2006年2月の日記

2月5日 ふーちゃんのぶろぐで

日本人は表のノリが伝統と書いてあったが,最近の若い子は全員いつのまにか混血なのか,裏の裏まで簡単にのってしまう.日本人って模倣が得意だからヒップホップが輸入された時点で即座に対応してしまったんだろうか?

よく日本人は伝統的に草食だからアメリカ式の肉食をしていると大腸癌になりやすいとかいうが,日本人が草食になった歴史ってどんだけ長く見積もっても2000年程度じゃないんだろうか?それまでは農耕の技術もなかっただろうし,そのへんの猿と同じようなものを食べていたとすると,肉食していたと思う.遺伝的なレベルで考えるとたった2000年で大腸が進化するとも思えないし.

でも,上記のノリの問題に留まらず,ここ10年程度で,日本人の顔や姿が大きく欧米人化しているように見えるのは私だけだろうか?食生活だけでああなるのか??そんなに食生活が欧米化しているのか?私達おばちゃん世代といえば,よっぽどの美人で無ければ,日本人といえば,顔がでかくて背が低くて胴が長くて足が短かったんではないのか?今の子供達や若い人を見ると,皆かっこいいではないか.

例えばフィギュアスケートでは,私の周りの男性なんか「日本人体型でいくらがんばって回っても芸術点でまけるし,見ていて情けない」などと心無いことを言っていたが,今はどうだ?あんなに姿形の美しい人たちが平気で3回も4回も空中で回っているではないか?

技術努力については,コーチが良ければ,とも思うが,容姿は体全体を骨から整形するわけでもなくどうしようもないとおもうが,それがあんなにかっこいいのはなぜか?

案外,体というのは,「こうなりたい」と念じれば,どんどんそういう風になっていくのかもしれない.限度はあるだろうが,だんだんそうなっていくのかもしれない.しかも,そのスピードは思っているよりかなり早いのかもしれない.私は小さいころ一重瞼だったが,コンタクトレンズをするようになって二重瞼になった.一重瞼の頃は二重瞼になりたかった.念じているのが神様に通じたか?単に年とっただけか?

その一方で,個体として固まってしまうとどうにもならないことが多い.私の髪の毛もそうだが.

もしかして,うまれたのちも,絶えまなくずっと念じていれば神様がいくつかは「いっこ位叶えたろ」とか思ってくれるんだろうか?それが私の場合二重瞼だったか?それとも世の中の技術進歩による縮毛矯正か?

多分あんまり贅沢すぎる望みだと,逆に怒られそうな気がするから,適当なラインで念じ続ければよいのか?って,そう思っていること自体,神様が「なめんなよ」と思われるかもしれない.えーん,ごめんなさーい.

まー,日本人だからとか,自分の容姿がどうだからとか,うまれた環境がどうだから,貧乏だから,病気だから,仕事で嫌なことばっかりされる等々,文句思い付けば果てが無い.ネバーエンディングストーリーだ.今ここで「こうなってほしいと思うことを述べなさい」とか言われたら,多分えんえん何時間でも喋り続けるのではないかという位ネタは尽きない.

しかし,そんな私のようなみすぼらしい奴でも,みすぼらしい奴でありながらも,みすぼらしい奴の割には,結構楽しいこともあり(ブラックモアズナイトの新譜が結構良かったとか),嬉しいこともあり(たかちんに最近友だちがたくさんできて家に遊びに来てくれるとか),二重瞼にもなったし,時間が係り過ぎて腰が痛くなりはするが縮毛矯正で髪の毛もある期間はまっすぐになるし,生きてこの美しい地球で,この日本で生活できて,曲がりなりにも仕事につけて,少しは人の役にたっていられるなんてなんて幸せなことでしょう.ラッキーというか.

私はブラナイのコピバンなどでお世話になっているばりばり関西地元のにし○○さんに「関西なんかいやだ.知り合いもおらんし,こっちきてろくなことないし,価値観違うし」みたいなことばっかり言っていたが,関西地元のにし○○さんはさぞやムカムカしていたことだろう.ごめんなさい.まー,確かに私は郷土愛は深いが,こうやって関西でもなんとか生きてこられたのだし,文句は最小限にしよう.(注:最小限というのは人によって量が違うと思うぞ)

ということで,大殺界の中,ひっそりと感謝していきましょう!

 


2月19日 不満と向上心

よく,人間向上心がなくなったら終わりとか言われるが,それって,常に不満を持ち続けなさいってことなんだろうか?

不満だけで向上心がないと不幸だが,不満は向上心の元だから,不満がないとそこで満足なので向上心はないよなー.

不満があって向上心があると幸せなんかな?

ある程度のところで満足したとして,それにやっぱり満足できなくて,さらに向上を望むってきりがないよなー.でも,それで向上したらさらに幸せってことか.

幸せって幸せ感という感触だから,不幸が多くて深刻なほど,ちょっとしたことで幸せになるよね.

これって本当に幸せっていうんだろうか?

幸せの青い鳥みたいな,とうがらし部屋から屋外にでたときみたいな,「幸せは今そこにある」という幸せ感は向上心から見ると罪悪なんだろうか.

向上心を持って良い分野と持ってはいけない分野があるんだろうか.それは,倫理観できめられるものなんだろうか?倫理感って,自分の感じる主観的幸せとは必ずしも一致しないよね.

なんちゅーか,ちょっと幸せ,ちょっと不満,ってのが一番なんかな.

ものっすごい幸せがずーーーーーっと.っていうのが理想かもしれないけど.

客観的にみて恵まれている人が「わたしって不幸」とかいうと,

けっ

と思うのも事実だな.

他人にどう思われるかは主観とは関係ないといいつつも,他人に嫌われるのが積極的に幸せと感じる人も少ないだろうし.

例えば,かわいーい女の子が「私,ここの目がちょっと垂れ目になっているとこが不幸なんですぅー」といって向上心持っていたら,多分,かなりの女性を敵にまわすかも知れない.

あきらかにその場にいる女子の中でもっとも胸の大きい女の子が「私の胸小さいのが不満なんですぅー」などというと,多分もう心からの友だち付き合いはできないのではないか?

口に出さず黙って向上心を持つ

というのが正解なのかな.

一方,自分の努力ではどうにもならない不幸もあったりする.他力本願でしか解決しないこととか.それは向上心でなく,攻略心を持つってことになるんだろうか.うーん,そうでもないような.それにそういうのが結局戦争なんかに繋がったりするんだろうな.

といって,人の目を気にしすぎて,何もできないまま,一生終わるんだろうなあ.


2月23日 にがつはにげる

昨日出張で坂道を登りながら目的の建物がどれか探していたら(要はよそ見しながら歩いていたら)左足が側溝につっこんでしまい,前にべたんとこけてしまった.のぼりの坂道なので,意外と地面と顔面との距離が短く,最初右足のすねを打ち,それですむかと思ったら手をつき,それですむかと思ったら顔面を打ってしまった.上の前歯が痛かったので歯が一番心配だったが,なんとか大丈夫だった.口の周りもすりむいて血が滲んでいたが,花粉避けのマスクのおかげで比較的軽くすんだ.出張先でマキロンを貰ってトイレでタイツ脱いでみたらほんとに子供みたいにすりむいている.いたた.それでも,なんとか仕事(講演)をこなし,その後の懇親会まで出席した.講演中は,こけたショックのせいか,耳がおかしく,腰も痛いし,よくこんな状態で講演するなと自分でもえらいなと思った.この日はなんだか疲れてしまい,10時半頃に眠くて仕方がなくなって眠り込んでしまった.

春に自転車でこけてしりもちついたときに座骨神経痛になってしまったので,今回もなんかあるだろうなと思っていたら,やっぱり次の日手が上がらなくなっていた.鍼に行ったら軽いむちうちということで治療してもらった.

会社へ行っても中途半端な時間しかないので思いきって休んで家にいることにした.

昔私がヘビーメタメタ状態の時に元気づけてくれようと思ってつくってくれたしりとりビデオをかえしてと言っていたのを思い出して,ビデオ箱を見てみたら,なんだか懐かしいビデオが沢山はいっていた.ゴルバチョフがあらわれるまで米ソの冷戦で核兵器の脅威が映画によくなったころがあって,その特集ビデオが出てきたので,ちょっと見ていたが,やっぱこわいな.みょーなオカルトよりよっぽどこわい.でもって,テレビの録画なので当時のCMが一緒に入っているのだが,これまた懐かしい.

なんて,とろとろとした日々をおくっていたら,なんと来週は3月ではないか!納期来る.ちゃんと納められるのか?乞う御期待.


 

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