桜島にある、「古里温泉」
神様を奉った露天風呂での白い着物を着用しての入浴(混浴です)には、
神様の前での入浴なので、身を清くして入るという意味があります
目の前に広がる錦江湾を眺めて気分もリフレッシュ!
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Weekly Kagoshima