5月1日 メーデー
5月10日 育児日記
5月17日 五月は毎年気が重い.
5月22日 ジェフベック普及委員会大阪オフ
5月1日 メーデー
小学校,中学校,高校,大学と,カレンダーにかかれている「メーデー」とは一体何?と思っていたものだが,つまり,労働者がGWをちょっとでも長くとるためのお休みだったりする.
というわけで,息子は保育園へ行って,私は梅田のKEY楽器へ行った.KEY楽器は最寄りの駅は梅田大阪であるが,駅から歩いて15分くらいの所にあって,ちょっとはずれの位置にある.そんなわけで,前にこの日記にも書いた三木楽器を利用していたのだが,前にこの日記に書いたように,三木楽器には見切りをつけたので,KEY楽器にまでちょっと足をのばした.
KEY楽器はギター専門なのか,三木楽器より,広いフロアにエレキギターばっかりおいてある.しかし,ストラトキャスターの占める面積は三木楽器と同じくらいだったかな.お客さんが少ないせいか,ギターをみていたら,すぐに店員がとんできて,「何かお探しですか?」ときいてくる.
三木楽器の店員さんは,ギターがうまい人なんで仕方がないかもしれないが,ちょっとばかにされたような気がしたものだが,KEY楽器のにーさんはとってもフレンドリーっぽい人だった.それで,私も気軽に,アメデラ(アメリカンデラックス)のことを聞くことができた.しかし,やはりアメデラはKEY楽器でも1台しかおいていなかった.現在フェンダーは昔のモデルの復活フェアーみたいなのになっていて,その手のモデルばかりおいていた.(どこの店もそうである)もちろん,ごっつ高いECモデルなんかもどこの店も必ずある.しかし,アメデラはほとんどおいていない.
店員さんも,フェンダーの最近の動向とか,ブリッジやアームの話を親切にしてくれた.そして,アメデラについては,山野(フェンダーの総代理店)に問い合わせてくれるということで,連絡先を教えておいた.
そのとき,2000年正月ライブの際,いっしょにギターをひいてくれた人が高知のフェンダーフェアでアメデラを買って,すごく調子よかった話などをしておいた.
フェンダーの方針なのかもしれないが,便利な機能(ローラーナット,ロックペグ,ロッキングアームなど)はアメデラといった,最高機種にしかつけてくれない.私は安いギターでこれらの機能だけついていていてくれればよいと思っているのだが,ミニカに革張り椅子はオプションでもつかないくせに,デボネアには最初からついてくるというのと同じで,貧乏人に贅沢は許されないのである.
家に帰って1時間位すると,すぐにKEY楽器から電話がかかってきた.私は電話に出たときに,セキュリティのため,すぐに名字を言わないようにしているが,それなのに,彼は私の声をはっきり覚えていて,「けいこさんおねがいします」ともいわず,「KEY楽器の○○ともうします.さきほどのアメリカンデラックスの件ですが」と切り出した.すばらしい!KEY楽器えらい.
結局注文生産しかないとのことだった.高知でやっていたフェアは多分,山野を通さない並行品とのことだった.並行品は安いが,メンテを一切受けられない.(不良品の交換はもとより,部品の交換サポートもない.)電話の内容自体はがっかりだったが,KEY楽器のサービスの良さは目を見張るものがあった.(単に暇だからか)
5月10日 育児日記
GWは息子にやっと近所の友達ができて,毎日うちで朝から晩まで遊んでいた.うちの近所の子供たちは,
- 3人兄弟が多い.
- おかあさんがきびしい.
- 子供はやんちゃ.
という特徴がある.まず,子沢山家庭が多く,うちのように一人っ子という家はまずない.この辺で,なんとなく,親しくなれなかった.(声をかけてもらえない.)それから,おかあさんがきびしくて,子供たちはおかあさんの前ではぴしっとしている.よく言うことをきく.うちはなめられているので,おかあさんの前では逆にこどもはだらけている.遊びに来た子供も完全に私をなめていて,
「おばちゃんもいっしょに遊ぼう」
といって,仲間にされ,おにごっこやら,ままごとにつきあわされた.さらに,すごいやんちゃで,この点でうちの子供は非常に弱い.どうやんちゃかというと,3才の時点で派手にこけまくりすぎて,前歯が折れて無いとか,4才の時点で自転車をのりまわしていたし,ローラースケートやったり,この間見たとき(5才)は,鉄棒で,さかあがりの連続技をぶんぶん決めていた.おにごっこはいつも裸足で,めちゃめちゃ走るのが速い.私なんか,おにをやっていて,こかされてしまい
「おばちゃん,よわっちい」
といわれた.(-_-;
朝の9時くらいに遊びにきてくれて,お昼に一旦帰り,夜の6時までうちにいるという日が続いた.息子は友達が遊びに来てくれるのがすっごくうれしそうだったが,向こうは3人でやってくるのでいつも圧倒されていた.しかも,息子は運動神経が悪い.
まーくんという男の子にウルトラマンガイアの飛行機をほしいといわれ,ほんとはあげたくないのに,「いや」といえず,ずっと困っていたりしていた.あと,おにごっこをすると,足が遅いので,しょっちゅう鬼になってしまい,泣いて帰ってきたこともある.
保育園でも,家でも常に大人がついているので,子供だけのルールというのに弱いのである.
5月5日の子供の日におばあちゃんが何かかってあげるというのでラジコンカーを買って貰った.すごくうれしくて遊んでいたが,それをその友達がみて「つかわせてー」というので,そのときは息子も使って無かったし,貸してあげたら,息子がすごくふてくされてしまった.以後,「貸してあげるのいや」といって,友達と遊ぶのさえいやになってしまった.
なんちゅう,協調性のないやつ・・・.
こんなことで来年小学校に行けるのだろうか?小学校はこの3人の子供たちと登校することになる.だって,全員同い年なのだから.さらに,この3人のおにいちゃんたちもいっしょである.そんな中で,ほんとに小学校に行くのだろうか.学校がいやになるのではないだろうか.
そんな心配がつのったGWでした.
5月17日 五月は毎年気が重い.
あまり五月晴れのない5月だ.雷雨が多い.さらに,こないだなんか,地震があったぞ.尼崎は震度1ということだったが,あまりの揺れにびっくりして飛び起きたくらいだった.ちゃんと縦揺れがきて横揺れが追っかけてきた.さらに余震まであった.職場に来ても,みんな,「すごい揺れた」といっていた.それでも震度1なのか.何か壊れたとか被害が無かったらしいので,震度1なのだろうか.
阪神大震災以来,ちょっとした地震でもびくっとして,その後,どきどきする.多分,他の人もそうじゃないかなあ.私は年をとるにつれて,臆病になってきたので,そういうのも手伝ってのことかもしれない.
昔,まだ,阪神大震災のないころ,関西の人は地震慣れしていないので,東京などで地震にあうと,とてもうろたえると,東京出身の人が言っていた.東京の人は地震にしょっちゅうあうので,大抵のことではびくつかないが,同じ揺れでも関西の人はとても怖がるので見ていておもしろいなどといわれたことがあった.
その後,阪神大震災があって,以後,関西人はほんとにたびたびちょっとした地震に悩まされることになるのだが,(私に関してだけかもしれないが)一向に慣れる気配はない.むしろ,ちょっとした揺れでもますますうろたえるようになってしまった.
私は中学生の時か,高校生の時,「大地震」という映画を見に行った.そのときの映画の印象としては,地震というのは,揺れはじめたら何分もゆれっぱなしのような印象があった.建物が次々とくずれ,地割れが生じてそこに動物や人が「あーーーっ」と叫びながらはまっていくという恐ろしいものだった.
その印象が強く,高校生で大学への進路を決定するとき,最初東京方面の大学を志望していたが,関西に切り替えた.地震が怖かったのである.さらに,大学を卒業して,就職先を決めるときも,かなり関東系の職場に心は向かっていたが,やはり,地震がこわくて,結局関西の職場に就職してしまった.
どちらの進路決定も,本当は他にやりたいこと,他に行きたいところがあったにもかかわらず,「死んでは元も子もない」という発想だけで,切り替えた.つまり,この時点でやりたいこと,行きたいことを諦めたのである.
中学の低学年の頃は,自分には本当にやりたいことや,本当におもしろいと思っている分野があった.そういう授業に出るのは,とってもおもしろかったし,もちろん,テストの結果もその科目だけはすごく良かった.でも,その科目は高校進学のとき,選択科目からはずしてしまった.
バンドだってもっとちゃんとやりたかった.東京に行けば仲間が致し,新しい仲間だってできやすいこともわかっていた.
高校,大学と,私の友達は,私が「地震が怖い」という理由だけで,大事な進路を変更していたことを知っていた.だから,私が阪神大震災に遭った時は,友達は口をそろえて「地震がこわいから関西に行ったのにねえ」と言った.
そうなのだ.私は地震がこわい.それなのに,なぜ,ここにいて,こんなにびくついていなくちゃならないのか.東京には私の友達が多く,関西には一人もいない.こういう風に考えはじめると,関西に来て,いいことなんかひとつも無かったような気がする.関西で,人との出会いはあったが,そんなものは関東にいたらいたで,きっと,それなりの出会いがあったことだとおもうし.
関西なんか,おいしいものも何にもないし,都会だけど,地方の人間には排他的だし.大体,都会が良ければ東京という大都会があるわけである.
関西弁も覚えた.関西の慣習にも慣れた.他の人から見ると,私は生まれも育ちも関西と見えるといわれる.郷には入れば郷に従えということわざがあるが,私なりに努力している.
それなのに,根本的な部分はどうしてもなじめない.東京や名古屋,高知に行って,人と接するとほっとする.「そうだよねえ.ふつうはこう考えるよねえ」と実感して,安心する.
さらに,この地震攻撃.
なぜ,関西にいるんだろう.いつまでいるんだろう.
5月22日 大阪オフ
17日の日記,なぜ,5月は気が重いか?答え;梅雨入り前だからです.沖縄に続いて,本日は奄美地方も梅雨入り.
さらに,GW明けだからつらいのかも.季節の変わり目で体が重いというのもあるかも.
でも,そんな5月にジェフベック普及委員会の大阪オフがありました.すっかり定着したギターオフで,大阪ドームのある大正という駅の近くのフリーピープルというスタジオで演奏した.
やっぱ,ギターひくのは楽しいわ!
ジェフベック普及委員の方々は私より先輩で情報量も多いし,経験も豊富で話題が濃いので,話についていけなくなることもあるのだが,セッションは自分がどんなにへたくそでも,とにかく,音を出すだけで楽しい.さらに,みんなとあわせられるというのが楽しい.今回はドラマーさんも初参加でさらに楽しかった.
このドラマーさんというのは,私の職場のすぐそばにいた人で,ほんとにいい人と巡り会ったと,自分で「自分,この人見つけてえらい」と言ってあげたくなる人だった.
ドラマーさんを中心にブルーウインドをギター5人でソロ回し弾きしたのはすごいうれしかった.
あと,インターネットの掲示板とかでは話をしたことがあったけど,初対面という人もいたが,ギターのおかげか,全然初対面という感じがしなかった.
ギターを通じて性格や言葉,文化,習慣を乗り越えて仲良くなれるのってすごいことだとおもう.
これで,あと,ギターが軽けりゃ,言うことないんだが.エフェクターやら,MDやらケーブルやら持って歩き回るのはとんでもなく大変.次の日は筋肉痛.