殺人事件について





人々が犯す様々な犯罪の中で、最も罪が重いのが「殺人」ではないでしょうか? 何だか当たり前の様にも思いますが、この当たり前のことを知っていながら、なぜ人は危険を侵してまで殺人に至るのでしょうか? 私は聖職者ではありませんし、人間ができていないので、「あいつ殺してやるっ。」と心に抱いた事はあります。 しかし、超えてはいけない一線があるはずです。
「何偉そうな事を言ってるんだ!」とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、事実ではないでしょうか? どんなに気をつけても被害者にはならないという保証はどこにもありませんが、少なくとも犯人にはならないようにする事はできるはずです。 確かに、冤罪というのがあり、真犯人は別にいるのに、自分が被疑者になってしまう事はあるかも知れません。 そんな時は、弁護士さんに相談をしましょう。
ここで、私が言いたい事は、決して殺人を犯してはいけないという事です。 あるドラマで、「事件に大きいも小さいもない!」というセリフがありましたが、私は事件に大小があっても良いと思います。 それが人情ではないでしょうか? スーパーで万引をはたらくのも、駅前の自転車を盗むのも立派は犯罪ですが、同時に殺人事件が発生すれば、やっぱり私はそちらの事件に集中します。

殺人事件にはいろいろとあり、動機は怨恨によるもの、自己保身のため、愉快犯など様々で、犯行の手段も様々あります。 テレビドラマや、推理小説などではいろんな犯罪が描かれ、人々は知らない間にその手段を参考にし、知識として蓄えています。 如何にして警察の眼を欺くか、どうやってアリバイ工作を行うか、どの様にして犯行に至るか、素人の私でさえ、いくつかの方法が頭に浮かんでしまいます。
自分が考えた犯罪計画を見事に達成した後の快感と、いつか警察に見つかるんではないかという恐怖心、ほんの少し残っている良心の呵責。 殺人を犯した人の気持ちは、想像を絶するものがあるのかも知れません。

殺人を犯す勇気と行動力があれば、現状の不満に対してもっと正当な方法で、改善することは可能ではないでしょうか? 殺人そのものを目的としている人々には、通じないかも知れませんが、その人たちにとっても、なんらかのストレスにより犯罪を犯すのでしょう。 そのストレスを解消させるための正当な理由はどこかにあるのではないでしょうか?

当然の事ながら、私は殺人など犯したことのない、一般市民です。 そんな私がこのような事をとやかく書いたとしても、誰も気にもとめないでしょう。 特に、このページで何かを訴え、世の中を変えようなどといった大胆な目論みなどありません。 しかし、最近のマスコミ媒体を見ていると、どうしても殺人事件についての扱いに疑問を抱いてしまうのです。 何故、犯罪が減らないのか。
それは、殺人事件を侵した犯人がどのようにして罰せられるか、どのようにして罪を償っているのかを知らしめていないからではないでしょうか? 勉強不足かも知れませんが、少なくとも私はそれらについての知識がありません。 従って、犯人がその後、どのような生活を強いられているか全く分かりません。 ただ、こうして、自分が疑問に思うことを書くしかありません。 みなさんがこのページをご覧になって、不思議に思うことがあるかも知れません。
ご意見や、ご感想がありましたら、メールしてください。



Copyright (C) へんちゃん  All Rights Reserved.


1