2009年1月の日記

1月1日 あけましておめでとうございます

2009年も無事に迎えることができました.有り難うございます.

今年は46才になるはずなので,もう人生完全に折り返しです.今まで生きてきた時間以上には多分生きられないので,これまでの時間より短い時間だけこれから生きることになります.一時一時を大事にしたいと思います.感謝を忘れず,出合いを大事に,そして,これまで私を助けてくれた友だちを大事に,精一杯生きたいと思います.

さて,

ほとんど会うことがなくなった人から年に1度消息を頂く年賀状は,とっても愉しみなプレゼントなのだが,よく書いてある台詞で

「元気ですか?」

というのがある.

そういわれても,それに返事できるのは,電話とかしない限り,1年後の年賀状だし,その年賀状に返事として

「2009年1月1日時点で元気でした」

と書くのもなんだし.

ほとんど会わない友人への年賀状になにか質問を書くのもなんだかなあ.

でも,もらってうれしいのには間違い無い.年賀状書いてくれてありがとう.

明日から,何も無ければ,また,高知です.


1月12日 新年

今年も2日に高知へ帰った.

空港でろいろいしていたら,バスを逃してしまった.いつも空港バスは数人しか乗っていなかったが,さすがに土電も気が付いたようで,バスの数が極端に減ってしまったのだった.しかたなく,タクシーで高知へ向かった.4000円くらいした.高い.

去年くらいに,昔のミヤタ(東宝)の跡にできたホテルを予約していた.高知の町には,土電ホール,テアトル土電,東映パレス,そして,ミヤタと大きな映画館があった.いつも空いていて,大きな映画館で,大きな画面で,ゆっくり見ることができた.途中から入っても,何回見ても良かった.子供の頃は,夏休み前に学校が映画の割引券を配ってくれて子供同士で見に行った.特に,ミヤタは,東宝チャンピオン祭りといって,ゴジラのシリーズをやっていて,毎年それを愉しみにしていた.

そのホテルに荷物を置いて,例年通り,菊寿司で蒸し寿司を食べて,1年上の隣の家の美人ねーちゃんのちさちゃんちにお酒を買いにいった.そこで,のむやんやつのっちと合流して,そうちゃんちへ行った.ふーちゃんもあとからやってきた.しおちゃんは,ノロウイルスにやられたとかで来られなかった.

正月ということでシャンパン(セグラビューダスブリュット1680円)を抜いた.栓が抜けたらどうしようとか言っていたら,ふーちゃんが,果敢に抜いてくれた.司牡丹の「日本を今一度なんとかかんとか」もとっても美味しかった.

最後にそーちゃんに1曲演ってもらった.そーちゃんはリッチー弾いて居たころから全然変わっていない.確実に弾く.なんで,あんなに確実なんだろ?

そのあとは,のむやんとつのっちと洋風の居酒屋みたいなとこに行ったけど,それがどこかといわれるともうすでによくわからない.酔っぱらって人に連れて行ってもらうと,いっつもよくわからないなあ.

そのあとは,ひろ●えくんやつ●いくんに嫌われながら,こにたんと沢田先輩と合流して,沢田先輩に去年と同じ台詞

「いしもとさんは,あんまりこおおないなったねえ」

といわれた.そして,やはり,主に人の噂話をして,解散したのだった.


次の日は,母とずっといっしょに居て,これまた,主に居ない人の噂話をして過ごした.夜は母のお気に入りの匠に行ってごちそうをたらふく食べた.

思い付いて,25年位前に,母に連れて行ってもらっていた,カクテルのお店フランソワに行ってみようということになった.

フランソワには2,3回連れて行ってもらったけど,なぜか母はあまり私を積極的には連れていかないお店だった.

すごく高価であるというのも理由の一つである.

姉も1回だけ行ったと思う.その夜,姉は大変酔っぱらって居たので良く覚えている.

フランソワのマスターは,土佐高の先輩で,ヒゲのよく似合う,一流のバーテンダーだった.

25年前にそんな感じだったので,もう,フランソワなんかやっていないのではないかと,母と話したが,それでも,試しに行ってみようかということで行ってみた.

25年前も母に夜ついていっただけなので,私はフランソワの場所をよく覚えていなかった.柳町だったような.狭い道だったような.

と思っていたら,なんと,いつも2日の夜に行くよいこの前だった.

上は,つ●いくんの元バーだ.なんなのだ.

フランソワは健在だったけど,バーテンは若い人だった.聞いてみると,マスターは8時半頃出勤とのことだった.

うちらから1席おいて右隣に50才くらいの男性が座っていて,私と母とバーテンとで話をしていたら絡んできたので,主にこの4人でお酒の話とかしていた.彼は,たばこが欲しかったけど,お店に置いていないので,みんなで,たばこを売っている店をめいめい教えてあげた.それでお店を出るのかと思ったら,また帰ってきた.よっぽど飲みたいのかなと思っていたら,8時になったら「もう時間になったからアルコールは飲めないから」といって,ノンアルコールの飲み物を頼んで居た.すんごい高いフランソワでわざわざノンアルコール??

と思っていたら,ANAのパイロットだった.「誰がみゆかわからんで.ちくりとかもあるき,ぜったいやめちょき」と,バーテンやら母に諭されていた.諭されなくてもアルコールやめていたのに.

ふつーはそこで

「まー,パイロットってかっこいいわね」

とか

「まー,パイロットなんて大変ね」

という会話に高知以外だったらなるんだろうが,

「ANAかね!ボンバルディアやね!ありゃー,どうにかならんかね」

「あの大阪の上空で,飛行機がこんじゅうきゆうて,クルクル回らされるのはなんとかならんろか」

「そうや,あの回る分,マイルをつけてくれたらええがよ.社長にゆうちょいて」

みたいなことを散々喋り,いい人だったらしく,それぞれについて「すみませんねー,たしかにそうですよね」とかいってくれる人だった.

最初のカクテルのあと,母がジョニーウォーカーの緑を頼んで,それを二人で飲み終わったころ,マスターが登場した.25年経っても基本的にはほとんどかわっていなかった.80歳〜90歳くらいだろうか.ところが,何でも覚えていて,うちの姉なんか1回しかきていないのに,良く覚えて居た.

ところが,私は,2〜3回位来て居たにもかかわらず,覚えておられないようだった.こういうことは小さいことから本当にしょっちゅうあって,慣れていはいるが,ちょっとむかつく.姉はきれいだし,頭良いし,年も含めて何でも私より上なのだ.

それはさておき,

1席おいて右隣座って居た50才くらいの実はANAのパイロットだったの彼が,「●●先輩に,高知に行ったら,絶対フランソワに行ってマスターに挨拶してこいといわれて来ました」とマスターに喋って居た.聞いてみると,先輩は高知大学だったようだ.ANAって何歳まで飛べるんだろ?マスター,どう見ても80歳〜90歳だけど.

で,最後にマスターにカクテルつくってもらった.そのカクテルさばきの凄いこと!一見の価値ありです.そりゃ高いのも仕方ない.って感じ.

次の日は,昼から日曜市行ったら,母も私も疲れ果ててしまい,最終便の飛行機の時間になるまで,ごろごろ寝てました.テレビつけたら氷の華というドラマやっていた.

帰りは散々文句をいったボンバルディアで帰った.なんか,振動が前より大きくなった感じがする.大丈夫かな.MRJはどうなんやろ?大阪ー高知線が最初っていうけど.

ああ,やっと,正月のこと,日記に書けた.

やっと正月を終われた気がする.仕事がんばろ.

2月にはジェフが来るので,体調精進せな.


1月31日 出張で

月末になって,赤穂→静岡→群馬と出張し,静岡→尼崎→群馬より,静岡→東京泊→群馬の方が安いということで,会社の出張旅費を節約するため,東京に泊まった.

東京の友だちが来てくれて,新橋の西口通りに面したビルの土佐料理の店にいった.土佐の友だちはほんとに優しくて良い人ばっかだ.

その土佐料理の店は,アドマチック天国とかいう東京の番組で紹介されたらしく,それを友だちが見て,一回行ってみようということだった.

行ってみると,えらくハチキンな「おかあさん」が居て,色々と御指導を頂いた.

日本酒は慎太郎(純米酒)

おかずは,全部机の炭であぶり焼くので,そのあたり炭だらけだー.

出てきたのは,にろぎ,牡蛎,アサリ.

マグロのたたき,鯨と葉にんにくのすきやき+土佐ジローの卵.

すべて空輸で毎日高知から取り寄せるらしい.

慎太郎がおいしくて,最初はコップで何杯か頂いたが,途中から一升瓶になった.一升瓶は空いてしまい,さらに次を・・・.

高知関係の偉い手やら,有名人がよく来るらしい.東京は人口がおおいから,高知出身の人も多いんだろうなあ.土佐料理のお店に集まって,シンジケートができているようだった.

東京の友だちと話しているのをきいて,おかあさんが

「あんたら土佐高かね.ほんなら,H田Tちゃんをしらんかね」

といわれた.なんとTちゃんは私の実家の隣に済んで居た一個上のおねえちゃんで,小学校からの知り合いだが,ここ20年位あってなかったのだった.電話してくれたけど,留守番電話だった.それでもちゃんと後から電話してきてくれて,電話で話をすることができた.

それだけでも嬉しかったのだが,夜9時か10時頃,本人が店に来てくれて,東京で再会したのだった.Tちゃんは数年前大病を患い,Tちゃんのお母さんが実家の母に涙ながらにそれを語ったのだったが,全然元気だった.本当に良かった.でも,いまだに,月に1度丸山ワクチンを打っているということだった.

こうやって,ひとりひとり大事な人とまめに会うことはとても大事なことだ.

山手線の終電になるということで,私は品川に戻り,Tちゃんは恵比須の家に帰った.

Tちゃんが元気になって,長生きして,好きなお酒をこれからもいっぱい呑めますように.


 

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