巨魚捕獲団のホームページには、釣行記なるものがあるが、この物語は、その釣行記の表舞台にでることのなかった、ある1人の男性の目から見たウラ釣行記である。
時は1998年5月30日早朝。1人の男性バラシの岩井(なぜそう呼ばれるのかはあとで解る。)よりリョーマ谷岡(仕事でそういうかっこをしたことがある。)にモーニングコールが入る。『おい起きたかや、行くゾ。』『わかった、今から家を出る。』リョーマ谷岡も野太い男の声で起こされるのも決して愉快ではないはずなのだが、短いヤリトリの後、そそくさと準備を始める。2人はその後合流、そして一路集合場所である手結港へ向かった。前日買ったばかりのライフジャケットが荷室にて光る。常にかっこからと口にしているこの2人にとってライフジャケット購入はむしろ遅いくらいの感があったのだ。 そしてついに合流。見慣れた顔に始めてお会いする方々、新旧織り混ぜ総勢7名の有志がその姿を現わしたのであった。ひとつ残念なのは、釣行記をご覧の皆様ならおなじみの須崎の漁師森光大先生が都合により不参加ということだけである。 出港。バラシの岩井チームは、前出の2人に1番キャッチャー村山(手も早いが、足も早い、バラシの岩井とは午後7:00以降の友人である。)を加えた3名。その時点では30代と感じた国光船長の音頭のもと紺碧の太平洋の海原に消えて行ったのであった。 初めての太平洋での船出にウキウキ気分のバラシの岩井は子供のようにはしゃいでいた、その模様は1番キャッチャー村山によると、『おっさんが子供になっちゅう。』とのことである。 1つ2つとポイントを経過し、ついにその場所にたどりついた。そして本日の喜劇と悲劇も同時にスタートしたのである。まず、バラシの岩井に本日初のあたりがきた。(なんじゃいこの強い引きは!)初めて体験するシイラの凄さにまずド肝を抜いた。『おらあ〜ちゃんと釣れよオ〜』後ろの方で国光船長の罵声が飛ぶ!そのときは30代半ばの顔だちだった。しかし、その初めての強い引きを感じたのも束の間、急にリールが軽く感じた。(ありゃりゃ、バラシちゃったよオ)サルカンのリングの先から先がないではないか。『こんながじゃいかん。こっちのふといがをつけてみいや。』40代顔になった国光船長に教えを請うた時だった。そして、その直後。来た来た、本日2回目のあたりが!2回目はそんなに慌てない。ゆっくり遊ばせておいて、よっしゃ行けエ〜。が、なんでまたこんなに軽いのか、少し離れたところでシイラが口にルアーを加えて跳ねている。 数分の間に2個のルアーが海中に.........がっくりしている間に、1番キャッチャー村山にあたりが来た。彼も強烈なシイラの引きに苦戦している。船の近くまで寄せてきた時、我々の目にはもう一匹のシイラが附いてきている姿が入った。そこに国光船長見参!網をさっと出し、1番キャッチャー村山のヒットしたものも含めて2匹のシイラをあげたのだった。満面笑みの国光船長、その顔は40代後半になっていた。息付く間もない数分後、リョーマ谷岡に本日初めてのあたりが来た。しかもかなり手強そうである。シイラに手をやくリョーマ谷岡、バラシの岩井がシステムのセットを入念行っている最中、船内を1周また1周と回っている。そして、ついに出た、メーターオーバーなんてもんじゃない、115cm!本日最高記録を出した瞬間である。 その後、1番キャッチャー村山、リョーマ谷岡両巨頭が順調にシイラをゲットし、船内は華やかなムードに包まれていた。1人の男を除けば。そう問題はこの男である、今明かそう、バラシの岩井のネーミングはここから来たのである。ヒット、バラシ、ヒット、バラシ.....の連続。そのうちリーダーとの繋ぎ方もあやふやになりキャスティング中にほどけてしまう、という波乱も出現し合計5個のルアーを海中に没してしまったのである。また、ルアー消失事件はこの男だけに終わらず、1番キャッチャー村山3個、リョーマ谷岡2個と伝染したのであった。釣ったシイラ計8匹、消失したルアー計10個、何という数字であろうか。 シイラ大漁ツアー終了後、国光船長いわく、『こんなにルアー無くしたやつらアはじめてや、別の意味でおもしろかった』と、バラシの岩井いわく『ルアーなくしたらえらい大会があったら優勝やねエ』とのヤリトリが2人の間で交されたようである。そのときの国光船長は既に50歳はこえていた。 穏やかな釣行後の雰囲気の中、バラシの岩井は1人沖に向かって立っていた、そして(今度来たら、今日もっていかれたルアー分絶対回収したる!)と誓っていた。次回、バラシの岩井のネーミングが変わるのだろうか、それとも別の冠が付くのか、今のところだれにもわからない。そして、もうひとつわからないことがある。国光船長あなたは一体何才なんですか? Written by E.Y |