推理する苦しみと喜び





殺人事件が発生すると誰がどのようにしてなんのために殺人を犯したのかを推理しなければなりません。 当然犯人を探し出し、証拠を揃え、犯罪を立証しなければならないからです。 そのためには、いろんな苦労があるのでしょう。 ゆっくりと休んでいる時間なんてありません。 第二の事件を引き起こさないために必死になります。 それは、もちろん被害者をこれ以上増やさないという事もありますが、犯人の罪を重くしたくないという気持ちもあるのです。

推理のためには、現場を念入りに調査する必要があります。 もちろん、そこに手がかりがいっぱい残っているからです。 タバコの吸殻や、髪の毛一本でも、足がつくケースは多く、指紋を残しているなんていうのは、推理する方としては楽しみが減っていまうものです。 しかし、その指紋がひっかけであれば、話は別です。 推理は犯罪を犯す側とそれを検挙しようとする側の戦いでもあります。 従って、すぐに解決していまうものは、不謹慎ではありますが、面白みがないのです。 どうせなら、迷宮入りになるくらいの犯罪の方が、推理する側にとってみればやる気が沸いてきます。
さて、推理する側は、まず何に注目するかと言いますと、それぞれタイプがあるかと思いますし、ケースバイケースによって異なるかと思いますが、私の場合は、まず被害者を観察します。 もちろん損傷具合、心停止に至る直接の原因となったものを調べようとしますが、それ以外にも、遺留品が手がかりになるケースがあります。 手帳なんかが見つかれば、どういう性格の人だったのか、その字体と文章で判断したりします。 どんな人とお付き合いがあったか、電話帖に犯人の名前が載っているなんていうのも良くあるそうです。

本物の事件は、推理小説とは違い、もちろん真剣に捜査しなければならず、推理する側は面白半分にやるわけにはいきません。 人が一人殺される、目の前にその死体があるという状況で、犯人に対する怒りが込み上げるものでしょう。 被害者の家族などに会えば、「罪を憎んで人を憎まず」なんて言ってられなくなるものでしょう。 それが人情ではないでしょうか?

推理を開始するにあたって、事件発生からさかのぼって考えて行くためには、死亡推定時刻を割り出さなければなりません。 この作業は慎重に行う必要があり、事件解決のカギになるケースがあります。
簡単に死亡推定時刻と言いますが、あらゆるデータをまとめて総合的に判断しなければなりません。 ドラマなどでよく出てくる「死後硬直」というのがありますが、これも、分刻みで分かる訳ではなく、硬直の進行状況により大体何時間前に心停止したかを判断するにすぎません。 その他、「死斑」現象や、胃の内容物の消化状況、直腸内温度など様々なデータを採取する必要があります。
それぞれの用語の解説については、「法医学のページ」を作成する予定にしていますので、今暫くお待ち願います。
事件発生時刻が特定されれば、アリバイを調査することになりますが、その前に被疑者を何人か上げなければなりません。 やたらめったら、犯人にしてしまうと、それだけ調査が長引くことになりますので、被疑者を数人に絞る作業が最も困難であると言えるでしょう。 「いったい誰が…」となれば、動機が必要になります。 このとき、愉快犯の仕業であればもうどうしたら良いか… 従って、どの様に殺害されたかによって、犯人のイメージを想像します。 争いの形跡が見当たらなければ、おそらく顔見知りの犯行、以前起きた事件の手口に似ているとなれば同一犯人の仕業、犯行現場の状況、死体の状況、凶器の特定など様々なデータを総合的に判断して犯人像を割り出して行きます。 被疑者が数人に絞られたら、動機が何であるか調査します。 殺人を犯すぐらいの動機ですから、調べれば何か出てくるはずです。 あとは、犯行の手口を推理。 アリバイ工作なんかやってもらっていれば、トリックを暴く面白さ(不謹慎ですが…)があります。 これを解いた時の快感は何事にも代えられない喜びがあるのでは。
地道で苦しい捜査の末、犯罪が立証され、被害者のご家族にご報告できたときは、達成感で喜びがあふれてくるのでは。
しかし、喜んでばかりもいられません。 遺族の皆様の悲痛を思えば、そんな気持ちにはなれません。 それが、この苦しみと喜びが融合する変な気持ちではないでしょうか?
そうこうしている内に、また新たな事件が…



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