ニュースレター
1999年6月
 
環境にやさしい、自然にやさしいブームの時代といわれています。
人によって考え方も違う、とらえ方も違う。

この前大学の友達が発表した文章とても印象的でした。生活環境、人と環境、人と物の関係はまだ簡単だと思います。一番むずかしいのは人と人、現代社会の中で決して無視できず大切だけれども難しい問題でもある。

「人と人」というのは、人それぞれ生まれ育った環境や持って生まれた性格が
違うし、 急に周囲からいわれて変えることもできないので、その人の考えがよいとも悪いともいえない、優秀な人は優秀な人なりに、ばかな人はばかな人なりにやっているので、せめて自分の行動には責任をもって「人」としての人生を歩めばいいと思います。

友達の発表の内容を聞いて、タイの社会を考えました。タイの人は「あなたの責任」といわれるととてもいやがります。よく日本のマスコミで、タイの社会は責任をとらない国だ。なんでもマイペンライ(気にしない)だといわれます。タイ人は人を責めて責任を感じさせることより自分でやる方が好きです。自発性が出てくるまで個人個人の人権として共存しながら行動しています。他人のことをきびしくするより自分のことをきびしくすることです。自分のことを中心にして、他人のことをあまり気にしない国民性です。だからいつもマイペンライということばをよく使います。

最近私にとって「人にやさしい」ということばとても興味があります。本当のやさしさとは実際何のことだろうかとても疑問をもっています。いま<守ろう地球>やっと7年間苦労してきました。NGOですか、企業ですかとよく聞かれます。NGOでもないし、企業でもないし、ただ普通の<守ろう地球>です。人のためやってあげるでもないし、タイの貧しい人たちにもうからせてあげるでもないし。タイの村の人たちが自分自身で自発性できるまで<守ろう地球>が一番のぞむことです。

この前ソーポンさんという友達(去年有機野菜店の社長になった)に話を聞きました。

貧富の差が大きいタイの社会は経済活動の利益の8割が2割に満たない人々に分配されていくという構造がある。もてる者からもたない者への接触はあるが、そのほとんどが「施し」いわゆる慈善活動であった。着飾った金持ちたちが貧しい人たちに米袋を配るセレモニー――それらが新聞にとりあげられたり、金持ちたちにとって慈善活動は自己宣伝の場という性格が強かった。いずれにしても、「施す」側と「施しを受ける」側の社会的格差は一向に縮まることが
なかった。


彼の話は短い時間でしたがとても重要な時間でした。タイの問題あたまで感じるだけではなくて体で感じます。お互いに言葉に出さなくてもその結果と目的は同じ方向に歩いていることが分かります。彼の考え方は<守ろう地球>と同じだと思います。彼は1973年学生革命のタイのもっとも熱い時代の方です。都会への出稼ぎ問題や、村の人がどうして貧しいのか、自分自身の目で体で感じる人です。貧しい人たちに「施す」のでなく「経営参加してきちんともうけてもらう」という、人々の自立を促す活動をしてきました。1998年度マグサイサイ賞社会開発部門賞を受賞しました。

一方日本の援助の仕方、ある人は貧しかったのに日本が援助すると家が大きくなりました。車も買いました。よく援助する方があちこちで宣伝しています。日本のやり方は貧しい国に対して「施す」、貧しい国が「施しを受ける」。これで本当に豊かになるのか私にとって疑問です。貧しい人が物をあふれても、豊かだとは思いません。貧しいからもうけさせるためにどんどん物を作らせることが自立だという間違った考えです。本当に貧しいタイ人といっしょに経営参加できちんともうけさせるのか、今タイの村はとても不安です。ソーポンさんのような人がタイの社会にたくさん出てくると、貧しい人の物の豊かさよりも人の意識、自発性が自分の社会でどう行動するか、7年間<守ろう地球>をやってきて無駄にしなかったとやっと分かりました。

もうひとつソーポンさんの言葉で
「管理すること(Management)は捨てることです」
人間は商売しても人生でも人との関係にしても管理しなければなりません。管理することも人間にとってとても大事です。しかし捨てることも大切です。管理と利益いつもいっしょに歩いています。しかしあまりありすぎると当然欲と不安も出てきます。人間にとって管理とても簡単だけれども捨てることとてもむずかしいです。人の人生はもともと自然であり、自然の循環もあり、管理する必要がない物をどんどん捨てていけば、人生は余分の物をもってないで楽な生活になるでしょう。

「自然にやさしい」森を守るためにタイの農家に聞きました。
「森を作るにはどうすればいい」
「もし私だったら実のある木を植えます。森の動物や鳥が木の実を食べてそれも木を植えてくれます。」と答えました。
つまり人間は自然を守るために、自然に手をくわえて何かやってあげないといけないといつも考えています。ひとつだけ人間の忘れていることは、自然を尊敬しながら守っていくことです。森の中にいる動物や植物とお互いに助け合うことです。よく人間は自然を守るためにわざわざ森を伐採してを森をなくしてから、ダムを作ったり木を植えて、自然のためにいいことと思っています。結局森にいる動物や植物もめいわくするし、自然を破壊しているのは人間です。

自然にやさしい、人にやさしいということは、あまり余分のこと手をくわえないで自然にまかせば、自然と自然、人と人うまくいくのではないか。<守ろう地球>の考え方です。

                            神崎ソラダー
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