私の陸上競技歴
1.小学生時代

少年野球や柔道で身体を動かすのが好きな子供でしたが,走るのは苦手でした.
2.中学生時代
柔道,野球などを毎日やっていました.特に柔道は当時,将来大相撲に進んで横綱にまでなった,北斗海,大ノ国関などと大会で戦ったりしていました(勝ったことはありませんが).体育の時間に100Mを走らされ,たまたま一番早かったので地区大会に出場させられたのが陸上競技との出会いです.柔道や野球をしながら,陸上競技(短距離)の練習もするようになり,100Mを12秒1で走ることができるようになりました.
3.高校生時代−陸上競技に専念
高校に進んでから,柔道,野球,陸上部と勧誘を受けましたが,何となく可能性のありそうな陸上部を選びました.ところがきちんとした指導者がおらず,先輩の練習態度なども見習うところがなく,逆にこちらの足を引っ張られることも多々ありました.結局,100Mで11秒8,200Mで24秒3の記録にとどまりました.
4.大学生時代−短距離,ハードル選手として
医科大学という単科大学で,部活動も適当にやっているのではという予想に反して,陸上競技部の先輩には国体選手やインターハイ決勝進出者などがいて,練習に対する姿勢,陸上競技に対する考え方など,大きな影響を受けました.100M,200Mに加えて,400M,400MHまで種目を広げて,特に400MHでは地区記録や大会記録を5回も更新するなど,ローカルではありますが,医学生のレベルを超えた走りをすることができました.
5.卒後−長距離選手として
学生時代最後の大会が終わったとき,同僚は当然のようにこれが人生最後のレースだと言っていましたが,私はまだ燃え尽きていませんでした.卒業後は医師としての研修生活が待っているので,時間的に陸上競技を続けるのは困難なことだと解っていましたが,陸上競技にに対する情熱が捨てきれず,なんとかやってみようとその時思いました.しかし短距離は練習場所(陸上競技場)を時間的に確保するのが無理,個人で練習するのも限界があるので(注1),卒業後は長距離選手として再出発(注2)してやろうと考えました.卒業すると,時間的な余裕がほとんどなくなりました.しかし練習は毎日続けました.はじめは50分ほどのjogからはじめ,徐々に距離を伸ばし長距離を始めてから2年で毎日90分程走るようになりました.仕事が遅くなって夜中の2時から走ったこともありました.真冬も毎日走り続けました.北海道(旭川)の冬は厳しいです.吹雪のアイスバーンや零下27度という身も凍るような低温下で走ったこともあります.当直などで拘束されてどうしても走ることができない日は,屋内で90分腿上げをしたこともありました.このような日々の鍛錬により,卒業後3年目(27歳)には,すっかり長距離の身体に生まれ変わりました.10Km,20Km,ハーフとレースの距離を伸ばし,29歳の時にはついにフルマラソンで念願のサブスリーを達成できました.
6.100Kmマラソン出場と故障
30歳になり,フルマラソンの一層の記録向上をはかるためには,スピードの養成と,超長距離を経験することにより,フルマラソンの距離への不安をなくすことが重要だと考えました.そこで春には,卒業後初めてトラックレース(5000M)に出場し,スピードアップをはかって,夏に100Kmマラソンに出場して超長距離を経験してから,秋のマラソンに備えるというプランを立てました.5000Mに出場するために,トラックのスタートラインに立った時は感無量でした.30歳にしてまた自分はトラックに帰ってくることができ,大学生や高校生と同じ場所で走ることができる−そんな自分に感謝しました.16分台の記録で走ることができました.そして100Kmマラソン.当日はあいにくの雨の天候でした.フルマラソンを3時間40分で通過.快調でした.ところが60Kmから右膝が痛み出し,どうしようもなくなり,何とか無理をして頑張りましたが,92Km地点で棄権しました(ここまで8時間と少しの記録でした).このレースに支払った代償は極めて大きく,右膝はひどい故障で,その後数ヶ月満足に走れない状態が続きました.
7.故障と戦いながら
レースの後1カ月は歩行だけの毎日が続きました.それでも3カ月後には歩くようなペースでjogができるようになり,一年後には膝が痛むものの,20Km程度はゆっくりと走れるようになりました.レースもやっとこのころ出場できるようになりましたが,膝の痛みが出るのと,膝以外にも全身が思うように動かないのも加わり,故障前の記録には遠く及びません.しかし,現在の自分の能力を全て発揮できるよう日々トレーニングを続け,レースにも出場し続けて,自分の限界に挑戦して行こうと思っています.
8.夢
夢の一つは,健康な体を維持して,生きているかぎり走り続けることです.もう一つは陸上選手を育成することです.陸上競技は身体を鍛えるだけではなく,人間として人を成長させます.若年者に陸上競技のすばらしさを教えて,自分ももっと成長できればと思っています.もう一つは,陸上競技の底辺を広げるため,一般の人に陸上競技の見る楽しさ,参加する楽しさを伝えることです.走ることは最も原始的な運動の一つです.ですからだれでもできるわけです.陸上競技の敷居を低くして,たくさんの人に参加してもらうようなシステムを考えていきたいものです.
私はいわゆるスポーツドクターではありません.今のスポーツドクターは整形外科医が主流です.私は内科医で整形外科的な障害は良くわかりませんが,ランニングに伴う障害は骨や筋肉に対するものだけではありません.ランナーの貧血,内分泌異常,摂食障害など,内科領域の障害がたくさんあります.またランニングは生体にとってはストレスであり,ストレスと生体との関係というテーマは私の研究テーマでもあります.以上のような点で,私は陸上競技に対して新しい視点からアプローチができるのではないかと考えています.
夢の実現のためにこれからも一歩一歩走っていきます.

注1:短距離の練習は陸上競技場での練習が必須で,スタート練習などはピストルを撃つ人が必要だったり,スターティングブロック,ハードルなどの器具も使わなければならないので,練習するのは大変です.長距離は競技場を使って練習することもありますが,基本的に道路があればとりあえずいつでもどこでも練習することができます.本文に戻る.

注2:基本的には動物の筋肉には短距離のような無酸素系の運動に適した筋肉と長距離のような有酸素運動に適した筋肉があります(魚にも白身と赤身がありますね).ヒトの筋肉も2種類あり,どちらが多いかによってどちらの運動に適しているかが決まります.この比率は生まれつき決まっているので,短距離の専門選手が長距離選手に転向するのは困難です.本文に戻る


年次別ベスト記録

100M 200M 400M 800M 1500M 5000M 400MH 10Km 20Km ハーフ フル
15歳 12"1
16歳 12"1 25"2
17歳 11"8 25"1
18歳 11"9 24"3
19歳 11"6 23"9 55"2 60"3
20歳 11"4 53"2 59"7
21歳 11"7 23"7 52"6 2'09"8 4'39"5 57"5
22歳 11"6 52"2 4'34"2 56"56
23歳 11"3 23"5 49"5 56"36
24歳 11"7 53"1 56"9
25歳 37'30"
26歳 1時間17分20秒 1時間19分35秒
27歳 1時間14分20秒 1時間15分57秒 3時間17分50秒
28歳 35'30" 1時間14分11秒 1時間17分10秒 3時間00分16秒
29歳 34'25" 2時間53分48秒
30歳 16'57"
31歳 1時間21分48秒 3時間32分50秒
32歳 36'11" 1時間23分18秒 3時間31分27秒
33歳 1時間22分45秒 3時間24分43秒
34歳 37'47" 3時間18分54秒
35歳 1時間23分21秒
36歳 1時間21分57秒 3時間22分21秒
37歳 1時間22分07秒 3時間16分29秒
38歳 1時間22分26秒 3時間20分22秒
39歳 1時間23分02秒 3時間18分1秒
40歳 1時間21分19秒 3時間12分58秒
41歳 1時間22分50秒 3時間7分58秒
42歳 1時間23分11秒 3時間27分57秒
43歳 38分56秒 1時間24分10秒 3時間18分32秒
44歳 37分37秒 1時間19分48秒 3時間10分1秒

太字はこれまでのベストタイム

速報:1998年3月29日ロサンゼルスマラソン
2万人の参加者を集めて第13回ロサンゼルスマラソンが行われました.私も1年半ぶりにマラソンに出場しました.スタートは8時45分.気温は12度と絶好のコンディション.多数の参加者のためスタートゲートをくぐるのに4分ほどかかりました.最初の15分は込み合ってほとんど前に進めないと言うような状況.距離表示は全てマイルで,Km表示は全くなし.そんなわけでペースも全くわからないなかでレースを続けました.膝に故障を抱えている私は,とにかく前半をゆっくりとしたペース(4分50秒/Km)で行くことにしました.途中一度トイレによることになりましたが,20マイルまで一定のペースを続けました.20マイル(32Km)のラップが2時間40分でここから意識的にペースを上げてゴールを目指しました.結局最後まで膝はほとんど痛まず,5年ぶりに3時間20分を切る,3時間18分54秒でゴールを駆け抜けました.今回のレースは膝を故障してから初めて最後までマラソン走り続けられた記念すべきレースとなりました.タイムは20歳台の自分から見れば大失敗のレースタイムですが,今後のレースに繋がるきっかけになる気がします.ゴール後も前半をスローペースで行ったので体のダメージもほとんどなく(裏を返せば全力を尽くしていないことになりますが),スタート直後のタイムロス,トイレタイムを考慮すれば,将来再び20歳台のようなサブスリーを記録することが可能と思われます.

ロサンゼルスマラソン
今回で13度目になるロサンゼルスマラソンは日本人の出場者が少なく,あまり馴染みがないものかもしれません.しかし男女の優勝タイムは2時間12分,30分と世界の有名マラソンと肩を並べるレベルです.出場者は2万人程です.今回のレースのスターターはムハマッドアリ(元ボクシングヘビー級チャンピオン)でした.コースは摩天楼が立ち並び治安が悪く普段は近寄りがたいdown townを出発点として南下.貧しい市民が住む住宅街を通り西進.北進してかつて暴動が起こったKorean Townに入ります.最も古い通りであるWilshireを西進して今度はBeverly Hillsも顔負けの高級住宅街を抜け,LAの象徴であるHollywoodにはいります.Hollywoodを東進して北側からdown townに入ってゴールと言うコースです.このコースを走ればLAの概要をつかめると言って良いような,実に走っていて飽きないコースです.沿道の応援が熱狂的で,各居住区の人種が自分達のやり方でパフォーマンスを繰り広げていました.黒人のブルース,白人のロックンロール,韓国の人が民族衣装を付けた踊りなど.さらに日本のマラソンレースと違うところは,大会関係者以外のボランティアのサポーターが沿道に無数にいると言うことです.彼らは自前でオレンジをトラックいっぱいに買って配ったり,板にワセリンを塗ってランナーに供給したり,あるいは足の筋肉痛をとるコールドスプレーを吹き付けるサービスなどを提供していました.down townにはいって,ゴール付近はあふれんばかりの人が沿道から声援を送ってくれました.最後の街角を左折したら200mでゴールです.アナウンサーが私の姿を見て,ゴール直前,私の名前と居住地のLos Angelesを告げました.この時私は自分がこの街のcitizenではないけれど,この街を構成する一人の住人であることを認識したのでした.ゴール直後,私より一足先にゴールしたおじさんが抱きついてきて,"Brother! We did great work today."と言ってくれました.
LA Marathonに興味がある方はここに行ってみてください.

5/5/1999 春さわやかマラソン(札幌)
真駒内のオリンピック記念屋外競技場から出発して,豊平川河川敷を往復するコース.日刊スポーツが主催.参加料2000円.コースはほとんどが平坦で走りやすいが,距離表示が全くないのはいただけない.当日は雨と風で悪コンディションだったが,ハーフは800人ほど出場していました.スタート当初は込み合って満足に走れず.前半は向かい風であったので,集団の中で走り,復路で意識的にペースを上げたが途中で失速.ラスト5kmほどで復活して,再度ペースを上げました.記録は1時間23分21秒で26位.風邪からまだ回復していないことと,スタート時の混雑を考えると,妥当な記録だと思います.

8/29/1999 北海道マラソン(札幌)
真駒内のオリンピック記念屋外競技場から出発して,札幌市街を周回して中島公園でゴールするというレース.今年は過去最高の3500人の参加者が集まりました.最高気温は27度とこのレースにしては良好のコンディションでした.スタート時は非常に混雑し,ラインを超すまでに私で30秒,そして初めの10分間は,込み合ってほとんどまともに走れませんでした.中間点は1時間45分と非常にゆっくりとしたペースで走り,後半少しペースを上げました.35Kmからはまた両膝が痛くなってきて,ペースがあがらなくなり,結局,3時間24分30秒でゴールしました.膝が悪いためにペースを上げることができず,そのため全力が出し切れずに欲求不満になるという最近のパターンです.いつかはこの膝も治癒するだろうと考えて,レースの翌日から痛い膝を引きずりながら練習を再開しています.

9/12/1999 日航マラソン(千歳)
千歳市の青葉公園から出発して舗装されていない林道を走り,往路はずっと緩やかな上り坂で200mほどの標高差があります.復路は逆に下りで,途中からはサイクリングコースになるので,ここからゴールまで10Km以上は舗装道路を走ることになります.全コースの70%以上は林道で,下が柔らかいので足には非常に良いコースです.このコースは前半なんとか我慢すれば,後半は下りでペースを上げることができるという,走りやすいコースと思います.ただし途中国道を横断するときには,ときおり走行を止められ,車が通過するのを待たなければならないことと,出発地点が林の中なので,蚊が非常に多く,虫除けを塗っておかないと痛い目に遭うのが難点でしょうか.当日は気温28度で湿度も高く非常に過酷な条件でした.前半我慢して後半は前半より4分ほどペースを上げて,3時間22分21秒でゴールしました.やはり今の能力ではこんなものなのでしょうか?なんとなく寂しくなってきました.数年前は2時間台で軽く走りきっていたのが信じられないくらいです.

10/18/1999 北海道ロードレース(札幌)
真駒内の屋外競技場からスタートして河川敷を走って折り返してくるハーフマラソンです.あいにくこの時期にしては珍しい吹雪で,大変寒かったです.走っているときは体に寒さを感じることはほとんどありませんでしたが,それでも手は感覚がないほど冷えきってしまいました.タイムは1時間21分57秒で,最近4年間でのベストでした.このぐらいのペースで走ると,自分でも速く走っているという自覚ができるレベルです.今回が今年度最後のレース.北海道は冬にはレースができないので,涼しい環境ではこれまで走ったことがありません.本州のように冬にレースができれば,もっと良い記録が期待できるのにといつも思っています.

6/11/2000 アコム札幌祭りマラソン(札幌)
真駒内の屋外競技場からスタートして河川敷を走って折り返してくるハーフマラソンのコースを2周回るという厳しいコース.気温は20度前後でそれほど暑くはありませんでした.体調が不良であったので最初から1Km5分を少し切るようなペースで走り,30Kmから意識的にペースを上げました.最近はいつもこのようなパターンで,こう走れば大崩はしませんがが,しかしよい記録も出ません.記録は3時間28分32秒でした.北海道マラソンに向けてよい練習にはなったと思います.それにしても同じコースを2度回るというのは精神的にきついです.

9/10/2000 千歳日航国際マラソン(千歳)
2週間前の灼熱の北海道マラソンで惨敗したあとのレース.気温は17度,小雨の絶好のcondition.雪辱を果たそうとスタート前から気合が入っていました.中間点は1時間41分.前半は200mの標高差を登るコースなのでまずまずのペースで,かなり押さえ気味で走っていました.本当はもっと速く走れるのですが,2週間前の走りを考え自重していました.折り返してから徐々にペースを上げて,25Kmからは,絶好調だったころと同じような感覚で走ることができました.35Kmを越えてからもペースはさらに上がり,疲れをぜんぜん感じず,このまま50KMまで同じペースで走れそうな感じでした.ゴールも走り抜ける感じで,非常にいい感じでレースを終了できました.30歳の時に右ひざを故障してから,最高のタイムでレース後も膝が痛むことはありませんでした.もうあの故障からは完全に回復したと言っても良いと思います.これまでいつも膝を気遣って走ってきましたが,今後はもっとシリアスなレースができると思います.

9/9/2001 千歳日航国際マラソン(千歳)
2週間前の北海道マラソンでのダメージと,副鼻腔炎が直らない状況で出場.当日の天候は雨降りで気温は20度と絶好のconditionでした.今年最後のフルマラソンなので,今回の大会で記録をねらおうと思っていました.前半から積極的にとばしていきました.往路はずーっと上り坂が続くのにもかかわらず,中間点が1時間38分で,この前の北海道マラソンより7分も早いぺースでした.さらに折り返してから下り坂になり一気にペースが上がりました.しかしそのせいか,27Km地点で腹痛を起こして失速.道路脇にそれて,用を足しました.その後も腹痛が断続的に続くため,もうだめかと思いましたが,精神的には切れずに走っていました.35Km地点からなぜか体調が復活し,ペースが再び上がって走り抜けるようにしてゴール.タイムは3時間20分22秒でした.今までは一度アクシデントがあると,その時点でもう精神的に切れてしまってレースとしてはそこで終わってしまっていましたが,今回はそれがありませんでした.前半良いペースで走れたことで,3時間10分は今でも条件がそろえば十分ねらえることがわかりました.失敗レースでしたが,実りが多いレースでした.5Kmごとのラップは22分59秒,23分11秒,24分12秒,24分6秒,22分57秒,24分34秒,25分5秒,23分40秒で40Kmからゴールまでが9分34秒でした.

10/6/2002 別海パイロットファームマラソン(別海)
鉄欠乏性貧血を治療して初めてのマラソンで今年のメインレース.気温は16度で風が少し強い他は絶好のコンディションでした.前半は40mほどをだらだらと登り,帰りは逆に下るという公認コースです.5Kmごとのラップは24分3秒-24分17秒-24分15秒-24分38秒-23分27秒-23分29秒-22分53秒-22分0秒で40Kmからゴールまでが8分54秒,3時間18分1秒のタイムでした.中間点が1時間42分35秒ですから,後半は6分もペースが速いことになります.実に気持ちよく,30歳台最後のマラソンレースを終えることができました.

7/13/2003 オホーツクマラソン(紋別)
例年になく貧血もコントロールでき,練習も予定通りすすみ,万全の体制で臨んだレースでした.気温は10度で雨,風は4mと決して良い条件ではありませんでしたが,自分にとっては寒い方が体力を温存することができるので,最近は寒い条件の方が好きになっています.ラップは23分37秒-23分55秒-24分7秒-25分18秒-22分21秒-23分35秒-22分42秒-21分36秒-9分35秒で,記録は3時間16分50秒でした.20Kmからゴールまでの走りは,感覚としては一気に走り抜けた感じで,あっという間にレースが終わってしまったように思いました.それだけ充実した走りができたのでしょう.欲を言えば前半をあと4分ほど速く走って,前後半をイーブンで走れればもっとよかったと思いました.40歳を越えてから初めてのレースで,まずまずの走りができたことは,大きな収穫でした.

10/5/2003 別海パイロットファームマラソン(別海)
今年最後のレースで,なおかつ今シーズン登り調子であったので,記録を積極的に狙っていこうと決めていました.気温は15度晴れ.昨年のタイムを手に記録しておいて,それを見ながら,それを上回るように走って行きました.ラップタイムは23分27秒-23分25秒-23分38秒-23分37秒-22分30秒-22分19秒-22分37秒-22分02秒-9分20秒で,記録は3時間12分58秒でした.10年前に膝の怪我をして記録が低迷していましたが,最近10年で最高のタイムです.これまで結果が伴わなくても,こつこつと努力してきたことがこの日報われた気がして,とてもうれしくなりました.40歳になってもますます記録を伸ばし,最盛期のタイムに限りなく近づけるよう努力するという意欲がまたわいてきました.

10/3/2003 別海パイロットファームマラソン(別海)
今年はいずれもこれまでのレースは体調が優れず失敗に終わっていました.今回も体調は良くなくあきらめかけていました.しかし天候は10度前後で曇りという,自分にとっては体力の消耗を最小限に抑えられる最高のコンディションでした.ラップは22分49秒-22分28秒-22分41秒-22分57秒-21分55秒-22分10秒-22分6秒-22分7秒-8分45秒で,3時間7分58秒でした.全盛期のタイムにかなり近いタイムです.また40kmからのラップはこれまでの最高でした.本当の意味で,再び2時間台が見えたすばらしいレースでした.

9/16/2007 オホーツクマラソン(標津)
一年間例年になく練習を積んで,肉体改造に取り組みました.自信満々で臨んだレース.今回は記念大会で招待選手としてなんと,エリック・ワイナイナが参加していました.2Kmまではワイナイナについて行きました.オリンピックで2度3位以内入賞者について行くなど狂気の沙汰でしたが,彼もゆっくり走っているので,それほどのペースではありませんでした.5Kmは19分05秒で追加.そのあとワイナイナはペースアップして差が一気に広がりました.しかし5Km地点で一般参加の選手の中では1位になりました.10Km地点で,これまで10度以上一緒にレースを走って全て負けているライバルの選手(この選手は私の全盛時のペースとちょうど同じレベルで走ることができるので,いつも注目していました)に追いつかれました.しかしこの選手も余力はなさそうで,抜かれてもしっかり後ろについて行くことができました.当然ワイナイナは折り返しを先に通過し,我々とすれ違いましたが,なんと再び逆走し我々と一緒に走り始めました.13Km地点でライバル息づかいがきつそうで,自分もつらかったのですが,あえて前に出てペースを上げると,ワイナイナはついてきましたが,ライバルはここで脱落.あとはワイナイナと2人でゴールを目指しました.ワイナイナは完璧なペースメーカと風よけになってくれ,最後の私のラストスパートにはわざと付き合わずに,私に一位のテープを切らせてくれました.少し自分のペースが落ちると,がんばれと励ましてくれ,さらに給水では水まで渡してくれ,感動しました.タイムは1時間19分48秒と,20代の頃のタイムに戻ることができました.オリンピックの入賞者と,レース全てにおいて一緒に走ることが出来,まさに夢のような気分でした.陸上を続けてきて良かったと思う瞬間でした.


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