そう、あの、宮沢さん(ってどの?)。あのちっこくて、いつもきょとんとしてる、あの宮沢さん(ってだから、どの?)。一度首相になったくらいだし、今回の小渕さんの件(2000年4月現在)でもしょっちゅう引き合いに出されたり、テレビでだってもう何年も何年も目が腐るほど見て知ってるっつーのに、未だにあの小ささでちょこんと椅子に座ってるの見ると
「マジかよ」
各閣僚が次々と階段を上がってきて、頭→体が画面に徐々に現れる中、それの次のパターンが宮沢さんだったりすると
「本気か、おい」
緊急記者会見とかで「大蔵大臣の到着です」と案内されて登場する姿が目に入るや否や
「いいのか、ほんとに」
...っつー言葉が自ずと漏れる。
宮沢喜一。御歳73歳。見た目で人を判断してはいけません、とは生まれて物心がついてからというもの親や先生から口をすっぱくして、耳にタコ状態で聞かされつづけてきた言葉だが、あれはルール違反だと思わずにはいられない。
(故宇野元首相も同じランクに入るかもしれない:なぜ首相ともなるべき人が、よりによっておかっぱ頭なんだ?最後は短くなったけど)
例えば新聞で新内閣発足後に載せられた各閣僚の顔写真とコメント。
ずらーーーーっと年輪を重ねたおじさん、おばさんの顔写真が縦に何列も並んでいる中で、
じいさんとも赤ん坊とも下手するとどこか遥か彼方の宇宙から送られてきた異性人ともとれそうな顔写真が
しれっと配置されてるような政治面を発見してしまった時、「インチキだ」とつい一人ごちてしまうのは
私だけなんだろうか。
自宅のテレビのワイド画面を一人独占して質問に答えるこのじいさん(失礼)からじ〜っと目を離す事ができない私の脳裏では
こんな疑問が延々と飛び交っている。
・本当に男なのか?
↓↑
・本当に男性ホルモンで(ここまでの成長過程を得て来たのだろうか)?
↓↑
・(ずばり)女じゃないのか?
↓↑
・幼児期で成長が止まったんじゃ?
↓↑
・遺伝子の異変で、見た目だけが時間をかけてゆっくりとばあさんになっていったのか?
↓↑
・ヨーダ(スターウォーズの)のモデルってほんとのとこはあの人なんじゃないのか?
↓↑
・ほんとに金勘定ができんのか?
↓↑
・男だよな?!
これは、私の教養が浅すぎるがゆえに起こるおそまつな思考回路だけが原因とはくれぐれも思いたくない一意見である。
ある人一人を矢面に立ててあーだこーだ言う、というのは私の人生哲学においてもルール違反なことではあるし、
人(地球上の生物全てを含め)というものは、その人物がある日ひょっこりぽこっと地上に出現するものではなく、
遺伝子やらDNAやら染色体やらなんたらかんたらな細胞の複雑なしくみ、そして幾世代もの血の流れを得てやっとこさ存在する
ものなので、見た目にはなんてことなくのんべんだらりと生きているように見える人だって、実は物凄く物凄く物凄いんだぞーって
ことくらいは認められる心の広さを持っているんだもーん、えっへん!と堂々と胸をはって言い切れるだけの自信はあるつもりだ。
だから、後にも先にもこういう表現はこれっきりであると思う。
何故、ここまでに力弁が必要になってしまったのか。その点における私の疑問を理解して頂くために、もう一度先の内容を繰り返したいと思う。
<人(地球上の生物全てを含め)というものは、その人物がある日ひょっこりぽこっと地上に出現するのではなく、
遺伝子やらDNAやら染色体やらなんたらかんたらな細胞の複雑なしくみ、そして幾世代もの血の流れを得てやっとこさ存在する
ものなので、見た目にはなんてことなくのんべんだらりと生きているように見える人だって、実は物凄く物凄く物凄いんだぞーっ>
...で、その結果が宮沢喜一さんなのだ。この経緯を再認識した上で、もいちど宮沢さんの全身写真(もしくは顔のアップでも
とにかくなんだっていいんだけど)を見せられたら、全員が全員「ずっこけ」ないだろうか?
或いは、運命のいたずら?
そういう訳で、「インチキだ」と一人ごちる私が存在してしまうのである。
その流れを汲んで同類に入るのが、上記カッコ書き中にも登場した故・宇野元首相だろう。(あっ。)
...あ、いや、<後にも先にもこういう表現はこれっきりであると思う。>と述べたのは、あくまでもこの項だけの話であってですね、
せっかくだからついでに書いちゃえーという本能に従っただけなので...
ある。
宇野さんがこの世に誕生した当時、かの両親を取り巻く中の誰があの「じいさん時代の宇野さん」の容姿を想像し得たであろうか。
一国の主(首相)になった、ということはそうそう誰にでも訪れるものではないから、宇野家の名誉としては誠に喜ばしいことであるので
それはよしとするとして、問題はその姿形(かっこよく言えば”スタイル”)である。
なんだったのだろう、あのメガネは。
そして最もショッキングだったのは初めて「新首相」と公表され、バーン!とでっかく画面を独占して写された宇野さんのドアップ。
「おかっぱだ...」
きっと日本全国津々浦々赤ん坊からお年寄りに至るまで、食事中ならば全員の箸の動きが驚きのあまりストップしてしまった瞬間だったに違いない、と私は確信する。話を元に戻すが、もし宇野さんのお父さんが明治気質の「日本男児たるもの...」なんて人間だったなら、
今ごろ宇野さんあの世で父さんに「恥を知れぃっ!!!」と日本刀でたたっ斬られてっかもなぁ...。といらぬ余計なお世話的想像をはりめぐらせるのであった。
そんな宇野さんにたった一度だけお会いしたことが、ある。
数年前、東京の某ホテルにてウェイトレスをしていた時、ひょっこり宇野さんが秘書と一緒に来店したのである。
時は米不足でちょこっと国産米が貴重品扱いされていた頃、働いていたレストランではばっちり国産米を使用していた。
注文されたカレーを持っていくと「ねぇ、これって国産?」と宇野さんに唐突に聞かれ、「そうでございます」と答えた私。
すると即座に物凄く嬉しそうなニカッとした笑みを顔中に浮かべて
「お、おぉっ!日本の米かぁ!!日本の米らしいぞ!」
と秘書に話し掛けた宇野さん。その後数ヵ月後か数年後かにお亡くなりになったが、
結局、一日本人な私の中の宇野さん像は、「不倫とカレーライス」というイメージしか残っていない。
余談ですが、「んじゃ、司馬遼太郎はどうなんだよ?」というお叱りをうけそうですが、(白髪おかっぱに宇野さんと酷似したメガネを愛用)
司馬遼太郎は、私の中では偉大な人物だから、いいんです。あれで。
というわけで、世の中不条理な事だらけだ!と唇から血が出んばかりに歯を食いしばって悔し涙を流し、電車がゴォーっと通過する高架下で一心不乱にボクサーの素振りを真似ることも一つのウサ晴らしには良い方法かもしれませんが、素直に事実は事実と受け止め、己の貴重な人生の一ページをいかに美しく飾れるかという点に重きを掲げるように、お互い努力しようじゃありませんか。