JLがチェックインを代行しているPRのボーディングパス
成田の出発ロビーから見る搭乗予定のPR機。PR機を見るのはこれで最後になるのか
マニラの国内線出発ロビー
寂しいロビーの中でひときわ明るいミスド
やっぱりキャビンアテンダントはいないか?
窓の上に羽根があるのは新鮮
こんなにちっちゃい機体なのに…
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Philippine Airlinesが廃業?
暗雲たちこめる旅程のスタート。
1998年の9月、勤務先の夏休みは9月末までに消化しなければならないので、どこか南の島に行きたいと考えるようになった。まだ夏休みをとっていなかったので、土日と祭日をうまくつなげれば都合10日間の休暇がとれる予定だった。とにかく独りでのんびり過ごすことを命題に、当初奄美大島にでも行こうと考えていたのだが、WEBでいろいろと検索しているうちに「世界の3大ビーチ」として紹介されているボラカイを知った。「ボラカイ島 仮想現実旅行」や「ねっとあるかんのボラカイ島旅行記」のページを見るうちに気持ちは高まり、早速某旅行代理店にEメールでマニラ往復のチケットのオーダーをかけた。その時にはまだキャリアが無くなるなんてまったく予想もしなかったので、旅行では現地キャリアを再優先で考えるいつものとおり、フィリピン航空をリクエストし、往復のディスカウントチケットを購入した。マニラからボラカイの隣島まで飛ぶ国内線Asian Spiritの席もWEBでブッキングし、現地の旅行代理店にEメールで発券とマニラの空港までのチケットのデリバリを依頼した。
出発当日、午前2時まで仕事をし、成田のリーガロイヤルホテルへとクルマを飛ばし、しばし仮眠の後、ホテルの無料送迎バスで空港へと向かった。じつは午前零時すぎにWEBのニュースでフィリピン航空が廃業する(詳細の顛末)という第一報を読んでいたが、混乱はあっても何とかなるだろうと考えていたのであるが、念のためにチェックインの際に手続きを代行しているJALの職員に「帰国便はどうなりますか」と尋ねたところ、「大丈夫だと思いますよ、心配なら現地で聞いてみてください」との返答であった。到着時に現地でエンドースの確約をとればいいと考え、出国手続きをおこない搭乗した。
フライトは快適で、機内ではストライキや経営陣とのラディカルな対立などは微塵も感じさせない雰囲気だったのだが、マニラ到着時に女性のキャビンアテンダントに「この先どうするんですか」と語りかけると、いきなり腕を掴まれて「もうどうしたらいいかわからない」と嘆かれ、廃業が現実的なことを知った。「Good luck」「また会えたらいいね」と声をかけ到着ロビーへ。
入国手続きは簡単に済み、ドメのチケットを受け取りに行こうと思うも、待ち合わせの場所を失念。国際電話のプリペイドカードを購入し日本の勤務先に電話をかけ、同僚に私のMacintoshを立ち上げて代理店からのメールを読んでもらうよう頼んだのだが、彼は英語を読むことができず、やむなく電話番号だけを聞く。国内電話用のプリペイドカードをあらためて購入し代理店に連絡を電話をするが、受付の女性が何本もの電話を掛け持ちしているらしく、何度電話しても「しばらくしてから掛け直してほしい」と言われ埒があかない。そうこうしているうちにAsian Spirit便の出発時刻が近づき、やむを得ず国内線の建物へと向かうが、かなりの距離がありタクシーを捕まえる。ようやくAsian Spiritのオフィスを見つけ、チケットを購入しダッシュで搭乗手続きをおこなう。
だがしかし、出発ロビーに入ると外はものすごいスコールで大幅なディレイ。いつまでたっても搭乗のアナウンスはなく、1時間以上待ってようやく搭乗することができた。たった19席しかないキュートなプロペラ機でテイクオフ。
あわただしくて、フィリピン航空の帰国便の確認を忘れたことに気づくが、時すでに遅し。
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