11月1日 図工展
今日は息子の図工展だった.風邪をおして小学校へ行った.
いろいろな工作が並んでいるが,自分にとってのメインは自分の息子のに決まっている.しかし,いくら探しても自分の息子の作品が見つからない.知り合いのおかあさんが見つけてくれてやっとご対面できた.息子から「蜘蛛の巣があって,べちゃべちゃのがあって,絶対さわってきて」といわれていたのでやっと約束が果たせた.椅子の工作とは別に段ボール紙で顔を書いたのがあった.
最近,息子は,こういううれしくなってしまうような作品を残してくれるのよね.ありがとう,たかちん...
図工展の作品って,どれもこれもカラフル.カラフルすぎて,本当にここは日本か?と疑う位.絵の具をいっぱいに使うからかなあ.私の小さいころはもっと地味な色使いだったような気がする.絵の具が進化したんだろうか?南の国系に見えるのはなぜだろうか?それとも,うちの小学校が田舎すぎて暗かったのか?
11月8日 メール
人から頂いたメールって大切だ.他人から自分に向けられたものだから.お金で買えるものではない.
女の子は,概して,学生時代から交換日記やら文通が好きだ.女の子同士でやっている分にはいいが,それほどそういうことが好きでない男の子が女の子の趣味につきあわされるのは,「本人も少し女性的でそれを楽しんでいるか?」「それに耐えることでより楽しいことが待っているか?」「本当に女の子が好きで女の子を楽しませてあげたいか?」この3つのうちのどれかだと思っている.
私も例に漏れず,小学校の高学年では交換日記をしていた.なぜか小学校では女子にモテタので何人かに申し込まれて,何人かと交換日記していた.私自身は交換日記が楽しくてたまらないということはなかったが,まあ,相手が楽しいならそれで良いと思った.あまり楽しくなかったのは元々国語力がなかったせいだろうな.
中学高校になると,友達のふーちゃんがほとんど毎日手紙をくれた.当時は,B5のノーをの大きさの紙を器用に折ってコンパクトにして回すのがはやっていた.ふーちゃんの手紙はどれもこれも,ものすごく面白くて,その文章だけで人をわらかすという,すごい才能をふーちゃんは持っていた.
その他の友達でふんかんというのがいて,ふんかんも面白かった.当時高校には日直という制度があって,日直が雑用の当番をし,日直日誌というのを書いていた.これは今振り返ると,クラス全体でやっている交換日記みたいなものである.高校にもなると日直日誌でウケをねらう人も多かった.ある日,ふんかんが,日直にあたった.ふんかんは「水泳でさか飛び込みができない私」を図の解説入りで書いていた.それがめちゃ面白く,その日誌があまりにも良くできているので,日直に回覧されるのではなく,1日のうちにクラス全員に自主回覧された.
私はもともと理系なので,国語が苦手だ.ごらんのとおり,日本語もめためただし,この二人のような面白いことがかけない.
よく「大阪人は漫才師みたいにおもろい奴が多い」というが,少なくとも私の周りでこの二人を超えるような面白いことをいう,もしくは面白いことをかける人はいない.私の周りが理系が多いからかもしれない.
文章は持って生まれたセンスに頼るものが大きい.勉強である程度は進歩するし,文章を書くことが好きであれば,少しは進歩する.しかし,ある程度のスレッシホールドは存在する.
そんなに楽しい手紙だったのに,ふーちゃんの高校時代の手紙はもう1枚も残っていない.本当に惜しい.
その惜しい気持ちが強くて,大学以降もらった手紙は全てとっておくような癖がついてしまった.でも,その手紙を読み返すということはないのよね.
同様に友達から頂いたメールは全ておいてしまう.
という結果,ユードラの受信フォルダーは,テキストのみで55メガという巨大なフォルダーになってしまった.読み返すことはないのだが,捨てられない.
私の男の友達で,同じように手紙やらなにやらすべてとっておく奴がいた.
彼は手紙だけでなく,思い出の品となるようなものは何でもおいていた.写真でもそうだ.
彼の家が裕福で家がでかかったせいもあるかもしれない.狭ければとっておくスペースがないからだ.
そして,彼は私が20年以上前に彼にあてた手紙をもっていた(らしい).しかし,私は手紙を出したことすら覚えていなかったし,内容はもちろん,全く覚えていなかった.
彼はあるとき,私にその手紙の存在を教えてくれた.そして,当時私が彼に手紙であてた内容を私に喋った.手紙によると,彼と私は喧嘩をしたらしくて,なんだか私が負け惜しみを言っているような内容だったらしい.
「あんたこんなこと言ってたんだよ」みたいに彼は楽しそうだった.まるで,人の弱みを掴んで勝ち誇ったような.
そういう手紙って早く破棄してほしいとこちらは思うのだが,手紙は相手にわたったら,相手のものであり,自分のものではない.
というわけで,メールも手紙も要注意だ.
よく「あなたは○年○月○日にこういったじゃないの」などとプライベートな会話で「昔いったことと今言っていることが違う」もしくは「昔いったことと今やっていることが違う」という指摘をするやつがいる.約束とかビジネスならそれは大事なことだが,プライベートな会話でこんなことを言う奴は最低だと,昔先輩に教えられた.私は当時から理系で,記憶力は悪いほうだったので,そういうことを言ったことがなかったから,先輩も気軽にそういう話をしてくれたとおもう.
以来,私はそのポリシーは守っている.過去に言ったことは過去に言ったことであり,それを指摘するような奴は最低だと思っている.私もそれを守っているつもり.
でも,メールや手紙が残ると,彼のように「昔きみはこんなこといってたねえ」ということになる.彼のいいところは,「今は昔君のいっていたことと矛盾している」などとは言わないことだ.その点は評価している.さすが,私の友達だ.
でも,時間のいいところというのは,時間が過ぎることで忘却されることでもある.忘却って悪いことと思われがちだが,そうではない.忘却されるからこそ良いことの方が多い.
ということは忘れっぽい私はやっぱり良い奴ってことになるな(^_^)
日常生活で困ることは多々あるが(たとえば人の顔が覚えられないとか),まあ,そういう小さいことではなくて本質で良いことがあればそれでよいのではないか?と前向きに考えよう.
11月9日 UA
MTVで見た「ミルクティー」というのがなかなか良くて,近所のCDショップの1000円券が11月初めで期限がきれるので,UA(うーあ,と読むらしい)のベストを買った.
あまり邦楽を買わないので,邦楽のCDを買うたびに思うのだが,邦楽CDには解説がない.解説がないのはまだしも,どの曲を誰が作ったのか?どんなアーティストが参加しているのかも全くわからない.
たとえばブラックモアズナイトのCDには曲毎に誰が作詞作曲編曲をして,誰が何の楽器で参加していて,プロデュースは誰がしていてと事細かに書いてある.日本の場合,そういうクレジットがないのはなぜなんだろう?日本人って,誰かから誰かがどうこうしているという情報よりも,純粋にその曲を聴きたいだけなのかな?
UAは他にもヒット曲を飛ばしていて,ベストを買ったらいくつかは知っている曲があった.声とか雰囲気で得しているタイプの人だとおもうけど,当時って,椎名林檎とか似たような雰囲気でもっと強烈な人がたくさん出ていただろうから,一寸損したタイプの人なのかな.
同じ雰囲気の曲では,UAのミルクティーよりもSAKURA(なぜこうも日本人のくせに皆ローマ字を使いたがるか?読めない場合があるというのに.これも国際化か?)の「声が聴きたい」(だっけ?)が私は好きで,一時,こればっかり聴いていた時期があったっけ.シングルの曲のはずなのだが,全く全然さっぱり売れなかった.カラオケ各社にも全く載っていない.
どちらの曲も女が男に語りかけるというか,実際には語りかけていないのだろうが,こうあってほしいというような歌で,たぶん,私もそうしてほしいのだろうなあと.いや,たぶん,女は皆そう思っているんじゃないかなと,そんな歌詞だった.
女はこうあってほしいと男に思っていても,なかなか口に出して言えないものだから,こういった歌詞の内容を頭のなかで思いめぐらせてはいるけれど,伝えられないことが多いんじゃないかな.だから,こういう曲で代弁してほしいと.でも,代弁してもらったところで,自分の気持ちが男に伝わる訳ではないけれど.
まあ,それは女に限らず,男もそうかもしれないが.
いや,男の方は,女が思うほど,そんなにメンタルではないかな.
UAは若くて独身だが,SAKURAはおかあちゃんだったような気がする.歌にもそれが表れている.
11月15日 久々に咳が
今朝5時くらいに咳で目が覚めた.夜寝る前にジルテック飲まなかったせいか?このまま一生ジルテックを背負って生きていくのか,私・・・.結局明け方,ジルテックとテオドールを飲んでしまった.それでも朝少し気管が痛いのだけど.良くなるかな・・・.
映画をまとまって見る時間がとれないため,私は封切り映画をほとんど見ることができない.それで,DVDやビデオを買って,見る時間があるときに20分ずつとかちょこちょこ見るようにしている.本当はまとまってみたいけど,主婦はなかなかねえ...リビングにDVDプレーヤーがあるので,ここは大抵姑が占領しているからあまり見ることができない.
最近ロードオブザリングとマトリックス2を買ってDVDプレーヤーのあるリビングにおいていて,(このリビングの机も子どものおもちゃと姑の新聞とかでいつもいっぱいになっている)今日,「さてちょっと見ようかな」とおもったら,ない!一体どこに片づけたのか?自分の守備範囲は全部見たけどどこもない.
あー,またか.他人のものを勝手に自分のものにしてしまう癖.やめてー.子どものために買ってきた朝食をいつのまにか食べられて次の日の朝焦るとか,薬を買ってきておいたら,いつのまにか飲まれて自分が必要なときはないとか,紅茶を買ってきたらすごいスピードでなくなっているとか.もー,名前かいとこか??自分の家なのに,自分が借金して買ったのに,家でくつろげない.家に自分のものおいておいたらなくなる.自分の食べたいものを食べるときこそこそ食べないといけない.病気のとき,ご飯を食べに一階へいけず我慢しないといけない.なんでここまで気を遣わないと行けないか?家の外装や内装は勝手にいじられるし.
で,「ない!ない!」といって探している時は横目で見ながらなーんも言わなかったのに,2時間くらいしてリビング行ったら机の上にDVDが置いてありました.
きっと私があまりにも探しまくっているので,まさか「私が隠しました」とも言えず,黙っておいて,後からこっそり持ってきたんだろうな.
大体,他人のものをこっそり隠すなよ.
で,今日は,ご飯作る合間40分くらいと15分くらいマトリクス見ました.高速道路のとこまで見た.息子が
「おかあさん,また,マトリクスみてんのー?」
って言ったけど,おかあさん,まだ,マトリクス続けてみてないのよ.たかちんがずーっと見ている横で炊事したりお皿洗ったりしながら断片的にちょこちょこと見ただけ.おかあさんはね,おうちではくつろげないの.
あー,別荘欲しい.
もし,喘息で死なずに長生きできて子どもも手が放れたら,絶対一人暮らしするぞ.一つ人生目標ができたな.
11月27日 咳満開
昨日会社でエクセルとにらめっこしていたらおなかが空いてきたのでじゃがりこを食べた.食べたらとたんに体が痒くなり,喘息っぽくなったので,怖くなって慌てて帰宅した.こんこん,ごんごん,ごーごーと咳をしながら帰宅して,ご飯を食べてからジルテックとテオドールを飲んだ.なんとか痰が出ておさまった.
でも次の日(つまり今日)やっぱり体がだるかった.「じゃがりこ アレルギー」でgoogleすると,なんだか変なものが入っているらしい.もうじゃがりこには手を付けないようにしよう.そういや,以前じゃがりこ食べておなかこわしたこともある.
それはそうと.
いつも週末日記をかいているのだけど,先週はさぼってしまった.日記を書くような精神的余裕がなかったのだ.
というのは,金曜日に右の歯全体が痛くなり,歯医者にいった.歯医者でレントゲンをとって,右下の親不知が前の歯を前に押していて,なおかつ,萌出していない,さらに,その前の歯はそいつのおかげで虫歯になっている.しかし,そいつのおかげで虫歯のところを治療することすらできない.
この状態は確かうちのギターの加賀さん(あるいは私の上司の加賀さんともいう)が夏頃に親不知を抜歯したときとほぼ同じ状況だ.
月曜日にバンドの練習があったので,そのときに経験者の加賀さんに聴いてみた.加賀さんは歯が少し歯茎から出ていたし,神経にかかっていなかったので割と簡単に(といっても30分もかけて!)歯医者で抜いたらしい.
が,私の場合,いつもの歯医者(ちなみに右上の親不知はそこで抜いた)は「大きな病院の口腔外科へいってください」といって紹介状を書いてしまっていたのだ.
あー,どうしよう.大きな病院って,研修医とかインターンが抜くんちゃうの??
近所に口腔外科やっている歯科医院もあるのでそこで抜いてもらうかとか色々考えた.
その心配がつのり,金曜日も土曜日も日曜日も月曜日も心配で心配で,おなかまでこわしてしまった.
結局火曜日の朝にその大きな病院の口腔外科へいってきた.自分の順番待ちまでどきどきである.頭蓋骨のパノラマ写真をとり,インフォームドコンセントの説明の紙を読んでいるとますます怖くなってきた.神経が歯にかかっていると顔面麻痺になることがあると書いてある.でも,私の場合,そんなにひどくないよね?さっき受付の女の人も大丈夫そうなこといってたし.(受付の女の人に一体なにがわかるのか?)事前にインターネットで調べて顔を知っていたY先生が来た.パノラマ写真を指さして
「ほら,ここ,大きな神経が通っているでしょ.これが,この親不知にかかってるでしょ.この説明用紙みてもらっただろうからわかっているだろうけど,神経ってちょっとさわっただけで麻痺が残るんだよ.だから,これ抜くとき麻痺が残る可能性があります.」
えーっ.神経にかかってるのおおおおっ!
もう世界が終わったような感じがした.心配そうにしていると,続けて
「あっ,左の上の親不知も残ってるねえ.これ残しておくと,口が汚くなるよ,口汚くして喜ぶのは歯医者だけだよ」
がーん,それも抜けってか?
というわけで2本いっぺんに抜くことになった.2本抜くのは大変なんで,入院抜歯となった.
本当はその説明のあと,すぐに抜きそうな勢いだったのだが,初診の調査用紙に「今日抜かないでください」と私が書いてあったのを受け付けの女の人がすかさず先生に言ってくれたのだ.
「えっ,今日ぬかへんの?まあ,入院抜歯しよか.そしたら1月まであいてないわ.12月はもう入院はいっぱいだからねえ」
というわけで,1月に抜くことになった.
喘息があるので,主治医にそのY先生から手紙を書いていた.
「なんで,今日抜いたらあかんの?」ときくので「週末にコンサートがあるんです」と答えた.「コンサート?なんか演奏すんの?」ときくので,こういう質問に対して非常に恥ずかしくて答えにくいが「歌うんです・・・.」と答えた.
「へー,そりゃ抜いたらあかんわ.コンサートのとき,腫れまくって口あかんわ」といわれた.ひえー.ますます恐怖が募る.
しかし,「歌を歌うので抜歯は待ってください」という患者,一体どう思われているだろうか?ふざけとんのかこいつ?とか思われただろうか.
そういや,以前,
きっつい咳止めだかなんだかの薬の副作用で音が1音くらい低く聞こえるようになってしまったことがあった.どこの医者も治してくれず,かなり悲壮感が漂っていた.その時の様子というのが,自分ではわからなかったのだが,後から友達にきいたら「もうkeikoさんはだめかとおもった」といわれた.かなり私は落ち込んでいたらしい.
喘息がアレルギー性ということで耳鼻科にも通っていて,その薬局のおねえさんに薬でそういうことになってしまったということを報告した.おねえさんは色々薬を調べてくれたが音が低く聞こえる副作用というのが見あたらなかったらしい.実際には,インターネットとかで調べるとそういう症状の人は結構いるようなので,そんなにめずらしいことではないのだが,製薬メーカーはそういうことを把握していなかったらしい.
薬局のおねえさんは音が低く聞こえるという現象をよく把握できなかったようで,「どうして1音下がったことがわかるのですか?」と私に質問した.知っている曲をたとえば演奏しようとすると,1音下がっていることがわかるというような答えをしたら「えっ,何か楽器を演奏されるのですか?」と聴かれたので,(こういう質問に答えるのはめちゃくちゃ恥ずかしい)「歌っています」とはいえず「ギターをちょっと・・・」(本当に「ちょっと」だ.)と答えたら「えーっ,楽器が演奏できるなんて素敵ですね.羨ましい」と言われてしまった.
それ以来,そこの薬局で薬をもらうたびに「ギター演奏されてます?」とにこにこしながら聴かれるようになってしまった.
すごくいい人だし,私のことを覚えていてくれて,なおかつ心配してくれているのでありがたいのだが,恥ずかしい.
彼女も,当時の私は本当にしんどそうで,見ているのも気の毒だったそうだ.
今日,咳のためにジルテックとテオドールをそこへもらいにいったら,また,彼女が薬を渡してくれた.
「ほんとに元気になられてよかったです.以前は本当にしんどそうでしたものね.でも,まだ咳がでてるんですね.本当はここには来ない方がいいんですけどね」と話しかけてくれた.そこまではよかった.続けて「ギターまだされてるんですか?もしかして,コンサートとかされるんですか?」えっ,週末コンサートなの何で知ってるの?とおもいつつ,「ええ」と答えてしまった.そしたら「えー,すごい!コンサートやるんですね.じゃあ,12月とか大忙しなんですか?」ってきくので,うわー,全然勘違いされてる!はずかしーーー!!!と思い,下をむきつつ「いや,そんなんじゃないです」と答えるしかなかった.
病気で精神的にまいっているときって,なんでも喋っちゃうので要注意だ.
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