イグアスってどこ?
どんなところ?
- 南米のど真ん中で、人々が日本語を話し、日本食を食べ、カラオケやゲートボールに興じる村。サッカーよりも相撲が好まれ、エンリケ・イグレシアスより木村拓也の方が人気が高い。いったい、どんな所なんでしょう?
- 原始林を焼き、大木を斧で倒し、幾多の苦労を乗り越えて、豊かな畑の続くイグアスが生まれました。
目次
イグアスの地理
イグアスの概要
イグアス日本人会
イグアス日本語学校
イグアスの地理
- イグアスはブラジルとの国境から40kmのところにあり、世界三大瀑布の一つイグアスの滝からも車で一時間半ほどの距離にあります。
- 首都アスンシオンへはバスで4時間半。また、商業の街エステ市へはバスで一時間弱。10km離れた場所にはグァラニー空港があり、パラグアイの中では交通の便がよい場所です。
イグアスの概要
- ブリオネスクエという地名はあるものの、一帯は見渡す限りの原始林。
- ここに最初の斧が振りおろされたのは1960年のこと。日本海外移住振興会社(後、国際協力事業団に吸収)が、日本政府直轄の移住地として造成したことに、イグアスの歴史は始まります。
- 1961年 最初の入植者14家族が南部のフラムから転入
- 1963年 日本から直接移住者が入植開始
- 人力のみで森を切り開き、丸太と椰子で作った小屋に住みながらの開拓。何もかも自分たちで手作りしなくてはいけない。何を作れば売れるかもわからない。苦労の連続からのスタートでした。
30年以上前の原始林の中での運動会
- 現在、人口は約1万人で、日系人(約1000人)だけでなく、パラグアイ人、ブラジル人、スイス系移民、ドイツ系移民が混住する町になり、1980年からは市制がしかれています。
- 主な産業は農業。日系農家では大豆栽培が盛んです。また、イグアスは不耕起栽培という環境保全型の新しい農業の「パラグアイでの発祥地」としても知られています。
イグアス日本人会
- イグアスに住む日系人はイグアス日本人会を組織し、生活環境整備や教育・治安・親睦行事など多様な業務を行っています。
- 上水道の運営
- 採石場経営
- 診療所の運営
- 日本語学校の運営
- 道路工事・整備
- 警察への協力
- 紅白歌合戦やカラオケ大会の開催
- 運動会や各種スポーツ大会の開催
イグアス日本語学校
- イグアスには入植2年後の1963年から日本語学校があります。現在は6年制小学校と3年制の中学校からなり、その他に日本語をまったく話せない子供たちのために、小学校入学前の「特別コース」を設けています。
- 現在の生徒数は小・中あわせて176人。非日系の子供も多く通っています。また、日系人だけでなく、この学校の卒業生である非日系の先生も教壇にたっています。
小学生に日本語を教える日系社会青年ボランティアの野間和代先生
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