1月3日 藪隠し 2日の恒例ライブパーティのために,正月は毎年高知へ帰っている.今年は,3,4日が週末にあたるため,1日夕方から高知へ行き,3日に尼崎へ帰ることにした. 1日の夜,母と姉と姪とで食事をした.国際ホテルという古いホテルがはりまや橋の一等地にあるが,そこの2階の日本料理吉長(よしちょう)へ行った.なかなか正月料理がおいしかった.あえて「おせち」ではない.正月料理だ. 全員血が繋がっている.全員女だ.なかなか得難い時間を過ごした. 昨年は夏に用事があって高知へ帰っている.そのとき,母が現在すんでいるところの斜め前のブライトパークホテルにとまった.ここのホテルが結構よかったので,私はここのつもりで全然違うホテルを予約してしまった.そうとも知らず,ブライトパークホテルへ行き,予約を確認したところ,予約していないという. というわけで,ブライトパークホテルのホテルマンに本当に予約しているホテルを探してもらい,本当に予約しているホテルへ行った. そこのホテルは普段はビジネスホテルだということだった.というわけで,正月三が日はレストラン・喫茶は休みだという.えっ,じゃあ朝食はどうしたらいいの?ときいたら,フロントマンが急いで近所の3つのホテルの喫茶モーニングを調べてくれた.ワシントンホテルは目茶高かった.(2000円だったかな?)パレスホテルは事前連絡が必要だった. これを調べている間,いかにも都会から高知へ回されてしまったフロントマンが高知の説明をしてくれた.
いや,私,実は高知人なんだけど.と思ったが,黙っていた. というわけで,結局次の日の朝はブライトパークホテルへ行った. 喫茶の前に「モーニング700円.トースト,卵,サラダ,コーヒーなど」と書いてあった.まあ,ホテルのモーニングといえば標準的だ.と思って入った.まず,「コーヒーですか紅茶ですか?」ときかずに「ご飯ですか?トーストですか?」ときた.??「トーストおねがいします」 で,出てきたのが直径40cmくらいのプレート(今思えば皿鉢か??)にてんこ盛りになったモーニングがやってきた.まず,サラダだけで2種類ある.一つはコールスローで,もう一つは大根とキュウリのサラダ.それに昆布巻きと黒豆の盛り合わせ.トースト.お雑煮.ゆで卵.オレンジジュース.そして紅茶. そういえば,前に高知の喫茶店でランチ500円を頼んだら今朝とれた魚のフライがてんこ盛りになって出てきたことがあった.高知の食の常識おそるべし.ちなみに,これは高知人にとっては当たり前だが,喫茶店で何か頼むと最後に必ず日本茶がでる. 2日はライブパーティで盛り上がった.みんなありがとう.腰痛だったが,参加できて本当によかった.バンドって一人が参加できないとみんなに迷惑かかる.(パーティについては後日アップロード予定) そーちゃんちへ楽器を借りに行くのに電車で梅の辻へ行った.梅の辻の電停の前には龍園の跡地がある.すでに他人の手にわたっていて,今は駐車場になっている.自分が思っていたよりすごく土地が狭い.あそこに入り口があって,ショーウインドウ手前には鯉の水槽があって,その前に自転車とかバイクをおいて,重量式の自動扉を抜けると前が机椅子席,左奥にちょっとした座敷があって,右に入ると階段から2階へ行けて,その下に事務所を作っていて,その奥を腰をまげてくぐると厨房に入って・・・.と,しばらく電停で回想した. 私でさえ,こんなに色々な想いがあるのだから,龍園をたたむ時,他人の手に渡った時,建物が壊された時,さらちになった時,母はかなりつらい思いをしたことだろう. そのうち,信号が青になったので,反対側のそーちゃんち側へ横断歩道をわたった. むかしほかほか亭だった店がビンテージの店「マッシュルーム」になっていた.そーちゃんとは1時に待ち合わせしていたので,とりあえず,そーちゃんちへいって「そーちゃん,そーちゃん,ビンテージの店ができちゅう.ちょっとそっち行ってからでもいい?」ときいたら「え〜練習はせんがかえ」といわれたけど,とにかくそっちへ,先にきていたふーちゃんもつれて行った.あまりにも魅力的な店だったので,あとでそーちゃんも連れて行って感動をともにした.つぎはじんまんをつれていくことになった. パーティの帰りにそーちゃんたちに送ってもらった.ホテルの近くまできたら,例の屋台がいっぱい出ていた.タイみたいだ.そしたら普段タイにいる池くんが「あら,ここ○友会のシマやんか」あっ,そうか.そうだったか. というわけで,その日の夜(というか朝まで)ホテルの外は騒々しかった.まあ,○友会だからというわけじゃなく,単なるよっぱらいがうるさかったのだろうけど. そういや,山○組系の人たちとかその対立系の人たちが高知は多くて,結構庶民にその逃走の事情が伝わっていて,割と親しみ深く「ナカイノケンチャン」などと呼ばれていた.や○○とはいえども,親分肌で,経営者としてある意味あるべき姿だったので,一目置かれていたのかもしれない.高知には企業などあまりないので,自営というか,一発あててやろうという人が多いので,そういう風に感じられたりするのかもしれない. パーティの次の日は,母のところへいって,パソコンをすこし設定調整し,その後,お昼を食べに行った.昼から日本酒を飲みつつ,おいしい日本料理を食べた. ちょっとよったついでに母から母の若いころの話をいろいろときいた.うちの母の話はおもしろいので,そのうちちゃんとまとめようと思う. それも物語なんかにしちゃうのではなくて,ちゃんと高知弁で,語り口調で. その後,母と母が作ったお墓の墓参りへ行った.ヒールのあるブーツだったのに,道なき道の山登りだ.うんせうんせと墓参りしたら,すっかり疲れてしまった.しかし,今年はの正月は,神社参りもしていないのに,いきなり墓参りか! そのあと,オリバーの店に行ってみたが,さすがにあいてなかったので,繁華街をさまよい歩き,結局大丸の前の喫茶店でケーキセットをたべて,腰が痛くなったので,一休みし,飛行場へ行った. 今,高知空港って,高知龍馬空港っていうらしい.そういう名前になったとたんか,なんか知らないけど,ANAの子会社のANKのそのまた子会社の飛行機がはびこっており,私も危うくそこのプロペラ機で大阪に帰らされるところだったが,ラッキーなことにANKのジェット機に乗ることができた. 伊丹空港には19時についたが,バスと電車を乗り継ぐと,塚口には20時半にやっと到着できた.1時間半もかかった.びっくり.遠すぎ. 帰りにお好み焼き屋でビール飲んだのが悪かったのか,今は喘息気味. 明日から元気でいられますように.
1月11日 埋伏智歯抜去手術入院退院 11月に右の歯が痛くなってレントゲンをとったら,残っていた右下親不知がその前の歯を押してしかもその歯が虫歯になっているとのことだった.親不知が押しているために,その歯の治療ができないから親不知を抜くことになった.しかし,右下の親不知はその歯科では抜けないので近畿中央病院を紹介された.ちなみに,右上の親不知はその歯科で抜いており,腫れることもなく痛みも1日でおさまり,痛み止めを飲むこともなかった. 遺伝のせいか,私の親兄弟は痛み止めや酔い止めにあたって大変なことになることがおおい.私も息子が赤ちゃんのころに,左手首が腱鞘炎になって左手首にモーラステープという「ほとんど皮膚が荒れることがないので12時間貼布したままでよい湿布」をはったところ,みるむるうちにそのテープの形状に手が腫れ上がり,皮膚が黒く変色して,そのまま半年テープの痕が消えなかったくらい,薬(痛み止め;この場合はケトプロフェン)にあたったことがある. そういう理由で,ほとんど痛み止めという薬を使ったことがない. 出産のときに,看護婦のミスで陣痛促進剤を多量投与され,産道に浮腫ができて,出産のときにそれが全部やぶけたので麻酔なしで全部縫ったのだが,その痛みが1ヶ月続いたものの,痛み止めは使わなかった. というわけで,痛みに強いわけでもないが,その歯科で親不知を抜いたときも痛み止め持使わずすんだ.あと,左下の親不知は22歳のとき抜いたが,これも痛み止めは使わず,翌日にはバイトにいって,その夜は酒を飲んで遊び倒した.もちろん腫れることもなかった. てなわけで,なぜ,近畿中央病院を紹介されてしかも口腔外科で手術しなくてはならないのかが納得いかなかった. でも,口腔外科を受診してうんと納得した. レントゲンを撮影したところ,私の右下の歯は下歯挿管(顎の神経が通る管)に根がまたがっていた.抜くときにこれにさわると下唇麻痺が残るそうである.また,インフォームドコンセントのためか,さらに怖い話をがんがんきてしまった.また,左上にもまだ親不知が残っているのでこれもついでにいっぺんに抜くことになり,結局入院抜歯することになった. 入院は1月8日の木曜日で3泊4日で,11日には帰れるとのことだった.近畿中央病院の埋伏智歯抜去は有名らしい.というか,尼崎や伊丹の医院は,埋伏智歯抜去についてはここにまわすようなシステムになっているようだ.インフォームドコンセントとして渡された資料は非常にわかりやすく,埋伏智歯抜去のプロといった感じである.だいたい1年間に1000人近く,歯科からの紹介者の埋伏智歯抜去を行っている.入院抜歯は週に3人で,木曜日からの3泊4日となっている. なぜ3人かというと,医師が3人だからだ.これは手術の時にわかったのだが,この病院には3つの診察台があって,それぞれ一人ずつの先生が担当する.私はラッキーなことに部長である薬師寺先生にあたった.この先生は超有名な先生らしい.が,この先生が本当に抜いてくれるのか,若い先生が抜くのか,はたまたインターンに抜かれるからは手術までわからなかった.たぶん,私の歯科の先生が薬師寺先生に手紙を書いていたことと,私が喘息を持っていたことから部長先生にあたったのだとおもう.喘息も悪いことばかりではない. 1月8日入院当日に歯を抜いた.自分ではそんなつもりはなかったが,相当緊張していたらしく,看護婦やら医師やらが私を見たとたん「緊張してるねえ」と言った.「そ,そうかな?(すでにどもっている)」といいつつ,診療台に座る.心拍数が140とのことで,心拍数だけでもかなり緊張しているらしい.体温も38度に上昇している. - 抜歯の手順 - 1.昼食後ブドウ糖点滴を行う.あとで点滴と一緒にいろいろなものを入れるかららしい.右肩に唾液分泌を抑える注射をする.痛いぞ.看護婦さんが「この注射が一番痛いかも」という.この痛さが一番なのか.と安心する.が,その後,すぐそれは嘘だったことがわかる.点滴しながら口腔外科外来へ行く. 2.診療台に座って血圧やら心電図の測定器具を体につける.薬師寺先生がにこにこしながらやってくる.「緊張しとるなあ.なんか音楽でもかけたろか?なにがいい?」ときくので「洋楽」といったら,「洋楽ゆうてもひろいしなあ」ということでなぜかマライアキャリーが選択される.外来時に「週末にコンサートするので」というのを覚えていたのか?「でも,どうせ麻酔で音楽のことなんかおぼえてへんやろけど」といわれる. 3.点滴から麻酔をいれる.静脈内鎮静法というらしい.全身麻酔ではないので,受け答えはできるが,夢の中みたいなものらしい.ハンニバルの最後の方で頭蓋骨をきれいにきりとられていた男性みたいな感じか.こういうときに思わず自分の知らないことを口走ってしまわないかなと少し心配になる.私は秘密が多いのだ. 4.抜く歯の周りに局部麻酔を行う. 5.意識がないとは言われていたが,まず左上から抜き始める.メスをいれて歯をぐりぐりして抜く.わりとすぽっと抜ける.ここまでは覚えているが,これを縫ったことは覚えていない.メスは親不知の上からその前の歯の外側まで入れていた. 6.難関の右下にうつる.メスで,やはり親不知の上からその前の歯の外側まで切る,歯肉をあけて,歯をだして機械で割っている.他の人の話では金槌とノミみたいなので砕くという話をきいていたが,ちゃんとドリルみたいなので削っていた.ここまでは覚えているが,やはり縫ったことは覚えていない. 7.終わったからといわれて,椅子からおりて移動式ベッド(ストレッチャー)で部屋まで帰る.部屋でトイレに行きたくなって,ベッドから降りるがふらふらする.口の中に血が満ちてくる.ベッドから動くなといわれていたので,そのまま飲み込んでいたが,いくら飲み込んでも出てくる.「いくら飲んでも出てくる」と看護婦にいったら「飲んじゃだめです!」と怒られる.先に言ってくれよ. 8.その日はなかなか出血が止まらない.以前歯をぬいたときは,血がとまるまで綿とかガーゼをかんでいたが,そういうことはしないので,とにかく血はだだもれである.しかも,下の歯にはペンローズドレインという長さ3,4cmのシリコンの管を挿入してあるので,そこから血がどんどん出てくる.「血が出た方が腫れが少ないんですよ」と看護婦にいわれ,仕方なく,とにかく,血を出しつつ,寝ることにする. 9.ペンローズドレインの説明は受けなかったので,以下想像.たぶん,昔歯を抜いても縫合なんかしなかったし,肉が自然に埋まるまで待ったものだった.しかし,今回のようにかなりたくさん切った場合は縫わないわけにはいかない.となると,むりやり傷口をふさぐから,自然治癒で肉が埋まるのを妨げる.そこで,縫ったところから管をいれておいて,傷の奥から出てくる血や膿なんかを空気とふれさせて擬似的に縫ってないみたいなのを作っているんじゃないかなあ?? 10.同室のヤンキーみたいな女の子がずっと携帯電話しているため眠れない.携帯電話は病院内では禁止で,しょっちゅう看護婦にも怒られているが,ヤンキーなのでやめないのだ.その子も何かの手術をしたらしく鼻血とかも出ているので眠れないためか,夜中までごそごそしてうるさい.しかも,12時をまわってそのこが寝るときも「明るくないと眠れないから」といって電気を消してくれない.私は明るいと眠れないのだ! 11.夜中に何度か看護婦が見回りにきてくれた.「隣のこが携帯やって,しかも電気を消してくれないから眠れない」と訴えたら翌日婦長が来て,その子に「あなた一人部屋を希望していたでしょ?あいたからうつります?」といって,うつしてくれた.婦長ありがとう. 12.とにかく抜歯後痛くてたまらないので,通常の2倍の痛み止めを飲み続ける.飲んでも飲んでも痛いぞ. 13.ペンローズドレインのせいか,抜くのが大変だった右下の方が腫れが小さい.でも,ペンローズドレインは2日目の朝抜かれてしまった.4cmくらいあって,こんなに長い必要があるのか?とびっくりする.ペンローズドレインを抜いたら出血は止まってしまった.2日目の夜から「3日飲んだら1週間効果が持続する」抗生物質を飲む.これって,職場の若い人が扁桃腺腫れたときに飲んでいたやつだ. 14.ヤンキーがいなくなったので,この日は爆睡する.その次の日(3日目)も朝ご飯たべて,また眠ってしまう.ただ,痛みは治まらず,3日目も通常の2倍の痛み止めを飲み続ける.1日目は飲んだらすぐ効いていたのに,だんだん効かなくなってくる.抜いた歯を見たら,上の歯はくりんと曲がって恐竜の犬歯みたいになっていた.下の歯は砕かれていたので,立体ジグゾーみたいに組み立てようとしたが無理だった. 15.4日目.退院の日.右下もかなり腫れてくる.医者によると「腫れのピーク」らしい.抜糸する.痛い.痛いのばっかだ.この日も常の2倍の痛み止めを飲んで荷物をまとめて退院. 退院したら,息子がゲロ吐く風邪に今朝からかかっていた.家族が皆きげんが悪い.退院日から息子の看病になるとは思わなかった.この体力落ちているときに,私にもうつるか? たかちん,はよ治ってくれ. ちなみに近畿中央病院のことをこのあたりの人(とくにおばさんたち)は「コープさん」「イカリさん」同様「近畿さん」と呼ぶ.なぜ,さん付けするのか? そして,ヤングな人たちは「マクド」同様「キンチュウ(もちろん「ン」にアクセントでキがドの音とするとソの音くらいあげる)」と呼ぶ.なぜ関西の人たちはすぐに省略したがるのか? さらに,近畿以外の地方からやってきた人たちは「キンチュウ」とよぶが,なぜかアクセントはキで,音もキが一番高い.
1月16日 ミニ白い巨塔 11日の入院話の続き. 11日に退院する前に抜糸をした.抜糸をしたのは,近畿中央病院ホームページでは研修生と書かれている若い先生だった. 歯を抜いたときに,抜いた歯をもらっていた. 左上の親不知は,くにっと曲がっていた.まっすぐ下に生えられず,根が曲がって横に生えていたようだ.このくにっと曲がった完全型でそのまま抜かれていた. 右下の親不知は砕けていて,それを立体ジグゾーパズルのように組み立てようとしたが,どうも,左上に比べて体積が小さい. 下の歯の方が本来絶対と大きいはずだ. そういえば,インフォームドコンセントのパンフレットに「年をとると,歯の根が骨と癒着してくるので,骨と切り離すのが困難な場合,根を残すことがあります.」とか書いてあった.もしかした,私はその処置だったのかな?と思った. それで,11日の抜糸のときに,若い先生に 「抜いた歯をみたんですが,右下の歯の方が左上より小さいみたいですが,もしかして,根を残されたのでしょうか?」 ときいてみた.そういう処置なのかなと単純に考えただけだ.その問いに対して若い先生は 「そんなこと絶対ありえません.あなたの歯を抜いたのは部長先生です.部長先生といったら,これまでに何千人もの埋没智歯の手術をしているのです.部長先生に限って根を残すなどということはありえません」 といった.「いや,インフォームドコンセントのパンフレットに残す処置をすることがあるってあったんで,そういう処置なのかなと思っただけなんですよ.」と説明したが,どんどん口調がきつくなって「部長先生に限ってありえません」と言う. 私がまるで医者の不手際を指摘したように聞こえた場合の返事に聞こえた. いくら説明してもわかってもらえないので,もう質問するのはやめた. しかし, こうやって「部長先生絶対主義」って,本当に大きな病院ってあるのね.まるで,ミニ白い巨塔だ. そういえば. 血液を飲み過ぎたせいか,薬のせいか,ストレスのせいか,よくわからないのだけど,夜胃が痛くなった.看護婦が夜中にしょっちゅう見回りにきて「何かおかわりありませんか?」とききにくる.見回らないでいいから,ゆっくり寝かせてくれと思うのだが. で,胃が痛いので胃薬くださいといったら 「口腔外科なので胃薬は出せないんですよ」という. えー?? 次の日の朝,口の処置のために先生が来たので,胃薬をくださいといったらやはり同じ回答で 「口腔外科なので胃薬は出せないんですよ」という. じゃあ,内科か胃腸科に言ってくれよ. そうこうしているうちに,今度は目の上に水疱みたいなのができたので眼科に回してくれといったら,「今日は土曜日だし,眼科はやってないんです」ときた. うー,大病院,それでいいのか? 退院後,いろいろな事情で病院通の○尾氏にその話をしたら,確かに公的機関の大病院は縦割りなので,融通がきかないのだそうだ.外科の患者を内科が見たり,口を出したりしない. おお,財前教授!まさにミニ白い巨塔. うーん,それでほんとにいいのか?病院. 1月17日 退院後 退院するとき,無駄とは思ったがとりあえず「いつまで痛いんですか?」ときいたら,研修生の先生が「うーん,あと,1日か2日ですね」といった.術後5,6日というわけか. というのは, 痛み止めのロキソニンを処方されていたのだが,いきなり最初から通常の2倍の処方をされていた.まずは通常処方をして様子をみて効果がなければ2倍とかじゃなく,いきなり2倍だ. さすがに2倍だけあって,効き目は鋭く,口があけられなかったのが,ちゃんとお粥を食べられるようになる. だが,効き目がきれるとまた痛いので,何度も飲む.そうこうしているうちに,退院するときは,いくら飲んでも効き目がなくなってくる.ジャンキー状態だ. 「うーん,あと,1日か2日ですね」を信じて,帰宅後,あまりきかなくなったロキソニンをとにかく飲んでなんとかしていた. が,なんともならなくなってきたので,いつもの先生のところへ鍼をうってもらいにいった.先生は最近塚口に開院したのだ. まず,体が疲れているのでその疲れをとってもらった.これは確かにとれたような気がした.家族全員が風邪ひいていたので,この弱った状態で風邪ひくとえらいことになるといわれた. で,歯の痛みをとるツボらしきところにお灸のかわりの玉をいれてもらったが,あまり効かず. ところが,先生が入江先生の本を読みなおしてくれて,親不知の痛みに効くツボをみつけてくれた.手の甲と足の甲のあるツボに同時にムシ鍼をいれておくのだ. これがめちゃめちゃよくきいて,手放せなかった2倍のロキソニンが全くいらなくなった.痛いのは痛いのだが,我慢できないことはなくなったのだ. おそるべし,東洋医学. 11日に退院して,12日夕方にちょっとゼイゼイしてしまい,喘息気味になった.幸いあまりひどくならず,痰が出たが,寝るときになって,発作が怖くなり,気管支拡張剤のテオロングを飲んだ. その後,心臓の動悸がひどくなった.テオロングの副作用として動悸があるが,私はそれが起こったことがなかった.でも,起きてしまった.以後テオロングは飲めなくなるのか?いや,もしかしたら家族の風邪がうつったのかも.うーん,原因が特定できない.この状態で内科に行っても内科も困るだけだろうなあ. めちゃめちゃしんどいまま,朝,会社に行った. 「めちゃめちゃしんどい」と上長に告げたが,上長がしんどいのを癒してくれるわけでもないし,とりあえず,約束の会議に出て,午後,医者が始まるのをまった. 会議に出ていたら,だんだん動悸がおさまってきた.他のことに集中していたらおさまるのかなあ?などと考えていた. 午後になって耳鼻科へ行った.耳鼻科はいつものようにごった返していた.名前だけ告げて,歯科へ行った. 「すっごく痛い」 と言ったら 「そうやろう.だからわかったやろう?骨の中に埋まった歯をとるのがどんなに大変か.左上の親不知やったら,僕でも抜けるよ.でも,右下のこの親不知は骨からほじくりださなあかんから大変なんや.そら痛いのは1ヶ月くらい続くこともあるよ.まあ,しゃあない.とにかくうがいしとき.」 といわれた.うー,どうしようもないのか? と思っていたが,前述通り,この後,鍼の先生が助けてくれるのよね. 耳鼻科へ行って動悸がしたという話をしたら「たぶん,テオロングのせいやけど」「テオロングはマクロライド系抗生物質とは禁忌やけど,もしかして,抗生物質飲んでない?」ときかれた. 「3日飲んだら1週間効くっていうのをのまされているんですが」というと 「あー,それや,ジスロマックやろ?絶対一緒に飲んだらあかんわ.それ,薬にも絶対かいたあると思うよ.なんで一緒にのませたんかなあ?」 口腔外科の先生は飲みあわせのことなんかなにもいっていなかった.とにかく,発作が起こって死ぬと困るので,もらっている喘息の薬は必ずきっちり飲んでおけといった. あー,こわ. でも,テオロングの効き目が12時間なので,ちょうど飲んでから12時間で副作用も止まるということだった.どんぴしゃ.会議中しんどくなくなったのが,ちょうど飲んでから12,3時間後だった. 副作用がとれてからはかなり元気になったが,やはり,まだ痛いし,体もしんどくてだるい. 突然寒くなったので,それもあって,体がきつい. 早く元気になりたい.
1月17日 すきなこと 「おかあさんの一番好きなことってなに?」とたかちんが聞いてきた.すきなことって一体なにをさすのかな?たかちんの一番好きなことはなに?ときいたら 「ドッジボール」 というので,うーん,おかあさんは,えーと,歌を歌うことかな. 「ほんじゃー,歌ってよ」 うーん,でも,ちょっと恥ずかしいなあ.おかあさんの歌はパソコンにいっぱい入っているよ. 「えーっ,パソコンに歌はいってんのぉ?」 しかも,それ全世界に接続されている.恥ずかしいどころの話じゃないぞ. 正月のmp3を聞いていたら,私はやっぱりハードロックから入った人なのかなあと考えさせられた.バラード不得意だったし.というか,歌わせてもらえなかったんよね.ギタリストの方が歌うまかったから. (^^; 正月のmp3聴いて,ブラナイバンドのmp3聴くと,まあどっちもまだまだなんだけど,一体自分はどっちがどっちなのかなとか思ってしまう.それに,この先自分の歌ってどうなるのかなあとちょと不安.どっちもそれなりにどんどんへたになるのよね.そりゃ,昔はほぼ毎日歌っていたからなあ.歌って,やっぱり練習量だと思う.才能は関係ないと思う. 歯が落ち着いたら練習しよっと. 歯といえば. 会社では歯を抜くことは上司(課長と部長;課長はか○さん)とバンドのにし○かさんにしか言ってなかったのに,歯を抜いて会社に出たら,いろいろな人に「親不知どお?」ときかれた.なんで,私が歯を抜いたことを知っているの?ときいても,皆,変な答えしかしない. で,やっと,出所がわかった.なんと課長会議で部長が言ったらしい.部長が 「keikoさん(当然職場では名字)は入院するから」といって,他の人が「えっ,何の病気ですか?」ときいて「親不知抜くんやて」と言ってその場で大爆笑になったらしい. あー,はずかし. 言うなよ.部長.しかも課長会議で. で,課長さんたち,部下にいいふらすなよ.はずかしー.いいふらすなら,もっといいことをいいふらしてくれ.「keikoさん,歌が上手ねえ」とか.いやそれも困るか.
1月25日 まだ,歯がずきずき痛い.右下は痛み止めの鍼がきいたのか,右下のほうが手術大変だったのに,痛みがましになってきた.左上がずきずきする.歯医者に行っても,「化膿とかはしてないから,1ヶ月くらいは我慢しなさい」といわれた. 昨日,美容院で腰が痛くなってそのまま鍼にいったときにFTで見てもらったら,腰より,左上の歯の痛みのほうがFTで強く出ていたらしく,最後に左上の歯の痛み止めをしてもらった.これが,また,抜群にきいて,全然痛くなくなった.ツボって本当に恐ろしくよくきく. 歯で入院すること,会社の人には言っていなかったけど,やっぱり不安だったし,友達とかにはしゃべっていたのよね. そしたら,すごくみんな心配してくれて. メールでも歯のことを一言いつも付け加えてくれたりした.ちょっとでも気をそらせるようにとビデオ送ってくれた人もいた.病院だから携帯電話禁止でかからないことがわかっていながら,何度も何度も心配して電話してきてくれた人もいた.退院しても,ずっと気にかけてくれた人も,毎日様子を聴いてくれた人も. 自分がこういう悪い時期にあるときに,去っていく人,疎遠になる人と,逆に普段よりずっと気にかけてくれるひと,優しい声をかけてくれる人,なんとかしようとしてくれる人って,友達の中でも別れるよね. この日記で,部長が課長会議で私が歯で入院するって笑われたときも,かがさんがちゃんと「ふつうの抜歯ではなくて大変なんです」というのを説明してくれたらしい.ふつう,周りが笑ったら,一緒にわらっちゃって,まあそこまで説明せずに,黙っておく人が多いと思うけど,かがさんはそのなかで最年少だったのに,ちゃんと反論してくれたらしい. よく,本当の友達かどうかって,自分が調子悪いときにわかるよって言われるけど,確かにそうかもしれない. 大学のバンドやってたとき,バンドが全然だめなときは無視されて,いじめにもあったのに,ひとたびライブが成功したらいきなり周りがちやほやしたり. でも,その全然だめなときに一緒にがんばってくれた人がやっぱり本当の友達だよね. ただ,そういう気弱なときにつけ込まれると,つい,私もその人に盲目的についていっちゃうからそれは気をつけなくちゃ.宗教とか. 今回の歯のことで,心配してくれた人たち,本当にありがとう.特に,本当にまめにケアしてくれたあなた,ちょっと甘えちゃったけど,本当に心強かった.歯は痛いけど,本当の友達に囲まれていることがわかって本当に良かった.幸せ者だと思います.
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