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ニュースレター
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1999年9月
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「種をまく人」の本を読みました。ポルーフライシュマン著です。クリーブランドの貧
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しい人たちの住む一角に空き地がありました。そこには生ゴミから古タイヤ、
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壊れた椅子までありとあらゆる廃棄物が捨てられていました。ある年の春、ひとりの女の子がここにマメをまきます。そのあとひとり、ひとり、またひとりと、年齢、人種、境遇の異なる人たちが種をまき、畑を作るようになります。マメの芽が成長するように楽しく待ちます。
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読んだ後とても感動しました。ひとり一生懸命に種をまくより、一人また一人、年齢、
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人種、境遇の異なる人たちが種をまく。いつか空き地の中でたくさんマメの芽が成長するように、みんなの力がとても大事ではないか。心の中にそのことばが残っています。
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<守ろう地球>も一人で、日本の社会の中で種をまきたいと思います。コツコツ水をかけ、いい堆肥を作って、りっぱな植物を成長して育てていきたいと思います。
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しかし成長するまでの作業はとても甘い道ではありません。途中いろいろなことがあったり、大雨したり台風になったり、不安させたり成長しにくいようになります。さらにいろ
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んな虫も出ます。しかししっかりいい堆肥やたくましい根があれば役に立つ虫も寄ってくるはず。それを大事に育てていけば何にも恐いことはない。コツコツゆっくり時間をかけて育てていく。そしていつかその日本社会の中に花がさいて収穫できるようになります。私はいつもこういうふうに生き方をしてます。おかげさまでいつも私のまわりによってくる人々が<守ろう地球>の力になって、お互いに大きい力になりました。人と人関わりあうこととても難しいけれども、そのことを信じれば気持ちが楽になります。勝ったから強いわけではない。負けたから弱いといえないし。相手を理解して認めれば一番その人が柔軟な強さだと思います。
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堆肥を作るとき一番大事なのは温度、時間、そして生ゴミ腐敗の役割のために菌つまり微生物たちです。生ゴミをゆっくり時間かけて自然の温度でゆっくり腐敗させていきます。その微生物の中に強い菌もいるし弱い菌もいる。お互いの役割で働きかけます。時期があればいい堆肥ができます。立派な植物を育てます。ところが現在とくに忙しい日本の社会の中で「待つ」こととても嫌がることがだんだん多くなります。自然にまかせるより人工的に温度をセットして、機械で時間をかけないですぐ出来上がり。日本人にとって得意かも知れません。見た目は同じ堆肥けれども中味ぜんぜん違うと思います。人工的温度をセットして当然弱い菌が死んでしまう。強い菌しか残りません。人間の社会もそうです。強い人ばかり集まっていると当然うまく行かないと思います。自然ではそうです。何でも早い出来上がることは効果があると思いません。たぶん堆肥もそうです。今の世の中私たちのまわりにインスタントの物がたくさんあります。私たちの生活の中にどれが本物かだんだん区別できないのかもしれません。
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このまえ奥多摩の草木染の山崎先生と出会いました。先生の言葉は私の心の中にとてもひびきました。
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「<草木染>という言葉が生まれたのは昭和5年、命名したのは私の父、山崎文武でした。昔の人たちが草木の恵みを感謝しながら色を染めること、すなわち日本古来の染色に立ち返って、その心とを技を正しい伝承していこうという思いがそこにはこめられていまた。ところで<草木染>ということば現在安易に使われて、外国でも日本人から勝手に使われてしまう。それはいけません。」
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先生はとてもきびしい目で私をじっと見て説明してくれました。先生の言葉私にとって
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目がさめました。「草木染」ということば私にとって奥深く感じるようになりました。
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「僕の生徒は草木染を習う人がここに集まっている。売るのが目的だったら教えてあげません。家族のために生活のために子孫に残すために物を作りたい人たちです。物を作るのは芸術より職人と思わないといいものを作れない。」
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先生の気持ちとてもよくわかりました。本当にただ草木染をやるだけではなくて日本の
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文化、日本伝統をしっかり考えながらきびしい目で人を育てていく人です。
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聞きながらタイの村人たちを思い出しました。タイでは織物の方が中心で、伝統的に昔は日本と同じように物を売るより家族のため生活のため子孫のために大事に作って物を残すためにやっていました。もともと草木染という言葉もありませんのでタイ語では「ヨームシータマチャー」日本語に訳すと「自然染め」という言葉です。タイと日本の伝統、風習そして技術のやり方も違うこと当然と思う、ところが最近よく「タイ、インド、東南アジアの<草木染>、伝統文化を紹介」あちこちよく見かけます。さらに、貧しい国の自立のために援助している人もいます。その中に一生懸命にやっている日本人もいます。どっちがいいか悪いかとてもいえない。それぞれの感じ方です。
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しかしその中自分の伝統をしっかり考えるよりSuper Japaneseのように人のことを助
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けてあげる人もいます。Super Japaneseが多いほどタイの村の伝統をどんどん捨ててし
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まう。今までインスタントのものを食べたことのないタイの人々にとって、とても珍しい
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味でした。食べる方も食べさせらる方もお互いにいい関係と思ってやっています。自然の植物が持っている力、自然の色を生かして、ゆっくり時間をかけてていねいにやるより、人工的化学的に依存しているタイの人が増えてしまう。待つよりすぐ出来上がり、そしてたくさん売れればいいと思っているタイ人は少なくない。だんだん国中に、どっちが本物でどっちがインスタントか味がよくわからないタイ人も多くなります。
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<守ろう地球>はスーパーマンにならないようにいつも気をつけています。人を助けてあげるそして人を守る、一度も考えたことないです。ひとそれぞれ力をもっていますので、守らなくてもみんなそれぞれ自分なりにやっています。自分から出来ることやっていけば一人一人、また一人、だんだん輪になって、いつかみんな持っている力。そして自分のまいた種が成長して、きたない空き地がだんだんきれいになって、そして収穫できます。そのとき本物がやっと味わいできます。インスタントよりよっぽどおいしいよ。自分で気がつきます。
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あるいてあるいて
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あなたといっしょにあるく。
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回り道しても迷い道しても
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かまわない。
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時の流れがすべて変えていく。
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いつかだれでも気がつく。
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そのとき答えるのは自分しかない。
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あるいてあるいて
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あなたといっしょにあるく。
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坂のぼってつらい道があっても
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いつか風を見る。
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神崎ソラダー Sorada
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