2005年3月の日記

3月5日 しあわせものっていったい?

日本に住んでいる限りはしあわせものの部類かもしれないけど,物質的なものだけが幸せかどうかを決定するのかわからないし,幸せかどうかの判断は他人ではなく自分でするものだと思う.

それとも幸せと不幸はだれしも半分半分なのか?それとも気の持ちようなのか?

今私は幸せかどうかが重要なのではない.そんな風に自分を定義することに意味はない.

問題があるのなら解決すべく考えて行動するのみだ.

心配するのではなく,考えなくては.慎重に考えなくては.ただし,そんなに時間は残されていないし,考えても事態は変わらないので,早く行動しなくては.

ま,とりあえず,風邪ひいたので,ひどくならないようにがんばります.といいつつ.またひどくなるんだろうな...


 

3月10日 インフルエンザB型

先週5日土曜日の昼頃からまたまた喉が痛くなってしまった.(5日の日記参照)2月に風邪ひいたばかりだが,このところ,ずっと疲れていて(5日の日記参照),その上で出張で人混みにつっこんでいったせいかな?と思っていた.日曜日になると足腰が痛くて少し熱が出てきて,咳も止まらなくなってきたが,そろそろ杉花粉が飛び出したせいかアレルギー性の鼻炎の症状もあったので月曜日に医者行こうと決めていた.月曜の朝はかなり風邪っぽかったので,朝まず内科をのぞいたが,インフルエンザらしき人々でごった返していたので,仕方なくそのまま出社した.

月曜日は原稿校正の約束をしていたのと,納期が迫っている報告書の仕上げ(というか客先フォロー)があったので,仕方なく出社したのだが,咳はどんどんひどくなっていく.午後3時位になってやっとおわったので,まずは耳鼻科へ行ったが,いつものように混雑していたので,順番だけとって,買い物して帰宅し,夕ご飯の準備と洗濯してから耳鼻科へ行った.足腰も痛いんだけど,熱はあまりなくてと説明したら,「アレルギーです」といわれて,しかもジルテックの5を薦められた.以前10をもらっていたし,5では効かないといっても「眠くなるから」といわれた.うーん,昔だったら,私の特性をすごく理解して覚えておいてくれたのに,喘息のこともすっかり忘れてしまっていたようだった.人気がありすぎて,ここももうだめなのかな〜.

それでもやっぱり熱っぽいので,医者の梯子で申し訳ないとおもいつつ,馴染みの内科へ行ったら即テストとなり,インフルエンザBだったことが判明した.私の前に私と全く同じ症状の女性がいて,咳がつらそうだった.彼女も私もそのまま点滴室で点滴.点滴室の大人は皆点滴うちながらメールうっていた.えー,この病院メールオッケーなのか?と驚きつつ私もメールをうった.しかし,私の場合,メールはなんだかちっともその効力がなく,結局あとから加賀さんに電話して「メールみた?」「みてない」「うー,みてよ〜.私インフルエンザになっちゃったよ」と伝えたのだった.

私,メールは両手うちだから点滴うってる手を添えていたから点滴途中で落ちなくなったりして苦労してメールうったのに,加賀さんにはその苦労は無駄だった.一体どうなっとんじゃ,EZウェ○.前も私がうったメールがかがさんに届かなかったぞ.


3月13日 水道代

尼崎の水道代がまた値上げらしい.値上げの一番の理由として,「近年の節水による需要減少」があげられていた.あれほど,水道局は節水を呼びかけていて,いざ節水したら値上げかいな.

尼崎の水道は悪名高い淀川の水をつかっている.淀川の上流は宇治川で宇治川というのは,京都の下水道として有名で,昔よくいわれていたのは,「大阪人は京都人の下水を飲んでいる」というものだった.尼崎は阪神水道なので,その淀川の中でも最も下流の部分を使っているという噂だった.

確かに京都から引っ越して尼崎に住み始めたころ,その水の臭さに閉口したものだった.浄水器をつけたりしていたが,友だちの中には米を洗うのもミネラルウォーターをつかっている人までいた.風呂の湯気は塩素臭くて,そのせいで,肌荒れになったような気もする.

ところが,10年くらい前だったかな?尼崎の阪神水道局はオゾンによる高度処理浄水を導入したので,水はすごくきれいになり,今や我が家も浄水器なんかつけていない.風呂でも塩素を意識することはなくなった.逆にO157の騒ぎのときに,尼崎の水は塩素が少ないので殺菌力が弱いのではないかという噂まで流れた位だ.

きれいな水になったので,うちなんか,昔よりじゃんじゃん使っているがそれでも水の使用量は少なくなっているらしい.

淀川の水は琵琶湖から来ている.雨が少なく気温が高くなった夏などに琵琶湖の水位が危ないという話がたまにあって,その際,節水を呼びかけられる.しかし,それで日本の地図から琵琶湖がなくなったという報告はいままでないし,生態系が崩れたという話も聞かない.関東ではよく水不足になるが,関西,特に阪神ではそんなことは今まで全くない.

そういう場合,下水って水をたくさん流した方が,下水が良く流れて,汚水もちょとは薄まって,結局海にとっては良いのではないだろうか?家庭のお金の問題は別として,阪神水道で節水することに意味があるんだろうか?それなのに,なぜ今まで阪神水道は節水を呼びかけていたのだろうか?人口に比べて水源が限りある場合は節水が重要だと思うが,阪神水道に関してはその必要性が感じられないのだが,どうなんだろうか?


3月21日 お彼岸

暑さ寒さも彼岸までというが,毎年花見はいつも寒いのでそうとも限らないんだろうな.花粉は早く止んで欲しいものです.

花粉にも負けず,インフルエンザの後遺症の痰にも負けず,クイームの練習へ行ってきた.今回は吹田で,いかにもオーナーは好きでやっている感じのスタジオで,建物の構成は,よく大学生が合宿で使う田舎のペンションスタジオって感じだった.きっとオーナーは大学の合宿でこういう雰囲気のペンションスタジオ行っていて,脱サラしたら,こういうのを自分で都会につくって自分がそこで練習しようと思っていたのではないだろうか?機材は良かったが,エアコンは掃除していないらしく,かび臭かった.喘息持ちのボーカリストとしてはエアコンの掃除希望である.

新しく加入したベーシストも私と同じ時期にインフルエンザにかかっていたらしい.キッスのトレーナーを着ていたところやなんかもなかなか好感度あふれる青年33歳であった.クイームになじんでくれるだろうか?なじむかなじまないかはうちのロジャーさんのがんばりにかかっているような気がする.ロジャー,ちょっとは家で練習してくれ.ロジャーが練習したら,私も見習ってするから.


3月27日 大地震

以前ここにも書いていたように,私は高知県出身で大学は関西地方を選んだ.最初は関東地方を志望していたが,関東地方は地震が多く,近々大きな地震が来ることが予想されていたので避けた.同級生はそんな私を心配しすぎだと笑い,そんなことで住む土地を決めるなんてと言われたものだった.

就職先さえも,最初は関東地方を志望したのだが,結局関西にしてしまった.

その結果阪神大震災に遭ってしまった.

それまで,どこの地震予想を見ても関西に地震が来るとは書いておらず,関東が危ないとされていた.しかし,地震後,地震の専門家という方々が現れ,「昔からこのあたりは活断層があって地震の巣だ」と言った.地震前にそうしたことはきいたことがなかったのに,地震後にはそういったことがいわれた.

その後,関西地方は活断層だらけだが,あと大きな地震が起きそうなところとして,やはり,関東と,南海沖が挙げられるようになった.

ところが,その後,鳥取で大地震が起きた.やはり地震後専門家の方々が現れて「前からこのあたりは危ないと思っていた」などという.しかし,地震前はそんなことは聞いたことがなかった.

その後新潟で大地震が起きた.やはり地震後専門家の方々が現れて「前からこのあたりは危ないと思っていた」などという.しかし,地震前はそんなことは聞いたことがなかった.

そして,つい数週間前,地震の専門家達は,日本の地震危険マップを公開し,その数日後に福岡に大地震が起きた.しかし,そのマップでは福岡に大地震が起こる確率は非常に低かった.

地震の専門家という方々は一体何を研究されておられるのだろうか?

もし確率がわからないのであれば,わからないとして,わからない根拠やこれまでのデータを公開すればよいと思う.日本中どこでも大地震は起こりうるのだと.

地震が起きた後に,「起こると思っていた」というのは後出しじゃんけんだとおもう.

エンジニアであれば,わからないことはわからないというべきである.


 

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