初めての海外である英国に来て1年ほどになる。その間しかし、特に華々しい異文化体験があったわけではない。英国生活といっても、現在の仕事は日本人学生相手の講義が中心なのだから。1920年代に創立された赤レンガ大学の一つであるレディング大学の旧キャンパスを引き継いではいるものの、内容的にはほぼ日本式の教育を行う本学は、外国仕様のハードで日本語が走るDos/Vのようなもので、英国にありながら日本語環境なのである。こうした事情だから、私が「異文化の中で考え」たことといっても、残念ながらかなり貧弱であろうと思う。異文化への適応も、私よりむしろここに勤めるイギリス人スタッフにとってより現実的な問題であるかもしれない。彼らは、廊下で会えば上手に頭を下げ、我々の、rやvや母音が足りない英語を理解し、日本人相手には自己主張をややマイルドにする術も身に付けている(人によっては名刺交換だってこなす)。一方、私にとって英国は、適応を強いられる異文化というより、この‘逆−長崎の出島’を拠点に気まぐれに行う参与観察のフィールドという感じなのだ。
私は、ここしばらく子どもの社会化の問題を会話分析の視点から研究している。研究者によるそれ以前に社会成員自身による会話分析という営みがあり、それが社会化の重要な契機ではないか、といったような問題設定である。皮肉なことに、英国に来てからの私自身の経験は、その格好の素材であるように思える。来たばかりの頃、打ち合わせや会議などで私は多くの時間‘会話分析’に専念していた。英語で進行する会話についていけず、しかたなく私は、同僚達の話し方や表情・身振りを観察し、周りに遅れぬよう笑ったりうなずいたりする手がかりを探していたのである。会話内容がざわざわとした雑音として背景に退き、会話の形式的特徴やキューとしての表情や身振りなどに注意が集中する。そのとき、会話の図と地は反転しており、また会話に先行して‘会話分析’がある。大人達が笑うと訳がわからないまま周りを見回しながら空笑いをする現在1歳の我が子に、おそらく私はとても近かったのだろう。乳幼児にとって大人の会話がどう映っているのか、いくぶん想像できるような気がしたものである。メンバーが行う‘会話分析’は、私にとっては研究方法であるよりは研究対象なのである。
話は変わるが、最近ゴルフを始めた。せっかく本場にいてやらないのはもったいないと、日英のシングルプレーヤーに両腕をつかまれるようにしていきなりコースに出た。しかも、ハットフィールド・カントリークラブという会員制コースでのコンペである(本学の理事=スポンサーはゴルフ場も経営しているのである)。新ペリヤとかいうハンディキャップ算定方式で行われ、私も賞をもらった(実スコアは凄いので内緒)。生来、練習と名のつくものがきらいですぐゲームをしたがる私にとっては、願ってもないスタートだったかもしれない。イギリス人にとってはしかしままあるケースのようで、少なくとも、ルールを学んで、道具を揃えて、練習場に行ってフォームを固めて、という人などいないらしい。そもそも英国にはゴルフ練習場などほとんどないし、あっても誰も行かないだろう。そこかしこにコースがあるし、パブリックなら料金も10ポンド前後でできるからである。だから皆(親に連れられた子どもなども)思い思いの格好・スイングでコースを回る。日本のゴルフ事情を知る人には羨望の目で見られるかもしれないし、あるいはめちゃくちゃなやり方だと思われるかもしれない。しかし考えてみると、メンバーシップの割り振り方としてはこちらの方が自然かもしれないと思う。子どもが地域の仲間集団に入るとき、何かの規約を読み、トレーニングを積んでから、というわけではないし、多くの遊びでも‘おまめ’とか‘みそっかす’といった形でハンディを与えられながらもいきなり本番に参加するのではないか、また実際にその中に入ることでふるまい方を学ぶのではないか(ちなみに聞いてみたところでは、英国でもこうした遊びへの参入の仕方をするが、それを表す特別な名前はないようだ)。また何より、乳幼児の日常世界への参入−受け入れはどちらの方法に近いか明白だろう。もしあるゲーム・集団に参加しようとするとき、前もって共通のルールへの習熟や既存のメンバーと同じ行為様式が厳格に要求されるなら、そもそも誰もそのメンバーになれなかっただろう。遊びにしろ、日常生活での会話にしろ、メンバーではなかった者がメンバーになるという過程は、ありふれていながら謎めいたもののように思えてくる。そんな訳で、社会化研究者としての私は、スポーツや遊びへの具体的な参入−受け入れの仕方、メンバーシップの質・配分といった問題に興味を持ち、プレイグループでの上の子の様子を観察したり、自らゴルフをしたりしている(後者はあまり関係ないかもしれない)。
さてこうしてみると、結局私が英国で考えたことは、異文化ゆえに浮かんで来た事柄というより、これまでの問題意識の延長線上にあるものばかりだ。私の異文化体験の希薄さは、‘出島’という境遇のせいでも、年齢のせいでもなく、私の感性の鈍さ・頑固さゆえなのかもしれない。あるいは、異文化そのものにもはっきりとした境界などないのかもしれない。日英の文化が違っているというなら、たとえば学会ごとに文化が違うし、我が家でも私達と子ども達のそれも違っている。私はどうも、英国という異文化を明確な形で輪郭づけられない。日々体験することは、英国という異文化の発見とそれへの適応というより、その多くは人間の相貌をもった、個々の小さな異文化との場当たり的なつきあい方の発明の連続であるように思える。手許にあるありあわせの形式を動員したり手直ししたりして、互いが抱き合う‘違和’に橋をかけるこれらのいとなみを異文化体験と呼ぶなら、程度の差こそあれ生まれてからずっと毎日の生活でやっていることなのだ。ただ、いま改めてそう考えさせられるのは、やはり英国という異文化にいるからなのかもしれない。