私の留学体験記
これはある雑誌社に依頼されて書いた原稿に,加筆訂正を加えてHTML化したものです.
留学までの経緯
私が留学を考えるようになったのが1994年頃でした.学位を取得してから2年,臨床医として救急病院で診療を続けるうちに,再び基礎研究に身を置きたいと考えるようになったのがその理由です.臨床医として活動していると,疾病の治療や病態についての純粋な疑問が次々と沸き起こってきます.それらの解明のために研究活動に入りたいという希望は年々強くなっていきました.ところがこの頃,様々な事情から自分の所属する医局で,希望の研究が将来的にもできないことがわかった私は,留学してその夢を実現しようと考えました.しかしこれは所属する医局の意向に反する事になります.結局組織の中に身を埋めて生きるより,あくまで自分の思い通り進むことを選択し,それまで8年間所属した大学医局を辞めました.それは,これから留学するまで手続きや留学中の経済的な負担などを,全く個人として何の支援もなく解決していかなければならないことを意味していました.もちろん日本に帰ってからの仕事や収入の保証もありません.幸い,私の良き理解者である大学の先輩が私を応援してくれ,留学に手を貸してくれました.留学先は,私が興味を持ってこれからやろうとしていることができるところを,先輩と相談してUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の消化器病研究センターと決めました.この領域では世界でトップレベルの研究所です.ここの教授は先輩が学会等で面識があったため,私の紹介の手紙を書いてくれました.幸運にも給料は出せないが受け入れを承諾してくれることになり,具体的な手続きに入ったのが1996年の4月でした.様々な手順を踏んで何とか自力でそれを乗り切り渡米したのが1996年10月4日.一人で巨大なロサンゼルス国際空港に降り立ちました.
渡米後
渡米してからもたくさんの困難が待っていました.家探し,電話,ガス,電気,銀行,運転免許証の取得など日本とシステムが全く異なっているため,言葉の問題と相まって何をするにも手間と時間がかかりました.仕事も動物の管理,麻酔の方法,薬品の注文の仕方など事務的なことを覚えるだけで最初の2-3ヶ月は過ぎてしまいました.それでもこちらに来てから11ヶ月で,自分の仕事が教授に認められたのか,少ないながらも給料がもらえるようになり,研究も少しずつ軌道に乗っていきました.家族もこちらに呼び寄せ,子供も幼稚園に通うようになり,渡米後一年8ヶ月の今はすっかりこちらの生活に慣れてしまいました.
こちらでの生活
研究室はfellowが10人で国籍,人種は様々です(アルメニア,エチオピア,中国,スペイン,フランス).私の研究室が特別なのかもしれませんが,出勤時間は自分の都合に会わせて,帰宅時間も自分の仕事が終わったら帰ると言った感じです.それでも勤勉な人が多く,週末でも仕事をしている人がたいていいます.しかしそれは教授から強要されているわけではありません.実験テーマもかなり自由で,最近の私は自分のアイデアで実験を進めて,良い結果が出たら教授に報告し,それについて次にすべきことや結果の解釈などについての示唆を与えてもらうという手順で仕事をしています.2週に一度, labo meetingがあって,それぞれ自分の仕事についてpresentationして互いに検討しあいます.とにかく研究三昧の生活ができるのが何よりの幸せです.私が今住んでいる家は,UCLAが管理している,妻帯者のみ入居できる新築アパートです.2 bed roomでガス,水道,ケーブルテレビ込みで家賃は755ドルです.住宅事情が悪いロサンゼルスではかなり安い方です.広大の敷地の中に3階建てのアパート群が並び,コインランドリー,プール,play ground,コミュニティールーム,バスケットコート,バーベキューコーナー,コンピューターラボなど,至れり尽くせりの設備があります.このほかにも大学は幾つかののアパート群を持っています.
研究施設とコンピューター環境
私の研究室はUCLA Campusより少し離れたところにありますが,建物自体は非常に古くお世辞にもきれいとはいえません.UCLAの研究室でも実験をしたことがありますが,こちらは新しくて快適でした.UCLAのキャンパスは広大で緑が多くすばらしいところです.テニスコート,野球場,フットボール場,サッカー場,陸上競技場,体育館,アスレチックジム,プールなどスポーツが盛んな大学を象徴するような設備が目白押しです.大学では日刊の立派な新聞も発行しており,大学周辺やcampus内のstandで無料で配られています.UCLAの職員,学生は無料でインターネットを使用することができ,e-mailアカウントとサーバーに3MBまでの個人用のホームページスペースも提供されます.ISDN,56Kともに対応していて,回線もcapacityが大きいので快適に接続できます.研究室のコンピューターはLANで接続されていて,128Kでインターネットに接続できます.自宅ではダイアルアップ接続ですが,電話代が月額20ドルの固定制なので何時間接続しても追加料金はありません.UCLAの図書館にtelnetで入って文献検索して,その結果をまとめてmedline形式でe-mailで送ってもらい,それをそのままEnd NoteやReference Managerなどの文献データベースソフトウェアで読み込むことができるので,論文作成が非常に楽になりました.コンピューターは殆どがPCで日本人研究者が若干Macを使っているに過ぎません.ちなみに私は両方を使っていますが.
こちらで生活すると言うこと
日本での常識はこちらでは全く通用しません.お役所を含めて,この国ではずさんな仕事があまりに多く,私は今まで数々のトラブルに遭遇して,それをなんとか自力で克服してきました.この国では自分の与えらた仕事でさえも,責任を持ってやり遂げるという精神が乏しいように思います.しかし良い点もたくさんあります.カリフォルニア州は消費税が8.25%ですが,食料品には課税されません.嫌煙権が厳格に認められており,公共の場(空港,レストラン,研究所,大学などの屋内)での喫煙が禁止されています.こちらで暮らすということは,minorityに身を置くということですが,不思議なことに渡米してから日本の良いところがたくさん見えてくるようになりました.変な意味ではなく,純粋な愛国心と呼べるようなものも,自分の中に芽生えてきたような気がします.仕事とともに,このような精神的な体験は留学しなければ一生得られなかったことでしょう.
最後に
あと1ヶ月で帰国することを思うとほっとした気持ちもありますが,ロサンゼルスを離れるのが寂しくもあります.全くの個人で留学を思いついて自力でそれを実現したというのは,自分にとっても大きな経験でしたし,これから留学を考えられている方々にも多少の参考になるのではないでしょうか.こちらはコネなんかなくても良い仕事をすればきちんと評価してくれます.周囲の状況が複雑で自分の夢を実行に移せないと思っている人でも,少しばかりの勇気と根気があれば留学の夢を実現できます.
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