大正の詩人萩原朔太郎に『商業』という題の詩があります。
『商業は旗のやうなものである。』という一行ではじまるのですが、学生
時代友人にこの詩を教えられてから数十年の間に、ときどき思い出す、なか
なか刺激的な一行です。大正の時代、商業ということばは、新しい響きをも
ったことばだったと思われます。この詩の中で、商業は時代の新しい息吹き
を運んでくるものとしてイメージされています。商業→海外との貿易→船→
船のヘサキにはためく旗・・・・というイメージの展開が行われ、旗は未来
、冒険、希望、憧れの映像として描かれています。
私は、CIは旗のようなものだ、と思います。CIは、企業にとっての未
来、冒険、希望、憧れを象徴的に指し示すものです。自分の企業はなにか、
なにをめざすのかを明確にし、その旗印を高くかかげます。そして、この旗
の下に集まれ、と社内外のひとびとに呼びかけることなのです。
旗はまた、敵と味方を識別し、自らを明確に鮮やかに表現します。この旗
の下に企業のあらゆるコミュニケーションが展開され、企業の共通認識を育
てることで強力なマーケティング展開が可能になるのです。
アメリカにチェサピーク・オハイオ鉄道という会社があります。少し古い
データですが、自分の企業と社会とのコミュニケーションを推計したところ
、1年間で40兆回という数が出たそうです。このなかには、広告や報道は
もとより、従業員、商品、建物、施設などさまざまなものがコミュニケーシ
ョン媒体としてカウントされています。しかも、あくまでもこれは社外に対
するコミュニケーションにすぎず、社内のさまざまなコミュニケーションを
加えれば、その数は数倍にのぼるでしょう。このように、企業によってその
回数に差はあるにしても、企業はさまざまな局面でさまざまな対象とコミュ
ニケーションを行っています。そしてこの無数といってもいいコミュニケー
ションの総和として企業のイメージが形成されるのです。これらのコミュニ
ケーションを戦略的にコントロールし、企業の統一イメージや社内の意志統
一を図ることの重要性が最近ますます高まってきました。
現在CIはブームといっていい状況にありますが、この背景には、今日の
企業経営から、未来や冒険、希望、憧れが薄れつつあり、逆にそういったも
のへのニーズが高まりつつあること。企業経営にとってイメージやコミュニ
ケーション、つまり情報が、人、物、金に次ぐ第4の経営資源として無視で
きない重要性を持ってきたことの2点があると私は考えています。
日本のCIの先覚者のひとりでもある、PAOSの中西元男社長に伺った
話をもとに、CIの歴史を振り返ってみましょう。
CI(コーポレート・アイデンティティ)は、アメリカで生まれた経営戦
略の手法です。そのルーツはドイツの建築・デザイン研究所『バウハウス』
のデザイナーたちの思想にさかのぼることができます。第2次世界大戦でア
メリカに亡命したバウハウスのデザイナーたちが、今日のCIシステムの基
礎づくりに携わったわけです。
もともとアイデンティティというのは心理学の用語で、どちらかというと
個人のためのことばとして受け取られていました。それを、コーポレートと
いう組織体に適用したわけですから、はじめは非常に新鮮を印象を与えたよ
うです。たまたまCIの最初の事例であるIBMが鮮やかな成功を収めたこ
ともあり、60年代から70年代にかけ、アメリカの大企業は続々とCIを
導入しはじめました。業務領域の変化に対応して社名を変更したり、デザイ
ンを新しくすることで企業イメージの革新をはかることが初期のCIの主な
関心事でした。
当時のIBMのワトソン社長は、五番街のショーウインドでオリベッティ
の商品を見て、デザインのもつ不思議な力とそれを経営に応用した場合の有
効性を感じたとされています。CI導入前1950年頃のIBMのショール
ームには、古臭い東洋風のカーペットが敷き詰められ、ガタピシいいそうな
什器類の並ぶなかに最新鋭のコンピューターが展示されているという状況だ
ったそうです。これを見てワトソンは、時代の最先端をいくコンピューター
を扱っている以上、ショールームは勿論、工場も、セールスマンの持つパン
フレットも鞄も、あるいはセールスマン自身も時代の最先端を感じさせるも
のでなければいけないのではないかと考えはじめたわけです。ひとりの人間
であれば、着るものも、いきつけの店も、たばこのブランドも、読書の傾向
も、その人の趣味嗜好や主義主張でアイデンティファイされている。企業も
おなじようでなければいけないのではないかというのが彼の考えかたでした
。たまたま当時のIBMは機械式の統計機からコンピューターへの切り換え
の時期であり、また、国際化の推進も重要な経営課題でした。そこで、19
56年、企業の呼び名を統計機を連想させるINTERNATIONAL
BUSINESS MACHINESから、斬新でどこの国でもたやすく認
知できるIBMの3文字に変更し、これを核とした新しいデザインシステム
を、企業活動のあらゆる面に導入していったのです。
これに続き、例えばRCAは大規模な企業調査に基づき、RADIO C
ORPORATION OF AMERICAから社名を変更しました。そ
の時点でラジオの売り上げ構成比はすでに4%を下回っていました。社名変
更だけでなくVICTORの商標や犬と蓄音機の有名なマークは、すでに陳
腐化しているとして廃止し、新たなマークを制定し今日に至っています。更
に、『ENVIRONMENTAL STANDARD』というオフィスレ
イアウトのマニュアルをつくり、オフィス空間のデザインにまでCIを適用
しました。
マクドナルドのデザインは社名ロゴタイプ(専用表示書体)の先頭の黄色
いMの字に特徴を持たせています。今の日本の子どもたちは誰もあの文字全
部を読んではいません、あのMの字を見ただけですぐマクドナルドとわかる
仕掛けをつくっているのです。コカコーラの赤いウェーブも同じ効果をあげ
ています。一目みただけでその企業と判別できる、読ませるのでなくパター
ン認識で企業を感じさせようとするのがCIデザインの大きな特徴です。
日本におけるCIは、外資系企業を別にすれば、TDK(旧:東京電気化
学工業)が最初の導入企業といえるかもしれません。昭和42年に総合的な
デザインマニュアルを完成し、対外的な企業イメージの高揚を図り、同時に
急激な成長拡大によって生じた社内体制の歪みの是正を行いました。
昭和46年。合併を機会に導入した第一勧業銀行は、いかめしい銀行のイ
メージから脱皮し、庶民的なイメージへの転換を図りました。ハートのマー
ク、赤のコーポレートカラー、森英恵デザインのユニフォームを制定。コー
ポレートスローガンは『心のふれあいを大切にします』としました。社会的
な注目を浴びた最初のCIといえます。
やがて流通業が盛んにCIを導入しはじめました。その先頭をきった昭和
47年のイトーヨーカ堂は、アメリカのCI理論にもとづいて開発された最
初の事例です。株式上場を機に鳩のマークを制定しましたが、このマークは
同じイメージを保ちながらあらゆる媒体に適用できるよう、システム的な配
慮がなされています。
このようにして日本で普及しはじめたCIが、大きな質的転換をなし遂げ
ることになった3つのシンボリックな成功事例が昭和50年代に入りあいつ
いで生まれます。そのひとつがマツダ(旧:東洋工業)です。深刻な経営危
機に直面していたマツダは、そこからの脱出のテコとしてCIをとりあげ、
デザインの変更を社員の意識の盛り上げと連動させつつ実施しました。RX
−7やファミリアなどの新車がヒットしたこともあり、見事に危機から立ち
直り、今日もなお、長期的視点でCIに取り組んでいます。
松屋百貨店は、店のリニュアル政策の一環としてCIを行い、ダイナミッ
クな変身に成功しました。昭和53年、それまで銀座で最大の売り場面積を
もちながら、これという特徴がなかったこの店は、新社長の強いリーダーシ
ップのもと、徹底した社員教育、売り場のレイアウト、ディスプレイの変革
、新デザインシステムの採用などを複合的に実施し、銀座で一番新しいもの
のあるデパート、活気に満ちたデパートとなり、大幅な売り上げ増につなが
りました。
ワコールは昭和54年の創業30周年に向け、第2次創業の意識を社員に
共有させるための文化革命としてCIに取り組みました。1.企業理念の再構
築。2.社内外コミュニケーションシステムの見直し。3.デザインの統一。4.
社員モラールの高揚。の4つのプロジェクトを並行して実施し、4000人
の社員をまきこんだ全社的話合い運動を展開し、組織改革を含む経営刷新を
行いました。CIの作業のなかからフロントホックブラやシェイプパンツな
どのヒット商品が生まれ、また、出版や展覧会の実施、文化施設の開設など
、単なる下着メーカーの枠から飛び出した、多彩で積極的な企業活動を行い
、企業の存在感を強めています。
これら3つの成功事例に共通した特徴は、経営環境の悪化や市場の飽和な
ど、環境変化への積極的な対応策であったこと、デザインに先立つ企業実体
に眼を向けたこと、デザインだけでなくさまざまな経営施策と複合的に実施
したこと、CIによる社内の活性化を重視し、著しい効果をあげたことです
。こうして、デザイン戦略としてスタートした日本のCIは、企業実体の見
直しから入り、企業イメージの向上と、社内活性化との両方の効果を重視す
る傾向を強め、『日本型CI』と呼ばれるようになりました。
デザイン、特に企業のシンボルマークのデザインには、その企業の理念、
将来への希望が現れていなければなりません。企業理念とは、企業が、自分
はなになのか、なにをめざすのか、どんな価値観をもつのか、社会にどのよ
うに貢献しようとするのか、そのためにどうすればいいのかといった、その
企業独自の考えかたや哲学の体系のことです。
高度成長の時代は、企業の進むべき道は明快でした。ニーズに対応して売
り上げを伸ばしていくことが会社をより良くすることに直結し、それがその
まま社員ひとりひとりの生活をより豊かなものにするという一つの構図がし
っかりと組みあがっていたからです。その構図の上に自社ならではの彩りを
与えることがCIの役割でした。そこでは自明な企業理念を受けて、デザイ
ンの方向を検討することからCI作業がスタートしたのです。
オイルショックの後、低成長時代に移行し、企業環境の不透明化が進むに
つれ、この構図は崩れはじめました。従来からの企業理念は企業環境に必ず
しも適応しなくなり、理念は次第に不明確なものになります。こうしてデザ
インに表現するべき企業理念そのものがCI作業の中で検討されるようにな
ったのです。新しい企業理念は単にデザインだけでなく、あらゆる企業活動
に反映されるべきでしょう。こうして、CIは企業活動全体を、その企業の
独自の理念、哲学で統合しようとする経営戦略としての側面を併せ持つよう
になりました。
CIの一環として構築したのではありませんが、この企業理念についても
IBMはすぐれた先覚者です。事業領域を『PROBLEM SOLVIN
G』(企業の問題解決業)と規定し、自らの役割を単なるモノの製造販売で
なく、得意先のニーズにこたえるサービス産業であるとしました。『IBM
MEANS SERVICE』というスローガンはこれを集約的に表現し
たものです。そしてこの目標を具現化するためのポリシーとして『個人の尊
重』『顧客サービス』『完全主義』を掲げ、さらに社員に対しては『THI
NK』のモットーや『BUSINESS CONDUCT GUIDELI
NE』という行動規範などで、仕事への取り組みの姿勢を示しています。
日本のCIで企業理念の検討を行った特筆すべき先行事例として、昭和4
6年の京都信用金庫があります。京都信用金庫は、地域社会との連帯による
相互発展、共存共栄の思想という企業理念を打ち出しました。自らをコミュ
ニティバンクと名付け、『街の文化づくり』運動の中心なっています。そし
て店舗を銀行業務のためだけでなくコミュニティのための施設として開放す
るなど、地域のための積極的活動をデザインの導入と併せ実施し、地方銀行
を凌駕する地元のナンバーワンバンクとしての地位を占めています。
かつて、マークや書体、カラーなどを新しくすれば企業イメージを変える
ことができました。しかし、現在の社会において、そのような表面的な操作
だけではイメージも向上しません。企業のデザインだけでなく企業理念をは
っきりさせること、その心を社員が共有し、これに基づいて企業活動を行い
、的確に社会に伝えていくことによりはじめて、企業は社会的な存在として
認められるのだというのが、今日のCIの基本的な考え方です。もちろん企
業理念は社長をはじめとする経営者が自ら意思決定するべきものです。『C
Iは社長の仕事』といわれる理由もここにあります。
このように、デザイン戦略に始まったCIは、その包含する領域を拡大し
つつ今日に至っています。では、CIの明日はどんな方向へ進むのでしょう
。私は『コーポレートカルチャー』がそのキーワードだと考えています。
コーポレートカルチャーとは、ひとことでいえば『その企業の仕事のやり
かた』あるいは『思考様式と行動様式』のことです。日本語では、企業文化
といういいかたもありますが、『社風』とか『企業風土』という訳が最も的
確かもしれません。社風や企業風土を環境にあわせ改善していく体質変革プ
ログラムがCIの次の仕事になるとおもいます。
つまり、CIは『企業の整形美容』から『企業の人間ドック』になり、こ
れから先、精密な自己評価を踏まえての健康づくり、企業体質づくりの戦略
『企業のアスレティッククラブ』となってゆくのではないでしょうか。当初
から企業体質変革を目的としたCIも、既にいくつか試みられています。
最近の日本のCIの成功例といわれるNTTのCIもそのうちのひとつで
す。民営化を契機に行われたこのCIは、独占のぬるま湯のなかで定着して
いた、親方日の丸体質を打破することを目的とし、すべてこの目的達成のた
めにプログラムが組まれています。
CI導入前、もっとも懸念されたのは、32万人を擁するマンモス企業だ
けに、民営化されても実態はなにひとつ変わらず、相変わらず公社時代の体
質を引きずっていくのではないかということでした。そこで公社時代とはっ
きり意識を切り換えるための仕掛けが必要となります。NTTという名前も
ここから生まれてきました。『電電』という呼び慣れた呼称をあえて捨てる
ことで公社時代と明確に訣別しよう。電電公社が民間企業に変わったのでな
く、電電公社は終焉し、全く新しいNTTという企業が生まれたという認識
を社内外に植付けようというのが、その意図するところでした。
NTTは企業理念をシンボライズしたことばとして『未来を考える人間企
業』を掲げています。これは、これまでは『人間企業』でなかったという反
省のうえにNTTのCIが成立していると考えると分りやすいかも知れませ
ん。例えば、これまでの顧客との対応がお役所的であり、人間のぬくもりが
感じられなかったのではないかという反省。民営化してから番号案内の応対
が良くなったという評判は、この反省から真剣に民間企業としての応対のあ
りかたを検討したことを端的に示すものです。
あるいは、機械や技術を人間より優先していたという反省。電話機もユー
ザーニーズに応えた商品をつくるためさまざまな研究が行われ、相次いで新
商品の発売をはじめています。
更に、組織単位での、決められたやり方での仕事しかおこなわず、創造力
や挑戦意欲など32万社員の人間としての能力を充分生かしきっていなかっ
たのではないかという反省。『カエルコール』や『コケコッコール』などの
コマーシャルに出演しているのは全部NTTの社員ですが、これなども意欲
のある人間はセクションにこだわらず自由に活躍させようとする新しいNT
Tの考えかたの現れです。
こうして、『人間企業』にふさわしい企業風土を築くため、いまNTTで
は意識と組織の二つの面から変革が行われています。意識面では、コンセプ
ト実現のための要件である『ユーザーオリエンテッドな姿勢』『コスト意識
の徹底』『主体性に基づいた当事者意識の醸成』です。従来の官僚的発想と
180度異なるものだけにさまざまな障害もありますし、同時に行き過ぎも
随所にみられますが、着実に根づきつつあるようです。
意識は変えようとしてもそうたやすくかわるものではありません。そこで
組織や制度の面からも、これを推進するための施策が採用されています。た
とえば『現場への大幅な権限委譲』。『事業部制』を導入し事業部に大幅な
裁量権を与えました。公社時代は4000人いた本社の社員を2000人に
半減し、本社でなければ出来ないこと以外はすべて事業部が責任をもって決
定実施するシステムに変更しました。あるいは『子会社の設立』。NTTの
中にいては起業家精神は発揮されないとして、やつぎばやに子会社をつくり
、新規事業の開発に取り組みはじめています。また『人事評価制度の変更』
も行っています。可もなし不可もなしのいままでどおりの仕事のやりかたに
はマイナス点がつき、かりに失敗につながったとしても、積極的にトライア
ルした場合にはプラスに評価されるというものです。
これらの組織や制度の変革は、必ずしもCIプロジェクトとして、CIの
スタッフにより行われているわけではありませんが、CIで定めた理念に基
づき、CIと連動し進められています。大胆な変革だけにこの壮大な実験が
どう結実するか、評価はまだできませんが、注目にあたいすることは間違い
ないようです。
CIを導入する企業は、これまで、消費財メーカーや流通、金融など、消
費者と直接的な関わりを持つ企業がほとんどでしたが、最近になり生産財メ
ーカーや公共企業などの基幹産業でもCIに取り組む企業が増えてきていま
す。その背景のひとつとして、今日の社会でコミュニケーションが、業種を
問わず重要な経営課題になってきたことがあげられるのではないでしょうか
。 かつては良い製品やサービスさえ提供していれば、企業は存在価値を認
められていました。しかし、公害問題や環境問題を契機として、企業の社会
的存在性の認識が深まってきました。社会は企業を、どんな製品を作ってい
るかではなく、どんな人格(これを『法人格』とか『コーポレートシチズン
シップ』と呼びます。)を持っているかで判断しようとしています。企業の
存在とその個性を社会に伝えていくことが重要な時代になったのです。社会
に対し寡黙がちだった素材産業は、その存在感を次第に希薄なものにしてい
ます。この企業の評価軸の変化への対応策として、積極的な社外へのコミュ
ニケーションが求められるようになったのです。
社内を考えてもコミュニケーションの重要性は増大しています。トップ、
ミドル、若手社員の仕事への、生活への考え方はバラバラになってきました
。ハングリーさを失った時代のなかで、目標意識が希薄になっています。こ
れを束ねるためには、企業目標や理念を明確にし、個々人と企業との調和を
図らなければなりません。しかし、素材産業にとって、既存の企業目標や理
念と企業環境との整合性はとれているでしょうか。これまで素材企業は日本
の高度成長の基盤を担い、輝かしい成果を残してきました。しかし、その成
功の大きさの故に、逆に新しい企業環境への適応が難しくなっています。か
つての企業目標が明確であっただけに、新しい目標の設定が困難になってい
るのです。明快な目標の喪失は環境変化へのビビッドな対応力を失わせ、企
業環境との乖離をますます大きなものにしてしまいます。企業目標の社内的
な一致を図り、企業理念の共有を実現するためには、社内コミュニケーショ
ンの活性化が不可欠です。
こうした状況から脱出し、企業をダイナミックに変革するためにCIを導
入しようとするのが素材産業に共通の傾向だと思います。従って、希薄化し
つつある企業理念の見直しにはじまり、企業風土の変革にいたる根底からの
革新をめざすのが素材産業型CIの特質といえるかもしれません。
日本鋼管の状況については、調査中のため、まだ明確なことは申せません
が、素材産業に共通の状況と無縁ではないというのが率直な印象です。であ
るとするなら、企業風土を変革しうるかがCIの成否を決める重要なポイン
トになるはずです。もちろん一朝一夕に変わりうるものではありません。ま
た、変革には幾多の困難もともなうでしょう。しかし、それを乗り越えてな
お革新を指向する強い意志と方法論さえあれば、必ず企業は変革しうるもの
です。それを支えるのは、企業の未来をみつめ、企業のロマンを掲げること
だと私は思います。そして企業の未来やロマンをイメージさせるシンボルが
デザインなのです。
いま、日本鋼管には旗が必要です。社員や取引先はじめ社会に日本鋼管の
未来、冒険、希望、憧れを感じさせ、ひとをかりたて前進させるパワーを持
つ旗印が必要です。日本鋼管のCIに求められるのは、単なるデザインでな
く、デザインを旗印として機能させること、デザインに篭めるべき『意味』
の再構築であり創造だと私は考えています。