私は身体が弱い。気持ちもくじけやすい。イギリス人のように冬でも雨の中を傘をささずに歩くなどという芸当はできないし、徹夜をして原稿を仕上げたりする体力も気力もない。しかしそれでも、ちょっとした冒険はできるものならしてみたい。
ここで紹介するのはご同輩、そんな情けなくもわがままなあなたに贈る‘部屋から一歩も出ずにする冒険’だ。
とは言っても身構えることはありません。J.C.リリーのように五感を遮断するカプセルに入って内的宇宙を「アルタードステーツ」しようというのではないし、マジックマッシュルームなどに頼ってトリップをするわけでもない。もっと健康的な、チープトリックな冒険──テキストという小宇宙の旅である。
コンコーダンスと呼ばれる書物がある。ベストセラーにもなった『知の技法』にも紹介されているように、それは、聖書やシェイクスピア全集など様々な文献にあらわれる単語や表現などに関する詳細な索引であり、文献学や文学研究などの重要な資料となる。複数のコンコーダンスを縦横に用いれば、言葉の意味の歴史的変遷などを探ることもできる。これまでに蓄積された膨大な言葉=テキストという小宇宙を旅する便利な道標というわけだ。反面、コンコーダンスを1冊手にとってみればわかるようにその作成には数世代にもわたる地道な努力を要する。図書館ならともかく自分の部屋にこの大部の書物を多数持ちこむのも無理な相談だろう。幸いなことに現代では片手でもてるほどのコンピュータがあり、CD−ROMやインターネット上に世界中の多種多様なテキストファイルがあがっている。後はコンコーダンスに代わる小道具を用意するだけでよい。
VZや秀丸などの高速なエディター、grep や sed といったソフトはいずれも重量級ワープロの百分の1ほどのサイズだが、うまく使えばコンコーダンス以上に縦横無尽、融通無碍、電光石火にテキスト世界を探検できる。ここではそれらにちょっとした工夫を加えて、小道具をいくつか作ってみよう。最初はテキストに出てくる単語や表現の頻度を求めるバッチファイル。ワープロかエディターで次のように入力し、HINDO.BAT という名前で保存してほしい。
sed s/[^ァ-ヶー々亜-K]+/\n/g %1 |ssort /^$/d |uniq -c |ssort /r
そしてコマンドラインから、
A> hindo FILENAME(テキストファイル名)
とすれば、登場頻度の高い順に回数とその用語が出てくる仕掛けだ(アスキー誌上で Hortense Endoh 氏が AWK で書いたスクリプトを参考にしました)。単語の区切りが日本語ではわかりにくいため、上のスクリプトでは漢字やカタカナを切り出すようになっている。例として90年から96年までの日経新聞の社説にどんな単語がよく出てくるか試してみよう。全社説項目をテキストファイルにしたものを用意し (1)"ヒンドバット"してみる。
15 提案 15 出発 15 行財政改革ゼロ 15 環境保全型援助 6 問 6 必要 6 行革選挙 ...
この‘ヒンドバット’に必要な sed や uniq などのツールは、ジェントル赤木・テンション高藤両氏に入れてもらっているのでPCルームで即使えるはずである。
ところで、シェイクスピア=フランシス・ベーコン説というのをご存じだろうか。日本では東洲斎写楽別人説というのがあるが、あの天才的な戯曲の数々が本当に一介の役者によって書かれたのかと疑問視する人が多いのである。ある論者によれば、ベーコン──同時代人でもあり、書き手としては申し分ない──は、ペンネームをつけるに当たって聖書(もちろん当時の英訳版)を暗号表にしたという。賛美歌46番の46番目の語が shake 最後から46番目が speare、合わせて Shakespeare としたと言うのだ (2)。誰もが知っている書物の中にこうした暗号を探すというのはスリリングな作業であるが、徒手空拳で挑むのはいささか辛い。というわけで我々は電子ファイル化された聖書を用意し、コマンドラインから次のようにタイプすることにしよう。
cgrep -t "shake|speare" BIBLE.TXT
聖書の中で shake か speare を含んだ行を残らず抜き出してくれるはずだ。タグもついているのでどの部分からのものかが分かるし、エディターでそこまでジャンプすることもできる。逆にシェイクスピア全集の中に Francis Bacon の痕跡(イニシャルやアナグラム等)を探してみるのも面白い。sed や cgrep などは他にも色々なことができる便利な道具だ。あぶない表現は部分的に伏せ字にしてしまう ken'etsu.bat(英語版のみ完成)、中国の歴代皇帝が自分の本名を書くことも話すことも禁じた諱という慣習を再現する imina.bat なども紹介したかったが、機会を改めることにしよう (3)。
Return to Home Page