2007年2月の日記

2月3日 滑り込みセーフ!

全国的な統計調査結果から全国でもっとも学力が低いと診断された市に住んでいることに加えて,昨今のゆとり教育で基本的な学力危機に陥っていることも気になり,昨年からたかちんには家で学校以外の勉強をさせて,私立中学入学を試みていた.お隣の大阪は結構公立も良いということを聞いていたが,兵庫,特に阪神間では受験と言う意味では私立が断然有利という話も聞いた.当然公立でも全く問題なく大学に進学する人もいるし,うちの職場にもそう言う人はたくさんいる.しかし,それは子供がしっかりしていたからとか,たまたま良い先生に出会えたからとか,浪人をして予備校に通ったからとかいろいろな理由があるらしい.兵庫県は全国的に受験校として有名な灘中を始めとして受験校がズラッと並んでいる.

私が育った高知県も大学受験に関しては私立が強く,公立から大学に行こうとすると,それはかなり本人の努力を伴う.それも良いとは思うが,多分,意志の弱いたかちんには無理だと親として冷静に見ている.

さらに私も私立の中高一貫教育を受け,その恩恵にあずかった.塾や通新教育などは全く不要だったし,学校の授業と補習さえ受けていればなんとかなった.先生が変わらずずっと母校にいてくれるのもありがたい.高校受験もなかったし,六年間同じともだちと一緒にいられたし,私立の中高一貫校に行けて良かったと思っている.

受験校だとどうしても女子が強いので,男子校でもいいなと思っていた.夏にいくつか私立中学へ見学に行ったが,男子校の子供達はなんだかのんびりしていて,少し幼く,すれたところがなくのびやかだった.私は男子校っていいなと思った.職場でも男子校出身の子たちは,今でも男の子どうしでじゃれあったりしていて楽しそうだ.

しかし,夫は「共学で女子にもまれた方がよい」という考えだったので,たかちんは夏頃から急に社会を猛勉強することになった.

私は何度もしつこいが,社会は本当にだめだった.社会がだめだとわかっていたから,はじめから理系だったが,中学高校と一番勉強時間をさいたのが社会だった.社会は本当に勉強時間をとられた.しかし,どんなにがんばっても覚えようとしても全く覚えられなかった.クイーンの戦慄の王女からクイーンII,シアーハートアタック,オペラ座の夜,華麗なるレース,世界に捧ぐまで,50曲以上の曲を全てそらで歌えたのに,記憶力は変なところにはあったが,壬申の乱がいつどこでどんなふうだったか,それはどうしても覚えられなかった.睡眠学習機も購入したが無駄だった.

結局,国立大学の共通一次試験で,理系課目が満点だったのに,国語と社会が足をひっぱってしまい,当然ながら傾斜配点で国語と社会の比率の高かった国立大学は落ちてしまい,受験課目に社会のない私立大学に入学した.しかし,あの時,国立大学に受かっていたら,今,こんなふうに,製造業の会社の研究所ですきなことやっているかどうかわからない.人間万事塞翁が馬である.(国語は苦手だったが,漢文だけは得意だった)

だから,私は息子がどんな大変な思いで社会に取り組んだか知っている.そして,そのコスト対効果がどんだけ薄かったかもわかっている.多分そうなんだろうなとわかっていたので,できるだけ日常生活でも社会の問題を出したり,過去問題からよく出る傾向の社会の分野を一緒になって覚えたりした.

そして,結局,たかちんは共学の中学の受験に失敗してしまった.算数国語理科は本人が本当に満足できる結果となり,意気揚々としていたにも関わらず,やはり社会はさっぱりわけがわからなかったようだ.受験後「どうだった?」と聞くと,他の課目は元気よく「大体わかった!」と答えたのに,社会だけは,答えにくそうに「よくわからなかった」という返事だった.こういう場合,これまでに模擬試験の経験から,大体社会の点数は20点とか30点とか,目もあてられない数値だ.私もたかちんの模擬試験や社会の勉強ぶりを今まで見てきたので,本人の口ぶりで結果は手にとるようにわかる.

しかし,何に対してもやる気がなく,楽に人生を乗り切りたいたかちんが社会の勉強についてはこの半年本当にがんばった.ものすごいストレスだったろうに,本当によくがんばった.それなのに,その社会がネックとなってしまった.彼はそれが無駄な努力だったと後悔するだろうか.それともそんなことは忘れて前向きに次を考えるだろうか.それとも,それでも自分はよくがんばったという自分の糧とするだろうか.

第一志望の共学に落ちてしまったたかちんは1週間後,他の中学の二次募集という非常に狭い枠に申し込み,再度受験した.ここは夏のオープンスクールで見に行った男子校の中学で,本当に素直なかわいらしい男の子達ばかりがいる学校だった.私もここにたかちんが行けたらいいなと思っていた.しかし,当日の受験場は,他の受験校を失敗した子供達が予想以上に集まっており,倍率は五倍程度だった.たかちんはこの難関を突破し,男子校(の難関校受験クラス)に合格した.うーん.私と一緒やん・・・.でも良かった.ほんとによかった.

夫は「このがんばりを第一志望に向けたらよかったのに」なんてひどいこと言っていたが,そんなことはない.たかちんは第一志望でもよくがんばった.そして,この学校の受験でも本当によくがんばった.風邪をひいたりノロウイルスにやられることもなく,プレッシャーにまけず,ちゃんと受験した.この中学で良かった.これも何かの縁だ.この学校はたかちんに「うちに来て下さいね」と言ってくれたのだ.そして,私が人生を歩んできたように,たかちんもこの中学からまた人生を歩み始めるのだ.


ふと,ある駅に有名な中学受験塾の広告が出ていた.この塾の何人が灘中をうけて,何人が受かったという実績を書いている.何十人か受けて何十人かが落ちている.きっとこの何十人って,今まで勉強しまくったすごく優秀な子供達だろうに,落ちたらいったいどうなるんだろう?

うーん,なんだかつらいなあ.

 


 

2月11日 ディープなパープル

自宅のエアコンの室外機が爆発炎上したり,それについて「安物を買うからよ」と姑に怒られたり,いらいらしていた最近ですが,受験も終わったってことで,昨日は2ヶ月振り位でカルメンマキの方のバンドをやってきました.ちょっとひさしぶりってことで,慣れて来た曲もあり,やるにつれて同じとこでつまずいてだんだんしんどくなる曲もあり,どんな曲やったか忘れてしまう曲(!)もあり,あー,なんかカルメンマキって難しいなあと思っていたところ,ギターのい●ろーさんが

「みんなができる曲でもやりましょか」

と言い出した.ドラムの人が「うーん,でも年代がそれぞれ違うからなあ」なんて言うので「えー,じゃあ,なんだったらいけますか?」ときいたら「ディープパープル」というので,それではっつーことで,定番2曲をやった.

いやー,楽しかったです.あんなに楽しいとは.

多分カルメンマキの行き詰まり感も助けていたとはおもいますが,やはりディープパープルはすごいですね.わりと誰でも練習すれば演奏でき,なおかつ,フレーズがキャッチーで,ノリが良い.なんだかとっても楽しかった.楽しい演奏した後というのはバンドの結束力も強まるというもんです.その後,白●屋で呑んだのですが,その酒のうまいこと.音楽ってすばらしい.リッチー最高.

ギターの人はもともとリッチーフリークなんですが,ベースの人なんて,ボサノバやらファンク,フュージョンなんかもずっとやっていた人だし,ドラムの人も他のジャンルやっていたりしたんですが,本当に皆,いきなり言われてちゃんと演奏できるんですね.ベースの人はハイウェイスターははじめてやったんですが,それでも全然OK.ディープパープルって本当に便利!というかすばらしい.

昨日は久々にうきうきしながら帰宅した.


2月17日 一夜漬け

明日,新しいハードロックバンドの練習があるが,なんだか歌が覚えられず四苦八苦している.

そんな努力の日々なのに,期末で仕事忙しいし,数週間前からのめまいがひどくなるし,花粉は飛びはじめるし,相変わらず周りは風邪ひいているし,なんだか体調悪いのだった.

めまいに関しては耳鼻科から大きい病院へまわされて,MRIも受けたが,なんだか理由が良く分かっておらず,どうしようもない.もしかして,更年期障害か?

横になると一番ひどいのだが,昨日は仕事中もふらふらしており,ちょっと危険な状況だった.

さらに,花粉はがんがん飛んでいるみたいだし.今からこんな調子だったら,3月4月はいったいどうなるんだろう?それとも暖冬で早めに花粉が終わってくれるんだろうか?

昔は髪の毛が爆発するから雨は嫌いだったけど,今は花粉が飛ばなくなるから雨がんがん降ってほしい.というわけで今日は恵みの雨.


バンドナビの日記はいつ潰れてしまうかわからないので,ここでも以下に再記録.

今OZのコピーをやらせてもらっています.

中学生の時に,最初に入るはずだったバンドからOZとミカバンドのカセットテープを渡され,初めて聴く日本のロックバンドの曲を一所懸命覚えて練習日当日,風疹にかかって全身発疹だらけになって参加できず,結局そのバンドには入れなかった.

ところが,その後,すぐに他のバンドを紹介され,結局そのバンドでずっと歌わせてもらうことになった.

そういえば,そのバンドで演奏したOZの音源があったな?と探してみたら,出てきた出てきた.聴いてみるとあまりの恥ずかしさに自分で笑ってしまった.まさか,当時の私は26年後の私に笑われるとは夢にも思っていなかったことだろう.

まず,やたらとドスが効いている.ガナリ倒している.不必要に「Alright!」とか「Yeah!」とか叫んでいる.あとわけのわからないぎゃーぎゃーというシャウト(のようなもの)が入っている.あと,何になのかはよくわからないが,なりきっている.(^^;

こんな奴が今そばに居たらおもろいだろうなあ.バンドのメンバーは皆私のガナリを聴きながら何を思って演奏していたのだろうか?

今の自分の声はMDでよく録音するので聴き慣れているが,昔はそういえばこんな声だったなあと思い出した.

声とか歌い方とかちょっと変わっちゃったけど,やっぱり変わらず歌が好きなんだなあと実感.あれから四半世紀以上たったけど,それでも当時やった曲をやると,子供の頃に帰ってしまうのか,楽しくて仕方がない.

おばあさんになった私が今の私の歌を聴いて,また,赤面しながら笑ってくれる,そんな四半世紀後が来ますように.


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