2004年
1月
5日:あけましておめでとうございます.珍しく大晦日,元旦は非番で休みだった.こんなことは帰国後初めてのことである.しかし休んだせいか疲れが一気にでてしまった感じで,風邪をひいて寝込んでしまった.治ったかと思ったら,帯状疱疹にかかり,肋間神経痛がある.体を鍛えている自分だから,帯状疱疹などという病気には無縁だと思っていた.情けない.それにしても疲労で免疫能がかなり低下しているということには間違いない.3日は当直,翌日も病棟当番,そして本日は外来開始.右の腋窩リンパ節が腫脹して痛む.肋間神経痛とウイルス感染症の特徴的な倦怠感に耐えながら,仕事をこなしている.こんな状態でも早朝のランニングは欠かさない.だから免疫能が低下するのかもしれないが.
26日:昨年9月に投稿していた論文がacceptされたことを伝えるメールが先週届いた.こちらの病院で経験した症例をまとめたものだが,消化器内科系雑誌の最高峰,Gastroenterologyに一発で掲載されることになったのであった.Image of Monthというセクションで原著論文ではないが,日本のそれも僻地といわれるところにある病院での仕事が,世界に認められたことに他ならない.非常にうれしかった.やはり日々こつこつと自分に恥じないようにがんばっていると,かならず良いことに巡り会えるものである.先輩にすぐに知らせたが,画期的なことであるとおほめをいただいた.今後の仕事に張り合いができたのと同時に,大学にいるとき田舎の病院に出てもacademic mindを失わずに,ずうっとやっていきたいと誓ったが,それを自分は今でも実践できていると胸を張って言えるのではないかと思った.こんなにめでたいことがあったので,少しは自分で自分を誉めて,なにかお祝いに欲しいものを買おうかなどと考えている.つい一月前に40万円も出して天体望遠鏡を買ったばかりなのに良いのかな?

2月
29日:相変わらず多忙を極めている.病院のベッドは満床状態が続き,このままで行けば今年度は病院創立以来最高の売り上げを計上する見通しである.もちろんまだ赤字ではあるが,経営状態の改善は著しい.2/8は内科学会の講演会に出席のため,大阪に行ってきた.唯一町を離れたときのみ,病院からの拘束が解かれる気がする.もちろん当番を決めて,すべての週末がdutyのわけではないのだが,この町にいる限りそんな精神状態におかれる.じっさい当番ではなくともお助けコールで出勤することもあるし,当番でなくても自主的に患者を見に行くことがほとんどである.時折町を離れてリフレッシュすることが重要であると強く感じる.それにしてもこんな小さな町なのに,実に次から次へといろいろな患者が沸き上がるように出現してくるものだと思う.外来は50人ほどを午前中でさばいて,さらに数十人の入院患者を管理し,検査もしなければならない.外来患者のあまりの多さに,最近は可能な限り1ヶ月以上の長期処方を導入しても,まだまださばききれない患者であふれている.日々ぎりぎりの状態で仕事をしているという自負はあるが,体がいつまでもつかわからないという不安を感じながら日々を過ごしている.

3月
4日:年末に買った天体望遠鏡を最近やっと活用することができつつある.今年の冬は天気が異常に悪く,ほとんど星を見ることがこれまでできていないが,最近は都合と天気が許せば極力望遠鏡を外に持ち出して夜空を眺めている.これまでは山の中に寒い中暗い空を求めて遠征していたが,先日自宅前に望遠鏡を持ち出して観測をはじめ,試しにEOS10Dで写真を撮ってみた.ここに,試し撮りしたM42を掲載しておきます.思った以上にきれいに写っており感動した.30年前この星雲を撮りたくて,しかしうまくいかなくて,いつも人が撮影した写真をみてうらやましく思っていたものだ.30年間の技術革新により,こんなにも簡単に写真が撮れるようになったことに対して,あらためて感動した.そういえば話は変わるが,やはり子供の頃の夢として,自分は捕獲したクワガタムシに卵を産ませて,幼虫,さなぎ,成虫と変化する姿を観察してみたいと思っていた.しかしどんなことをしてもそれは実現することができず,夏の間100匹近くクワガタムシを捕っても,秋にはすべて死んでしまいそれで終わりであった.先日一昨年の夏に捕獲したノコギリクワガタが生んだ卵から生まれた幼虫がついに成虫になった.3月にこんなに立派なオスのノコギリクワガタが家にいるなど信じられないことである.子供の頃の夢が30年の年月を経て,最近次々と実現している.うれしいとともに,自分の精神は子供の頃とあまり変わっていないものだと恥ずかしくもなった.

4月
17日:仕事は最近特に多忙を極めている.午前中に60人を超える外来患者を診て,その中から入院させて治療を行わなければいけない患者を拾い上げ,午後2時前に一段落したら,今度は子供の予防注射の判定.その後外来患者の検査データを確認してカルテ整理を終わったら3時半.その後病棟のカルテ整理,処置などで仕事を集中してやり始めようとしたら,休診にもかかわらず診療を希望して来た患者のために再び外来へ.病棟は常に満床.昨年度は売り上げが13億弱と過去最高となった.しかしこのままいくと,体がついて行かないかもしれない.2−3ヶ月体調不良が続いており,朝ランニングをしても,満足なタイムでは走られなくなっている.それでも仕事のことを忘れるためもあって,夜は暇があれば望遠鏡を持ち出して星を見て,撮影を行っている.寒い中長時間じっとしていて,さらに機材を撤収したあと,撮影した画像の確認と画像処理を行うので,床に着く時間が自然と遅くなってしまう.星を見ない日は当直があるので,おのずと慢性的な睡眠不足に陥っているというのも体調不良の原因だろう.しかし寝不足になっても,望遠鏡を操作しているときは,子供に戻ったような気がしてとても楽しい.先週は内科学会での発表のため東京に行ってきたが,ついでに望遠鏡の専門店によって,観測のためにいろいろな機材を購入してきた.カメラのレンズもFisheyeを購入して,どっぷりと趣味にはまりこんでいる.最近ではDVカメラで惑星を動画で撮影して,それを画像処理して静止画を得るという流行のことまでやるようになった.子供も興味を持っており,星空を一緒に見ることは自分にとっても楽しいものである.

5月
3日:ゴールデンウイークは珍しくdutyもなく休めるのだが,疲労感が強く家で寝ていようと思っていた.しかしそうなると必然的に病院の隣の自宅にずっといることになり,結果として毎日病院へ出かけて患者を診ることになっている.帰ってきてもだらだら寝ているのは性格上あわないので,結局病院管理の仕事や論文のまとめなどをちまちまとやっている.あと2日休みがあるが,完全休養しなければいけないのだと自分に言い聞かせている.はたして病院へ行かないで過ごせるのだろうか?5/1は久しぶりに晴れて,休みであったので月がまぶしかったが,山へたくさんの撮影機材を持ち込み木星,金星,M81などを撮ってきた.
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写真は持って行った機材である.今回はデジタルビデオは使用しなかったのでまだ少ない方だが,用意するのも大変である.それでも天体観測は仕事を忘れる唯一の時間となっている.それにしても体調が悪い.毎日ランニングしていてもいっこうにペースが上がってこない.今年のレース計画をたてなければいけない時期だが,こんな状態では全くいつ出場できるかわからない状態である.体のどこかが悪いのだろうか?
22日:仕事は相変わらず忙しい.なぜこんなに患者が増加しているのかはわからないが,記録的な病床利用率を維持している.先日日経メディカルの記者さんから電話をいただき,自分がこれまでやってきた研究について取材をしたいとの連絡をもらい,わざわざ東京からこの田舎の病院まで本当に取材に来た.2時間あまり話をさせてもらったが,感心したのは実に記者さんが勉強をしていることだった.専門的な話をしてもすべてを一瞬にして理解できるし,さらにすごいのはこのHPについても調べたらしく,取材に来るときはHPの一部をプリントアウトして持参していた.まさにプロの仕事の姿勢を見た思いがした.5月号の日経メディカルには,大先生をさしおいて,巻頭の特集として私の記事が最初に載せられている.一般臨床医向けの雑誌だが,興味があれば読んでみてください.

6月
14日:昨日は今シーズンの初レースであった.美瑛ヘルシーマラソンに出場してきた.もう3週間前からかぜをこじらせ,ついに副鼻腔炎まで併発し,最悪の体調であった.タイムは望むべくもないものとあきらめて走っていたが,この時点の全力は尽くそうと限界まで追い込んだ.結果は1時間23分32秒であった.スタートが混み合い,最後尾からスタートしたので最初の5分ほどは満足に走られなかったことを考慮すると,確かにがんばったのではないのかと思う.本日は久しぶりに強烈な足の筋肉痛に見舞われ,また副鼻腔炎が悪化し頭痛と上顎洞周辺の痛みに苦しんでいる.それでも普段の半分の距離であったが,朝の練習は歯を食いしばってこなした.勤務も通常通りこなしたが,階段の上り下りが筋肉痛のためにうまくできず,迅速に行動できないような状態である.
19日:副鼻腔炎を安易に考えていたら,激しい頭痛,眼痛とともに発熱を来してしまい,あわてて抗生物質を開始するとともに仕事以外は安静を守ることにした.熱や痛みは4日ほどで良くなったが,この期間2日ほど練習を休んだ.ここ数年一度も休みなく走り続けてきたので,これはきわめて異例なことである.3日目からはまた走り出したが,体調は最悪である.かといって仕事を休む余裕はこの病院に勤めている限りない.なんとかのりきらなければ.

7月
17日:明日は今年最初のフルマラソンである.先週はやっと少し走れるようになったので,質の高い練習を繰り返したせいか,今週は微熱や右腋窩リンパ節の腫脹など,ウイルス感染が持続している.仕事も相変わらず忙しく,普段の臨床の仕事のほか,病院管理(ついに薬のオーダリングシステムを先週導入した)の仕事,さらには内科学会の仕事(認定試験の採点,アメリカ内科学会入会希望者の審査,推薦状の作成),商業雑誌からの原稿依頼など体をこわしても仕方がないような量の仕事をこなしている.先日は妻の祖母が亡くなったが,仕事があるため葬儀には全く参加できなかった.ここに勤めている限り,親の死に目どころか自分が死にかけても働き続けている気がする.旭川医大から臨床実習で先週学生が二人見学にきたが,このような忙しい状況であまりかまってやれずに実習が終わってしまったの残念であった.地域医療はかくも厳しい状況でなんとか維持されていることは解ってくれたと思う.さて明日のレースだが,出場するかどうか実は迷っている.今の状況ではどう考えても完走できそうにないからだ.練習のつもりでゆっくり走れば完走は可能かもしれない.しかしレースに出場したら,ある程度記録を目指さなければ,走りは無駄になる.レースのスタートは朝8時で,予定では今日中にレース会場(紋別)に車で移動して,車の中で寝てレースに出る予定であるが,それも体力を消耗する原因になるかもしれない.さてどうするかはもう数時間考えてから決める予定だ.
19日:昨日のレースはやはり最悪の結果に終わった.レースに出るからには,ジョギングしてただ完走するのなら意味がないと思っていたとおり,前半はいつもと同じペースで走っていた.しかし30Km地点で完全なスタミナ切れをおこして,足が全く動かなくなった.それ以降は5Km30分かかるというスローペースになり,なんども棄権を考えた.しかしそれだけは避けなければ,レースに出場した意味もなくなるので,苦しみに耐えながらなんとかゴールした.記録は3時間38分であった.まずは体をしっかり直して,次のレースに備えたいと思う.足のダメージはあまりないので,本日はいつもより少ない量ながらも練習もした.レースで失敗すると,自分の課題が明らかになり,また挑戦したいという気持ちになる.決してこれでやめにしようとは思わない.

8月
12日:体調不良が続いている.右腋窩のリンパ節の腫脹,倦怠感のため満足なトレーニングができないなどの症状が今年に入ってから数ヶ月続いている.風邪も頻回にひくようになっている.やはり仕事が多すぎるのが負担になっているのは間違いない.先週は3日間だけ休みを取って本当は完全休養したかったのだが,家族サービスで長時間車を運転したりしたので,疲労がさらに蓄積しているようだ.それに加えて今年は記録的な暑さで,毎日のランニングも非常に厳しい状態になっている.いつになったらこの体調は元に戻るのだろうか?

9月
13日:体調不良は相変わらず,仕事に忙殺される日が続いている.このままの状態で仕事を続ければ,体も精神もそう長くは持ちこたえられないことは良くわかっている.仕事を辞めるときは,患者と誠実に向き合えなくなったときだと思う.今はまだ愚痴をこぼしながらもその患者個々に対して真に一番良い方法を探り,それを実行できているから良いが,一度でも面倒だからもういいだろうと思い始めたら,自分はきっぱりとこの仕事を辞めようと思う.今はもう近々やめても仕方がないかとも思い始めている.相当疲れている証拠だろう.決して抑うつ的,悲観的になっているわけではなく,淡々と地域医療の現実だとか今の医療の現実を直視しながら,きわめて冷静に自分を眺めている.そんな中で体調は悪いながらも最近二週間は,やっとほんの少しまともに練習ができるようになり,昨日はレースに出場してきた.ハーフマラソンを1時間22分50秒という今の調子なら上出来のタイムで走りきることができた.昨年はハーフマラソン二回走り,二回とも21分前半で走れていたことを考えればまだまだである.この後もう一度ハーフマラソンを走って,10月にフルマラソンに挑戦する.体調がこのまま上向けば良いのだが.

10月
9日:10/3は今シーズン最後のレース,別海パイロットファームマラソンに出場してきた.9月からわずかに体調が上向きになって来たとは言え,ベストにはほど遠く腋窩リンパ節の腫脹が時折強くなったり,下痢を起こしたりといった慢性疲労症候群のクライテリアのいくつかを満たすような相変わらずの体の状態であったので,完走するのもきびしいのではないかと思っていた.体調不良が続くと精神的にも病んでくるので,それを少しでも解消しようと,まだ体力十分あることを確認しようと8月下旬には朝20Kmのランニングの後,10Kmの荷物を背負って斜里岳登山をこなしたり,先週は近隣の町でのローカルレース(ハーフマラソン)に出場してタイムを別にして2位に入賞したりということを繰り返して自信を取り戻そうとしていた.そして迎えた最終レース.当日は気温15度曇りという絶好のコンディションであった.昨年は3時間12分58秒という久々に良い記録を出しており,今年は体調が良ければ3時間10分を切るという目標をこの一年掲げてきた.しかし体調は元に戻らなかったので,なんとか完走を目標にしようと思っていた.最初の5Kmのラップを時計の押し間違えから計測できず,いきなり自分のペースがわからないままレースに突入してしまった.ペースがわからないから不安で,今のペースがひどく遅いのではないかと思いはじめて,自然にペースがあがってしまった.そのため中間点で確認すると3分以上も昨年のペースを上回っていることに気づいた.ここまできたらもうこのままのペースでつぶれるのを覚悟でとばしていくしかない.後半も計ったように,22分7-8秒というペースを刻み最後の2.195Kmは8分41秒で走り抜けた.記録は3時間7分50秒.実に28歳以来の3時間10分以内の記録であった.ゴール後も十分余裕が残っていて,もう二時間台の記録が見えた気がした.41歳を過ぎて自分の全盛時の記録にじわじわと迫ってきている.この一年の努力が報われた気がして,実に感動的な一日であった.また次の目標に向かってシーズンオフの練習に望む意欲が沸いてきた.
31日:先週は消化器病学会の発表のため福岡に行ってきた.台風のために移動が大変であったが,幸い何とか予定を大幅に変更せずに行ってくることができた.2000年からしばらく日本の消化器病学会でも機能性消化器病に関する基礎的,臨床的な演題がシンポジウムを含めて定期的に一定の数見られていたが,ここ一二年はまた昔の状態に戻ったようで,私が専門とする領域の研究はなりを潜めているようである.そのため自分の演題は他とは全く関連性のないセッションに組み込まれて,座長もちんぷんかんぷんである.やはり日本はアメリカのような状況にはいつまでたってもならないようである.もちろんこれは日本の消化器病学会のレベルが低いからという意味ではない.ただfocusが狭い.以前acceptされていた論文がついに今月号のGastroenterologyのimage of the monthに掲載された.この論文はGastroenterologyのwebから今月号のページに入れば無料で読むことができるので,興味があれば読んでほしい.仕事は相変わらず忙しく,そのストレスを発散するために,写真や天体観測,ランニング,コンピューター,音楽など様々な趣味に興じている.もちろん時間が十分あるわけではない.時間をぎりぎりでやりくりして仕事と両立させているのである.そのため休息時間は減っている.しかしストレスはただ休息するだけでは緩和されないことが最近解ってきた.陸上競技でよく言われる積極的な休養−つまりある程度の負荷をかけた状態の方が,より良く休息が得られる.そのための趣味である.釣りも最近子供と良く行くようになり,先日はサケを釣り上げた.
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自宅から15分ほどの漁港にサケが入り込み,ルアーで入れ食いの状態であった.3匹釣り上げ,写真はメスのサケで,他の獲物はリリースした.腹を割くと立派なイクラがたくさん詰まっていて,おいしく頂いている.学会で行った福岡では,一年前にEOS10Dというデジタル一眼レフカメラを買ったばかりにもかかわらず,新機種のEOS20Dを衝動買いしてしまった.8月には50万近いコンピュータ(ThinkpadT42P)を論文がacceptされたお祝いと称して購入している.物欲の嵐が吹き荒れている.仕事をまじめにやっているから,自分に対して褒美を与えているという口実で,自分を許している.

11月
21日:仕事が忙しい.休む暇がないという感覚.外来は日によっては午前中だけで80人を超えることもある.なるべく患者を増やさないように,他病院へ紹介するようにしているが,地元には紹介できる医療機関もなく,どうにもならない状態である.町民がなんとか自己管理をきちんとしてもらい病院へ来る回数を減らしてもらうしかない.ストレスもたまるので,発散のため趣味の時間をなんとか確保するようにしている.撮りためた天体写真をアップロードしたので,興味ある人はここで見て欲しい.天体写真は撮影するのが大変であるが,できあがりをみるとその苦労も忘れるほど美しい.

12月
30日:昨日で通常診療は終了.12/30,31と休日当番をして,1/1-4まで正月休みとなる.この期間はそれぞれの実家へ帰省に充てられ,本当の意味での休養とはならない.先日10月に投稿していた論文の結果が帰ってきて,refereeのコメントは2人とも非常に好意的であり,指摘されたところをreviseすれば,acceptされそうである.今年は自分としてはなかなかのproductivityだと思う.片田舎の病院で忙殺されながら,academicな活動もそれなりに続けていると言うことに対して,もっと自分をほめてやっても良いかなと思った.しかしこれを口実に褒美と称して物欲に再び火をつけてはいけないので,気を引き締めているところである.今年を振り返ってみると,体調不良が続き,ランニングもままならないことがあったが,最終レースではすばらしい記録で走ることができたし,Gastroenterologyに論文が載ったし,もう一本もacceptされそうである.今年後半になって努力が実を結んできたような気がする.終わりよければ全てよしとなるよう,あと2日きちんと仕事をしたいと思う.それにしても最近は寒い.早朝のランニングは非常に厳しい.
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このように今年は雪は少ないが,風が強く地吹雪となることがしばしばある.風速10Mを超えると体感温度が異常に低下するとともに,風で道路の中心部へあおられることもしばしば.なおかつ路面が凍結しているので,すぐに止まることもできない.それでも自分は冬が嫌いではない.自然から自分の意志や精神,体を試されているような気がするし,そしてなにより景色がとても美しくなるからである.
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晴れた日,雪が太陽に照らされてきらきら光っている.こんな景色を見ながらランニングを続けていると,自然と幸せな気持ちになってくる.



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