リカちゃん人形

おもちゃの会社タカラが出している子供向けの人形

リカちゃん人形の第1号が出たのは私たちが小学生のころだったのではないか?それまで,タミーちゃん人形や外国のバービーなどはあったらしいが,日本人として人形がデビューしたのはリカちゃんが初めてだったのではないか?以来,リカちゃん自身,顔も体型も時代に沿って変わってきているが,少女達の大切な人形であることには違いがない.

海外の人形よりもこぶりで,日本の住宅事情に沿っている.少女漫画のような顔と体型をしており顔も日本人に近い.

リカちゃんはそれまでの単独で存在する人形というイメージではなく,家族構成や家の様子などが設定されており,その全てが少女達の夢となる内容だった.リカちゃんはハーフだったかクォーターだったか白人の血が混じっていて,当時としてはあこがれの的であった洋式の家に住んでいた.リカちゃんハウスというのがあって,収納すれば持ち運びのできる鞄のような形状になる.赤くて大きい鞄と白くて小型のものがあった.

そのリカちゃんハウスだけでも遊べるのだが,それに付属品をそろえるとなお楽しい.大抵の子供はリカちゃんハウスまでは,がんばって買ってもらうのだが,付属品までは買ってもらえないのが現状であり,そういうのを持っている子供をみるとうらやましいものだった.

リカちゃんハウスを手からぶらさげて,やはりリカちゃんハウスを持っている子供の家に遊びに行き,リカちゃんハウス同士で遊ぶ.この遊びのなんと楽しかったことか.

もちろん,家で一人で遊ぶこともできる.わたるくんというリカちゃんのボーイフレンドをつれて来て話をさせることもできるが,それよりも,リカちゃんの着せ替えをしたり,髪の毛をとかしたり,リカちゃんにいろいろなことをさせることが楽しかった.

毎日リカちゃんと遊んでいた.特に,うちは家に親が居なかったので,リカちゃんは私の大切な友達でもあった.

親もそれをよくわかっていたとおもう.

私は小さいころ,食が細く,食べるのが遅くて,大人のペースについていけず,いつまでたってもぐずぐずしていた.その日も嫌いなおかずがあって,どうしても食べられなかった.親や姉はとても怒り,今度ご飯食べるときにぐずぐずしたら,リカちゃん人形をもやしてしまうよと言った.

そんなことをいわれても現実感のないのが子供というもの.結局次回のご飯のとき,やはりいつもと同じくぐずぐずしてしまった.当然リカちゃん人形はリカちゃんハウスごと親に撮られてしまった.泣き叫びながら謝る私.しかし,親は容赦がなかった.

その後しばらくリカちゃんとは遊ぶことができなかった.私がご飯を食べることが遅いのとリカちゃんと遊べないことの因果関係について,とても理不尽に思った.今でも理不尽に思う.リカちゃんハウスをとりあげられたからといって,私の食が細いのが治ったわけでも,さっさと食べるようになったわけでもない.親への不信感が残っただけである.

特に親が普段近くにいない小さな子供が大事にしているおもちゃを捨ててしまうことの重大性とか,親は考えなかったのだろうか?

その後,何日か,何ヶ月か,私も冷静に考え,あのとき,りかちゃんを燃やした形跡がなかったことに気がついた.きっとりかちゃんはどこかに隠されているにちがいない.

そして,庭の倉庫などをしらみつぶしに探したところ,あっさりリカちゃんハウスは出てきた.鍵のかかる倉庫の奥にあり,自分ではリカちゃんハウスの断片を遠目にしか見ることができなかった.でも,あれは絶対リカちゃんハウスだ.

しかし,だからといって,このリカちゃんハウスを私が見つけたこと(探し回ったこと)がばれるとおこられるかもしれない.もう少したってから親に謝るふりして,リカちゃんハウスを復活してもらおうと思った.

しかし,そこが子供のあさはかなところ.それから数ヶ月すると,今度は別のものに興味が行ってしまい,親に嘆願してイヤな思いをするのもめんどくさくなって,のばしのばしになってしまった.

そして,ある日,他のものをとるのに,その倉庫に他の人といくことになって,見に行った.そこにはやはりリカちゃんハウスがあった.しかし,そのリカちゃんハウスも見るも無惨なほど汚れ,他のものを上において形が変形していた.

ぼろぼろになっていたリカちゃんハウスを見て,すごく悲しくなってしまった.なぜ,こんな悲しい思いを何度もさせられないといけないのだろう.

今でもリカちゃんを見ると,そのときの状況が鮮明に思い出され,とても切なくなってしまう.

今,親になった自分だが,この教訓だけは息子に生かそうと思っている.

 

 

 

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