今週末には高槻でコンサート参加というのに,それどころではなかった.高槻まつりに備えて,31日はスタジオ練習だったのに,それどころではなかった. 31日から乗鞍でブラナイ合宿だった.本当はゴールデンウイークだったのが,のびのびになって,やっと実現したのだ. おおつかさんが「へびちゃん,へびちゃん」(アクセントは「び」)というので,私もへびちゃんと呼んでいたら,「へびつかいさまのことをへびちゃんなんて呼ぶとはなんと失礼な奴」とおおつかさんとにしなかさんに言われた.きくところによるとそれほどの人らしい.しかし,何を根拠にそれほどの人かは決して言ってくれなかった.リッチーばりばりらしいが,りっちーばりばりの人はたくさんいる.だって,スタジオで知らない人と会ったら,とりあえずスモークオンザウォーターでしょ.これは日本の法律にも定められている. 事前におおつかさんにへびちゃんてどんな人?と聞くと「大柄な人」という返事が返ってきた.実際のメールの書き方は「大柄な人」ではなかったことをここで大暴露しておいて,あとで,怒られてもらおうか. にしなかさんにへびちゃんてどんな人?ときくと,「たぶん,keikoさんはへびつかいさんのこと,大好きになりますよ」というとても抽象的な答えが返ってきていた. この2種類の返事からは「それほどの人」な感じが伝わってこない.ただ,二人とも私のことを最近わかりつくしてきたので,たぶんこの答えは私にとっては正解だったのだろう. へびちゃんのホームページは,すばらしく緻密に整理されていて,作るだけでえらい時間がかかっているだろうことと,その中身の充実度とは裏腹に非常に謙虚な人であること,そして,今回の合宿ではゲストだったはずなのに,ブログを構えて宿の手配からなにからすべてやってくれたことなど,自分の中でへびちゃんってこんな人という空想がどんどんふくらんでいった. 空港について,待合所へ出た瞬間,その待合所の人がたくさんいる中から,スポットライトを照らしたように私にはへびちゃんがわかった.へびちゃんは,確かに「大柄で,keikoさんが大好きになる人」だったのだった. その後,大好きにも関わらず,どんどんわがままをきいてもらって,最初のナビゲーターから最後の空港に帰るまでずっとへびちゃんにつきあってもらった. ギターもうんと弾いてもらった.確かにリッチーだった.ギターもうまいが,その素振りがリッチーだった.これはとても重要なことだとおもう. 行きも帰りも一緒だったので,へびちゃんとたくさんおしゃべりした.そして,私がへびちゃんに思い描いていたこと,そして,会ってみたらそれがばっちりすべてあっていたこと,自分は一方的にへびちゃんと私は気が合うと思っていることなどをぺらぺらとしゃべった. 思えば,私はにしなかさんに最初に出会って,それまでのどん底の暗い暗い人生に光がさした.そのにしなかさんとバンドできるようになって,かがさんのギターとであって,おおつかさんに出会って,それだけで,たぶん,世界で一番幸せな人だった.黒のA6があたったときも,フェンダーのアメデラホワイトブロンドがクリスマスイブに到着したときも本当にうれしかったけど,この4人がであって,一緒に演奏できて,一緒にごはんを食べた時の方がずっとずっと幸せだった.最近は,この幸せも「家族」みたいになってきちゃって,えらくなれなれしい私だが,幸せなことには変わりはない.家族のわりに,私がコスプレすると,全員他人になるのはなぜか? その幸せについて,帰りの車でへびちゃんと,おおつかさんに語ってしまった.が,最初の「にしなかさんがドラムをたたいているのをみてすっかりファンになってにしなかさんの携帯ビデオまで作ってしまった」ところまで話して,後のつながりというか,だからこうなったというところまでしゃべらなかったような気がする.というか,そこまでぺらぺらしゃべっているうちに,あとの二人もあまりに話が長いのでうんざりしたのを自分で悟ってしまったのかもしれない.ははは. 要は,へびちゃんと鳥山さんと出会うまえまでは,滅多に会えないが,おおつかさんと会えることが最新の楽しみだったのだった.もちろん,その前はかがさんとにしなかさんと演奏できることが最新だったし,その前はにしなかさんを見ることが最新だった そのおおつかさんからへびちゃんと鳥山さんが数珠繋ぎ的に紹介されて,今回の合宿となった.というわけで,現在の最新の楽しみはえらく人数が増えてしまった.この年でこんなに楽しみが増えるとは人生とはわからないものだ. こんなに楽しい人生だとあとでしっぺ返しが来るのではないか? とも思ったが,それまでの悲惨な人生を思うと,今おもいっきり,返してもらっていると思えば気楽か. 鳥山さんはへびちゃんとは反対で,そのホームページとは全然印象が異なっていた.私は「なにか?」とか「ぷぷっ」とか言う人かなと勝手に思っていた.しかし実際には,背が高くて,甘いマスクでスレンダーでそれでいて性格の穏やかな落ち着いた人だった.私生活はきっと女性にかこまれてきゃーきゃーなんじゃないだろうか?それなのに,とても謙虚で,しかも,めちゃくちゃ高いギターを弾かせてくれたりする優しい人だった.コスプレに理解があるのももしかして,鳥山さんだけじゃないだろうか?でも,私のせいで,いっしょにコスプレできなかった.ごめんね,鳥山さん. 思った通りだったへびちゃんと,全然印象の違った鳥山さん.これからもどうぞよろしく.
8月7日 高槻祭りアートフェスタ クイーンのコピバン「QUEEM」として,高槻祭りに参加した.先週末は乗鞍ツアーだったので,私抜きで他のメンバーに練習してもらって,なんだか申し訳ない状態で今日を迎えてしまった. 参加して2回目のスタジオ練習の後,フェスタ参加が決定し,その後も2,3回練習しただけで,いきなり40分の持ち時間を埋めることになった.急遽決まってしまった曲もあったりして,バタバタしながらこの日を迎えた. バタバタしていて,自分は,前回の練習に参加していない割に,全く落ち着いてこの日を迎えてしまった. まあ,不安な箇所はいくつかあるが,なんとかなるだろう. ラッキーなことにリハにうちのバンドがあたったので,リハ30分に練習した.PAの音あわせのためのリハだったのに,みっちり不安なところを繰り返し練習してしまった.ははは.こんな直前にいきなり,同じところを何回もリハしだしたうちのバンドをみて,主催の人は不安をおぼえたことだろう. その後,みんなで讃岐うどんを食べ,楽屋にはいって,またいきなり練習を始めてしまった.こんな直前にこんな練習. 本番では一部こけたそうになったが,バンド愛でなんとか終了.←こう書くと見ていない人は一体どんなステージだったのか?と考えることであろう. ブラナイのにしなかさんが来てくれていて自らビデオをとってくれた.にしなかさんの私への感想は「腰振りすぎ.」確か前回のロジャーさんの私への感想も全く同じ.腰を振らずに唄う練習をしなくては.手でリズムを取ればよいのだな. 私は腰の振りすぎよりなにより,ブライアンと絡んだとき,マイクが上の前歯にがつーんとあたってしまい,そこが痛くて,歯がなんともないかどうかの方が現在は心配. あと,リハのときはくっきりだったモニターだが,リハの最後になって,いろいろな音をまぜこぜにされて,さらに本番でますます音が小さくなり,本番で自分の声が余りよく聞こえなかったので,音痴になっていたんじゃないかというのがすんごい心配. 上記だけ見ると,ほんとにとんでもないステージだったことが手に取るようにわかるだろうが,爆笑ビデオはまだ手元にないので,不安ながらも,まだ偉そうに生活できる私. しかし,我々の後に演奏していた若手のハードなバンドは,ものすご〜〜〜く上手だった.息もぴったりで,音が分厚く,ぴしっときまっていた.ステージングも非常にあっており,いかにも「何十回も練習してます」という感じ.「数回練習してみました」という我々とはちょっと違う.我々もこれから1年何十回も練習したらぴしっとなるか?といわれると,それはうーん,無理かなあ.やっぱ,学生はいいよな.毎日練習ばっかやってんだもん. とはいっても,だからあきらめるというわけではなくて,これから少しずつできることだけでもがんばろうと,前向きにまとめておこう.
8月14日 バンドネタ月間ということで 今月は1日7日とバンドネタが続いたので,このままバンドネタ月間として音楽に関することで書こうっと. まず,音楽ファンの中でバンドをやったことある人って何割くらいかな?今バンドやってなくても,ギターを買ったことがあるとか,ピアノで好きなアーティストの曲を練習してみたでも,大きな意味でのバンドやったことのある人と数えたら,3分の1位かなあ??大体音楽ファンというカテゴリーも難しいよね.お気に入りのCDがある人,お気に入りのアーティストを持っている人だろうか?うーん,だったら,かなり広くなるかも. 中学高校のときは,なんだかわけわからないけど,私の周りの友達は音楽好きが多かった.というか,音楽好き同士が友達になったんだろうか?で,その音楽好きの中で,半数はバンドやっていたんじゃないだろうか? ここで問題なのは,音楽好き(というか洋楽好き)というのは,一学年360人いた中でせいぜい50人くらいだったということだ.その中でバンドをやっていたのが半数だとすると,残りが純粋なリスナーということになる. 従って,私が高一のときの文化週間で405教室で放課後やったライブに来てくれた100人近くの人間のうち,半数以上は「音楽が好きでもないのに,keikoが来てって誘うものだから義理で見に行ってやった」優しい人たちということになる.当時あの手の教室ライブといえば,お客は20人くらいが普通だったのが,あのときのライブは,その日の家庭科の授業のときに女子が大集合したことをいいことに,意味もなく宣伝しまくってしまったのだ.その結果,普通,ハードロックやら,マイナーな洋楽を聴いたり演奏したりしている男子だけで集まるはずの405教室に,どどっと関係ない女子がやってきたのだった.バンドのメンバーも「げっ,女子ばっかり」と言っていた. 全く興味のない音楽をへたくそな演奏でじっと1時間聞いてくれた女子たち,ほんまにすみません!そういう意味でもいまだに私は尼崎から高知の方向に足を向けて寝られません. まあ,そんな統計はおいておいて.(おいておけないけど,おいておいて) じゃあ,音楽好きって人が「バンドをやろう」という気持ちになるのは,一体どういう人で,どういう目的からだろうか? 私の場合は,ホームページの自己紹介にも書いてあるように,中学1年生の時,とんでもなく厳しく怖かった音楽のT先生に,クラスで唯一,歌唱のテストでほめられたことから歌が大好きになった.元々唄うことは好きだったけど,あのおっそろしいT先生がものすごく柔らかな口調で「そうやそうや.そうやってうたわないかん.」と言ってくれたのはすごくうれしかった.クラスには,音楽教室へ行ったり,本格的なコーラスをやったりしている人もいたけど,そういううまい人はほめず,私だけをほめてくれたのだ. その先生は私が中学3年生のとき,お年でやめてしまった. 中学3年生のときは,クラスにあまり友達もいなかったのだけど,たまたまよく席が隣同士になるHくんがバンドに誘ってくれて,そこで歌えることになった.そのバンドは,すぐに解散したけど,その後,すぐに,鸞に拾ってもらうことになる.ここでも,ギターのTくんに最初に「気に入ってしまった!」とほめてもらい,以来ずっとTくんにはお世話になっている.Tくんは親分肌なので,そういうことを当時からちゃんと口にだして言う人だったんだな. 要は,何の取り柄もなかった私をほめてくれた人が居たから歌い出したってわけだ.本当に取り柄というものは探してもないくらい無かった.今は仕事じゃ日本の誰にも負けへんと思っているけど.学生のころはね,もう,「かわいそうに思われるほど」天パーだし,頭でかいし,成績悪いし,運動神経ないし,彼氏もいなかったし. 本当は当時はクイーンが好きだったんだけど,最初のバンドは邦楽(ミカバンドとかOZとか)だったし,鸞はキッスがメインだったし,元々好きな音楽というわけではなかった.それでも歌えることが楽しかった. でも,これは私の話であって,Tくんなんかはキッスが好きでギターを弾き出してバンドを始めたわけだ. この最初のバンドをやりだした理由というので,音楽に対する姿勢はずいぶん変わってくると思う. Tくんはその後,ガンガンとバンド道を突っ走り,結局プロになった.本人も言っているが,バンドで日本を征服したいというか,バンドライブを通じて人を踊らせたい,狂熱させたいという目的があった.キッスという,めちゃくちゃライブなバンドから入ったせいか? これに対して,私のように,「歌が好き」とか「演奏が好き」で入った人というのは,ちょっと目的が違うように思う.Tくんタイプは客がいて,客を喜ばせたいタイプであり,私タイプは自分が楽しみたいタイプである. Tくんタイプは,たぶん,誰でも呼んできて大勢の前でライブしたいとおもう.だから,私が女子を沢山集めてきたときは,そんなに悪い気はしなかったと思う. 私は未だに,あの沢山集まってくれた女子に悪いという気持ちが収まらない.あと同窓会ライブでも音楽に全然興味ない人とかが「あー,うるさい,はやく演奏終わらないかな」と心で思っていると思うと,居たたまれず,どこかへ逃げ出したくなる. 自分がやっている音楽を好きでない人を楽しませられるほど自分に実力がないからかもしれないけど. 同じ音楽を好きな人たちだけで音楽を演奏したり,お互い見たり聴いたりできたら一番なんだけどなあ. その前に,同じ音楽を好きな人たちだけで演奏するだけで私は満足なんだけど. さらにその前に,自分一人で演奏するのも結構好きだったりして. 前に,職場に研修に来ている人にベースを教えて,無理矢理一緒にバンドやったことがあった.彼は「ロックって見た目はチャラチャラしてエーカゲンな感じやけど,みんなで演奏するまえに,めちゃくちゃ地道な練習せなあかん,ものすごく暗くて努力家じゃないと続かん趣味やな」といったことがあった.自分はそんなこと考えたこともなくて,好きな歌は何度でも歌うから歌詞も覚えるし,ギターも何度も練習するのが楽しいから練習するし,地道とかなんとか思いつきもしなかった.だって,一人でギター弾くの楽しいやん. 練習が苦しい!と思うほど,自己練習する時間がないからかもしれないけど. 歌詞が覚えられなくて困るというのは,ライブ前にいきなりなじみでない曲を言われた時位で,好きな曲はすらすら覚えるのよね.英語の意味とかわからなくても,その音で覚えてしまう.だって,その音すらも好きだから. 私は記憶力がめっちゃくちゃ悪くて文系すてて理系に走ったんだけど,なぜか音だけはよく覚えられるのよね.自分一人でも音楽が楽しめるからだと思う.これってアマチュアの特権だと思う. プロになったTくんは音楽がつらくて苦しい時期があって,自分でも「音が苦」なんて言ってたことがあった.やっぱ仕事だし,楽しい楽しいだけではだめだよね.めちゃ厳しい世界に生きているのだし.(今はそれを乗り越えてめちゃ楽しそう.よかったねえ!いつでも応援してるぜ!!) 前にA6買ったとき「A6なんか買ってどうするんですか?」とブラナイのにしなかさんに聴かれたことがある.彼はどちらかといえばTくんタイプで楽器を買うからにはどこかでお披露目ないしはバンドでやるという目的があるのが当然というタイプなのかもしれない.私がギターを買ってバンドでやると思ったか?(実際スタジオではやっている.でも,知らない人の前では絶対にやらない) じゃあ,全国でピアノを買って教室に細々と通ってやっと1曲弾けるようになって喜んでいる大半の人とかは一体なんだ?ということになる.音楽は人知れず,一人できれいな演奏ができるようになれることも一つの大きな楽しみだと思う. ということで, 来年あたり時間に余裕ができたら,今度はまた,オペラに再挑戦でもするかな.いや,絶対にお披露目はしませんよ.自分で感動するためです. 8月22日 クイーンのカラオケDVD 7月にクイーンのカラオケDVDが出るというので予約して購入した. 以前,私たちは高知へ帰ったら必ず寄りたいカラオケバー点があった.点には,クイーン大好きのマスターが居て,噂のカラオケレーザーディスクがあったのだ.噂のカラオケレーザーディスクとは,クイーンのほとんど全曲のカラオケがはいったれーざーディスクである.もちろんシングルカットされていない曲は,ビデオがないので,画面は真っ暗なまま歌詞だけが映し出される.全曲ということなので超マイナーな名曲であるクイーンIIのブラックサイドとか,そういうのもあったと思う.このレーザーディスクをおいてあるカラオケバーは大阪にもあるらしいが(というか,公式レーザーディスクなので,そこいらへんじゅうにあるはずなのだが,最近通信カラオケしかおいていないところがほとんどなので,レーザーディスクは捨てられてしまっている場合が多い.たぶん,ハードウェアのメンテができないのではないだろうか?)最近,このレーザーディスクに出会ったことがない. そこへカラオケDVDが出るというのでかなり期待して購入したが,ただのMTVからフレディのパートだけ抜いたものだった.というわけで,全曲とはいかず,35曲しか入っていない. それでもまあ,お得感はあるので,よしとしよう,と思って購入したのだが,マッキントッシュのパソコンについているアップルのDVDプレイヤーで再生しようとしたら,上の方だけ切れて表示されて,全く画面が出ない.画面が出ないということはカラオケもできないというわけで,全く用をなさなかった. しかし,松下のDVDプレイヤーだとちゃんと再生できた. DVDのパッケージを見てみたが,東芝EMIの住所はあるものの連絡先はない.東芝EMIのホームページにも苦情を受け付けるアドレスはない. なんでなんだろうか?と一応アップルのホームページを見てみて,自分が入れているバージョンを確かめたが,最新バージョンだった.実は,このDVDプレイヤー,最初入っていたものはバグがあって,うまく動かなかったのだが,鍼灸の先生にそのバグは新しいプレイヤーで解決されていることを教えてもらってインストールしたのだった. で,昨日,購入先のHMVに聞いてみたら,
という返事が返ってきたので,どうも,DVDは交換してくれなさそうである. で,念のため,もっかい,同じアップルDVDプレイヤーをダウンロードしてきてインストールしてみたら治った.どういうわけか治った.バージョンを確認したが,同じものが入っている. よくわからないが良かった.パソコンって,ほんとうによくわからないが,解決したりフリーズしたりする.機械なので,我々にはわからない内部事情があって,因果関係ははっきりしているのだろうけど,いつもよくわからない.同じ作業をしても,動いてくれたり動いてくれなかったり,自由気ままだ.単なる機械のはずなのに. こういう物理現象が重なったりして心霊現象って起こるのだろうか? DVDといえば, ウインドウズで焼いてもらったDVDはアップルのハードウェアは受け付けない.クイーンのカラオケDVDはハードウェアは受け付けるが,プレイヤーが受け付けなかった.しかし,ウインドウズで焼いてもらったDVDの場合,「うーん,うーん」と悩みだし,ついには,げろっと吐き出してしまう.これは一体なんなのか? ま,とりあえず,カラオケがはいってよかった.ショーマストゴーオンでも唄って泣くか.
8月28日 クイーンのアルバム クイーム(クイーンのコピバン)のキーボードの女の子がクイーン初心者で,なかなか候補曲のアルバムが見つからないというので,私がいくつかダビングすることにした.(あくまでも試聴であって,著作権にふれるような類ではない.試聴したあと,ちゃんと買うし!) 家に買ってあったクイーンの3枚目までのアルバムのCDを持ってきてダビングしようとしたら,なんと,最後の方にボーナスが入っていた. 私はLPで全部持っていたし,聴きこんでいたので,頭の中に完璧に再生できていたのでなかなかCDを買わなかったのだが,ある日,やっぱりよくわからないところがあるかもということでCDを買いそろえたのだった.しかし,その後結局内容を聴かず,そのまましまい込んでいたのだった. ファーストアルバムには炎のロックンロールの別バージョンが入っていた.私はあと2つ違うバージョンを知っていたので,これで4つのバージョンが揃うことになる.それぞれちょっとずつフレディの歌い方がちがうが,やっぱり正規のが一番整っているかな. あとマッドスウェインとか,マイナーなフレディの曲も追加されていたりして,それがおもしろくて,ダビングどころではなかった.(^^; 面白がる自分をおさえて,やっとことでダビングしてから自分がダビングしてまとめたのを聴くと,一緒に唄いたくなって,CDと一緒になって唄ったが,やはり,中学生のころの自分とは全然違っていて,フレディっぽくなかった. 当時はボーカリストとしてはフレディが一番だったけど,バンドやるうちに結局ストロングスタイルになってしまい,好みもポールロジャース,グレンヒューズ,ポールスタンレイ,ジノバネリと,なんだか「歌が上手な人」になってしまったし.そうこうしているうちにフレディもやたらストロングスタイルになってきたのだが,フレディがそうなっちゃうと,なんだかフレディじゃないみたいだし.初期のころのやわやわ唄っていたオカマのフレディが一番だと個人的には思ったりして.
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