2000年9月の日記

9月3日 土曜日はバンドの練習でした

9月10日 息子とデート

9月13日 日記の修正

9月30日 ゲキドーの一週間


9月3日 土曜日はバンドの練習でした

8月の日記でさんざん練習していると書いていたスパニッシュナイツだったが,8月12日から9月2日の間に突然うまくなるはずもなく,びっこひきながらスパニッシュナイツに挑戦した.普段,アルペジオやっているにしなかさんが,ドラムを叩く段取りになっていたのだが,彼は,今回,もう一つの大ワザ(なんと,ギターパートを交換したのよ)に頭がいっぱいだったらしく,なんと「スティックを忘れた」というので,家に取りに戻ってしまった.

実は,スティックを取りに家にもどってくれたおかげで,私とリッチーはにしなかさんに秘密に,ちょっとは個人練習することができた.しかし,それは個人練習にはならず,単に「私は弾けない」ということを再認識するに終わった.リッチーはそれでも一生懸命練習していたが,(彼は土曜日当日の朝,きっちり練習してきていたそうだ.私は掃除と炊事に追われていたっちゅーに.)私は途中でこれはいくらやっても上達は望めないし,へたに指が疲れてスピード落ちるとまずいので,早々に個人練習を切り上げ,トイレに行った.へたに練習するより,そういうことの方がバンドのためだ.そうこうしているうちににしなかさんが戻ってきてしまった.

仕方なく,合わせはじめるが,大体,あのスピードでできるわけがない.

ということで,リッチーと独自の早さで練習しはじめた.しかし,それではスティックをとりに家にまで帰ったにしなかさんに申し訳ないので,結局ドラムを交えて3人でやりはじめた.ドラムのテンポは厳しく,リッチーと私は必死になってついていった.ドラムがしっかりしているので,音が少々なくても,なんとなく歌に聞こえるのはラッキーというもんだ.

結局,この1曲で2時間半位が過ぎた.弾けないなりに大体オリジナルのスピードでなんとかこなし,もう指が痛いのでやめましょうといって,やめた.

しかし,リッチーとにしなかさんが「keikoさん(本当のせりふは私の名字です)のわりに,keikoさん,うまいやん」と誉めているのかけなしているのか,(私ってそんなにへたくそなイメージだったのか?ジェフベックの曲はもっとうまく弾けるぞ)わけのわからないことを言いだし,さらには,「keikoさんがここまで努力してるのだから,ぼくらもがんばろう」とか,「このくらいひけるんだったら,ギターを新調してももったいなくないですね」とか,(実は私はギターを買いたいともらしていたのだった.それに対して,なんとなくお奨めしない雰囲気だったのは「へたくそなのに,ギターだけ良いものを買ってももったいない」ということだったのかと,そのとき初めて認識した.いや,それらしい友達の例え話とかは聞いてはいたのですが,気がつかなかった)言い出した.君たちは一体誉めているのか?貶しているのか?

まー,それは冗談として,

今回結構ヘビーメタメタな演奏だったのだが,いくら良い演奏だろうが,ヘビーメタメタだろうが,スタジオの演奏については,この3人の秘密である.たとえば,ここに他の人がもう一人加わると,演奏が不出来だと,かなり険悪な雰囲気になるのではないだろうか?しかし,この3人でやっている分には,お互いにわかりあっているし,多分お互いに尊敬しあっている部分もあるので(いや,私に向けての尊敬はないだろうが,少なくともリッチーとにしなかさんに関してはね)演奏について,かなり正直にこうしたらいいとか言い合える.それに,うまくいったときのうれしさ(はずかしさ)もひとしおである.

これがバンドの一体感っちゅうーものだろうか.

この3人でなきゃだめじゃ」という感じ.バンドの構成として,ベースやキーボードがいれば,良くなることは目に見えているのだが,スケジュール調整のこともあるし,バンドとしての一体感や気合いの問題もあって,これからゲストを呼んでやるってことはあっても,基本的には3人でやろうねと,練習後,お互いの気持ちを確かめ合ってしまった.

これがバンド愛っちゅーもんかっ!!

それにしても,エレキギターとエフェクターは重い.この重さも愛か?

この二人を誘って良かった.当然,土曜日,スパニッシュナイツだけではなく,二人が並んでギターを弾くという曲もやった.そのとき,二人が二人でタイミングとりながら弾いている(つまり,目と目でギターを弾くというか,勘でギターを合わせている)のを見て,

この二人をひきあわせてよかった〜

と,幸せになってしまった.やたら結婚相手を紹介したがるばばあの気持ちがわかってしまった.

9月10日 息子とデート

9日の土曜日は約束だったし,息子と須磨の水族館へ行きました.めちゃ暑かったー.一時涼しくなっていたのは,牽制球だったんでしょうか?

須磨の駅を降りるとすぐ南側には砂浜が広がっていました.うーん,抜群のロケーション.やっぱ,海って愛を語る場所だよね.

しばらく息子と海を見ながら愛を語った後,バス停まで歩いて,水族館へ行った.土曜日だし空いているのかと思っていたら,小学生がうじゃうじゃ.そうだった.第2土曜日は小学校もお休みなのでした.くー,失敗したな.

あついあついということで,イルカのショーも見たくないといわれ,結局2,3時間くらいで水族館を後にして,早々に家に帰ることにした.

須磨の駅には快速と普通しか止まらない.尼崎駅にはどの電車も止まるので,快速が来れば,乗り換えなしで早く帰れる.ふと,駅の電車の表示板を見ると

42分快速」とかいてあった.時計を見ると38分くらいだったので,ラッキーと思いつつ,ホームへ歩いていったら,ちょうど電車が来たとこだった.電車がちょっと早めについたのかなとおもいつつ,電車の横の表示板を念のため確かめると,「42分快速」とかいてある.「早めに来て,42分出発かー」と思いつつ,息子をつれてゆっくりドアの前に行くと,私の目の前でドアが閉まりかけた.

まだ42分になっていないのに,どーゆうーことよーっ

と思っていたら,ドアが開いたので素早く入ったら,今度は息子がホームに取り残されてしまった.ゲッと思って,半ドアをこじあけて,体をのりだし,息子の手を掴むと,すでに息子は体が固まって半泣きでこっちをみている,扉に私は体を挟まれながら「早く来なさい」といって,息子を電車のなかにこじいれた.すると,電車はすぐ出発した.

まだ42分になっていないのに,なんなのよーっ

息子は「僕が先に電車に乗ればよかったのに,おかあさんが先に行っちゃうから」と怒っていたが,扉に挟まれつつ自分を引き入れてくれたことを思い出して「痛かったんちゃう?」と思いやってくれた.なんて優しいのだ,息子よ.

しかし,「42分快速」とかいていたのに,なんで,42分にならないまま出発したのか?表示板には42分快速としか書いていなかったのに,もしかしたら,この電車はその前の普通電車かなんかじゃないのか?と思い,電車の中の扉の上に表示してある停車駅の表示板を見たら,やっぱり,この電車は普通電車しか止まらない駅にも止まっている.つまり,これは42分の快速ではなく,その前の普通電車だったのだ.

須磨駅!表示をちゃんとしろよっ.普通電車だったら,あんなに無理して乗らなかったし,だいたい,あんなに安心してのろのろ扉の前で止まったりしてなかったよ.電車の方向に矢印で表示して「42分快速」なんて表示すんなよっ.

仕方ないので,神戸駅で降りた.そしたら,新快速がやってきた.結局,須磨で快速に乗るよりずっと早く帰れた.

でも,あのとき,万が一扉が完全にしまって息子がホームに取り残されていたらと思ったらぞっとする.家に帰ってから息子に「万が一,おかあさんが電車にのって,たかあきがホームで一人になっちゃったら,絶対そこから動くな.遅くなるかもしれないけど,絶対にそのホームまでお母さんが戻るから,それまで絶対動くな」と念を押した.息子は「僕,泣いちゃうかもしれないけど,絶対待ってる」と言った.いいこだ.息子.ほんとにそうなった時が来ても,このいいつけを思い出してくれよ.

 

9月30日 ゲキドーの一週間

会社つとめしていると,必要以上のイヤミをいわれたり,理不尽なことがあったり,しょーもないことでうだうだ時間をとられたり,しますわね.そういうのにプチ切れず,がまんして流していくには,その人の性格もあるでしょうが,それ以上の価値があったり,他に楽しいことがあったり,耐えるための要素があると思います.

私の場合,会社で,ある特定のストレスが必ず定期的にあることになっていて,それには耐えないといけない状況にあります.それは入社4年目くらいから突然ふってわいた不幸だったのですが,入社15年目の今も,それをひきずっていました.でも,それに自分的に耐えられたのは,その不幸の最後の時期が見えていたからだったのです.

ところが,先週,突然それが覆され,その不幸の最後の時期が見えなくなり,それどころか,その不幸がクローズアップされる出来事が起こりました.それを聞いた瞬間,動悸が止まらなくなって,体がだるくなり,何も考えることができなくなりました.

そのニュースと共に,どういうわけか,その日は悪い出来事が何件もありました.とても気持ちが滅入ってしまいました.どれも一刻を争うトラブルで,気持ちが落ち込んだまま,重い体をひきずって対応しました.その日はかなり落ち込んで,後先のことを冷静に考えられなくなってしました.

ところが,

その気持ちを180度変えてくれた人がいました.メールで着信したその人の言葉は,たった1行で,最初読んだときは,何の根拠もない,慰めにも何にもなっていないと思っていました.が,違っていました.

そういえば,私はそれまで,何かを誰かに相談して,それで気持ちが180度変わったという経験はありませんでした.せいぜい,話をすることでちょっとばかり,すっきりするくらい.

それが,今度ばかりは違っていました.その何の根拠もない言葉がすーーーっと入ってきたのです.そして,本当にそうなんだと思えるようになりました.実は,メールはたった1行だったのですが,その一言を何十回も言われたような気がします.(何十回か言われたら,なんでも納得するんか,わたし)

そして,最後に「私はあなたのみかたです」といわれました.会社にはいって,私の上の人は,皆不幸にも無理矢理工場へ行かされたり,会社をやめてしまい,私の先輩はいなくなってしまいました.新しい上司の元についたのですが,技術分野も違い,尊敬しているし,仲良しなのですが,そこのグループのお客さん的な感じはずっと根底にありました.上司も私の技術を利用するけれど,育成するような年でもないし,私も誰かに育ててもらったという気持ちももてませんでした.仕事上での身方などいなかったのです.

他の分野の仕事なら,「何を甘いことを」ということになるとおもいますが,研究所は徒弟制度が未だに重く,たとえば,論文を書いたり,博士号をとるなどということになると,そういう繋がりが非常に重要なのです.また,当然,学生の技術などしれたもので,実践的な技術の継承は徒弟制度がないと実現できないものです.そういう物理的なこと以外でも,研究は基本的に一人でやるもので,非常に孤独な世界であり,それなのに,仕事は所外の客次第で,気持ち的なやりとりも多く,一匹狼は不利なのです.

その「私はあなたのみかたです」と言ってくれた人は,実は全然違うグループの人なんで,そういう意味では全く意味がないことなんですが,そういう気持ちが立ち直らせてくれたんだと思っています.

私は落ち込んだら,頑固に落ち込むんですが,こうやって慰めてもらって,立ちなおったのは初めての経験です.

ということで,かなりブルーな気持ちだったのですが,今はとても前向きです.今日のバンド練習も,風邪ひきつつ参加したのですが,とっても楽しかったです.その楽しさで,さらに,生きる勇気がでたというか.

結構不幸なこともありましたが,最近は周りの人に恵まれたと思っています.ありがとう.

 

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