行事の多さがその保育園の熱心さに比例するという神話のようなものがあります。あたらずとも遠からず。うちの保育園は行事がメチャクチャ多い。 入園のときの園長先生の話では、10月の運動会と3月の祝う会のみが必須の行事ということだったが、なんのなんの、毎週何かあるんではないか? 4月は入園式から始まり、個人懇談、クラス懇談、講演会(学習会)などが、園主催である。園主催に加えて、父母会の行事がある。このほか、親と先生とOBで作っている会主催のハイキングだの、勉強会、さらに、先生が独自で主催する勉強会などがある。さらにさらに、延長保育をするための父母の会、4,5才の保育(現在4,5才については無認可)を進めるための会がある。 最初はわけもわからず、全て参加していたが、忙しいのに預けているはずだったのに、預けることによって、さらに土日がつぶれて忙しくなるという悪循環に陥った。そのうち、勉強会で言っていることなどは毎年同じことの繰り返しであることがわかって、自分で間引くことができるようになったが、0歳児を初めて育てるだけで大変なのに、この行事の多さでノイローゼになる親が多いのではないか? そうした行事の多さについての訴えに対し、先生方は「今と昔のおかあさんはちがうからねえ」という。園を立ち上げた頃については、認可に向けて親も先生もアルバイトして園の運営費を稼いだり、園の運営について話し合いをしたというのだ。そんなこと言われても、「昔のおかあさんたちは体力あったんですね」としか言いようがない。 うちの園は借金があって、その借金を返すために、バザーというものを年1回催している。これが、また大変で、売り物の手作り品を土曜日にあつまって、みんなで作ったりしている。もともと、おかあさんたちというのはその手の手芸が楽しくて仕方がないと言う人が多くて、バザーの商品を作ると言う目的以外に、「楽しい手芸をみんなでやって、なかよくやりましょう」という主旨がある。 でも、それって、手芸が好きじゃない人にはただ苦痛なだけである。 似たようなものに、何かで資金が必要な場合、「フリーマーケットをやりましょう」というのがある。フリマはやってみるとわかるが、楽しい人には楽しくって仕方がないものである。客商売をやってみたいとか、そういう欲求に似たものがあるんじゃないかな。 でも、接客商売が好きじゃない人にはただ苦痛なだけである。 「一緒にやろうよ」と言ってくれる人は、自分が楽しいので、その楽しいことを他人にもおすすめしたいという善意で言ってくるから、ますますかなわんことになっている。宗教にのめり込んでいる人が日曜日1日つぶして、1軒1軒まわって、勧誘するのと同じである。彼らは善意のかたまりで、その幸せを一人でも多くの人にあじわってほしいために、奉仕しているんである。 たとえば、私は音楽をやっていて、バンドって楽しくて楽しくてしかたないものである。音楽を通じて、みんなが一体になれるこの楽しさを、より多くの人に味わってほしい。音楽の楽しさは強弱こそあれ、本能的なものと信じている。 が、しかし、絶対強要はしない。しつこくお勧めもしない。だって、音楽がそれほど好きでないひともいるし、音痴の人に歌を歌えなんてことは絶対に言ってはいけないことである。本人がやりたいというのであれば、音痴のひとが楽しく歌うのはとってもすばらしいことだが、いやがる本人に周りが強要するものではない。 手芸だって、バザーだってそうだ。自分が楽しいことを他人に勧めてくれる好意だけ受け取りたい。 話があっちこっちに行ったが、園の行事もひとつひとつは、こどものため、親のためを思ってのことである。つまり、開催側としては、善意の固まりである。しかし、良いことだからと言って全部やれるわけがない。 普段一緒にいてやれない分、土日はこどもといちゃいちゃしたいのが親心。 それに、「子供のため」ばかりで人生は終わらない。今しかできないことが親にもあるはず。 |