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THE CASINO CONNECITON
〜『狩篠コネクション』〜
DESIGNED BY MORIVER & GIO
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『風立ちぬ』の巻・前編
−1−
『……台風二十四号の関東地方への上陸は今晩、午後九時頃になりそうで
す』
吹きすさぶ暴風雨の中、淡々たるアナウンサーの声を聞きながら、関原トオ
ルは早くも後悔をしていた。寒さで歯が踊るのを必死にこらえようとする。が、
口を閉じれば今度は体が震える。その振動は右手に握った全長五メートルはあ
るスチール・アンテナにまで伝わった。
「関原君! しっかり持っててくれなきゃ困るよ!!」
灰色の視界の向こうから声が聞こえる。
「マ、マスター?」
鼻水が垂れてくるのをこらえながらトオルは言った。
「どうした? もうちょっと辛抱頼むよ」
マスターが返事する。レンチとボルトの合わさるカチャカチャという金属音。
いつしかポップス音楽を流し始めたラジオの音。ふと、全てが遠のいた。トオ
ルは慌てて、目を覚まそうとする。とたん、右手のアンテナが再び大きく揺れ
る。
「関原君!」
「も、げ、限界……」
「ん、なんだって? 聞こえないよ」
「いや……なんでもないです」
情けない。心底トオルは思う。何故俺はこんなことをしているのか。キオス
クで買った半透明ビニールコートの中で身を縮こませながら、彼は我が身の運
命を呪った。
ここ狩篠町に越してきてはや二ヶ月。「マスター」の実験に付き合わされる
のもこれで十回を越える。「マスター」とはトオルが住む下宿の大家のことで
ある。
彼に初めて会った時の印象をトオルはよく覚えている。サングラスに鼻下の
チョビ髭。細身の体に長身のその男は、姿を現わすや否や「やあ、これからよ
ろしく」と強く握手を求めてきた。怖い。直感的にトオルは思った。
そもそもこの下宿先はトオルが選んだものではない。むこうがトオルを選ん
だと言ったほうが正確かもしれない。トオルの母親の妹、すなわち伯母さんに
あたる人がこの町に住んでおり、マスターはその旦那との大学以来の親友だと
言う。伯母にはトオルと同い年の息子、圭一郎(けいいちろう)がおり、彼も
またそのマスターとは親しい仲であった。一年程前は、中三の夏、ここ狩篠に
遊びに来たときに一度その話題に触れたことがあった。
「マスター? そうね、まあ、一言で言って変わり者ってとこかなあ」
ここだけの話しだが、トオルから見ればその従兄弟、圭一郎もかなりの変わ
り者である。ジャニーズ系のいわゆる美少年的造形に生まれながら、女性には
興味を持たず、もっぱら多彩なるマニアックな趣味群に情熱をかかげている。
特に最近はオカルトに熱中してるらしく、「書斎」と自ら呼ぶ圭一郎の自室に
はカビ臭い革表紙の洋書がいくつも転がっていた。月に二、三度は東京にでか
け、古本屋めぐりをして漁ってくるのだという。その後知ったのだが、圭一郎
のオカルト趣味は実の所マスターの研究に影響を受けてのものだった。
ともかく、変人・圭一郎がさらに変人と呼ぶ「マスター」がいかに只者なら
ぬ人物であるかは想像できた。あの時、よもやそのマスターとこのような深い
関わりをもつようになるとは思いもよらなかったのだが……。
−2−
「ようし、これでフェイズ・ワン完了。まずは順調、順調」
ゴアテックスのレインウェアに身を包み、満足気にうなずくマスター。いい
な、とトオルは思う。圭一郎の説明によれば、ゴアテックスとは水は弾くが空
気は通す布地であり、テントのシートにもよく使われる素材なのだという。も
ちろん、それなりに高い。
トオルの視線に気付いたのか、マスターが高笑いを始める。
「ハハハ、寒いか?」
「はい」
「うん、うん、寒いか。そうか」
「はい」
「大丈夫だ。限界をすぎると、感覚まで無くなってしまうもんだが、寒いと
感じるならまだ平気だ」
「……」
「安心しろ、後しばらくしたら買い出し部隊が戻ってくる」
と、言ってマスターは腕にしたダイバー・ウォッチを見、明らかにトオルを
意識した口調で、
「しかし、遅いなー」
とつぶやきの声を上げた。
こいつは、おれをからかって楽しんでやがる。トオルの怒りはボルテージを
あげてゆく。しかし、ここで挑発にのるほど彼ももう子供じゃない。むきにな
って反論しようものなら、『ほら、怒ったことで体があったまったろう。それ
が狙いだったんだよ』などと言ってまた高笑いをするに決まってるのだ。
両腕を抱きかかえながら、必死に寒さをこらえていると、通りの向こうから
自転車の音が聞こえてくる。こんな嵐の中を誰だ? 目をこらしてみるとどう
も見覚えのある顔だ。
「委員長?」
全身を青いレインウェアで包んだ、そのショートカットの少女は五メートル
ほど手前で、無造作に、乗って来たMTBを地面に倒し、左手の小さな袋を掲
げた。
「マスター、これでいい?」
委員長の声に、マスターがいそいそと近寄る。
「ああ、これだ、これだ。たぶん、中条の家ならあると思ったんだよ。助か
った」
「それ、なんです?」
おそるおそる尋ねるトオルに、委員長が腕組みをしながら答える。
「水晶だよ」
「水晶って、あの水晶玉の?」
「そ、といっても、ほんのカケラだけどね」
「中条のうちのじいさんていうのはこの辺り一体の地質を主に調べているい
わゆる郷土資料家でね。ま、おそらく水晶の一つや二つはあるんじゃないかと
思ったんだが」
風吹きすさぶ中、器用に煙草に火をつけるマスター。
「しかしあんたも物好きだね、こんなことにつきあってさ」
委員長はあきれ顔で、トオルに言う。
「バイトだよ、バイト。金のための労働だ。好きでつきあってるわけじゃな
い」
「ふーん、そういやさ、英語で『労働』を『レイバー』って言うじゃん。あ
の語源って『スレイブ』、つまり『奴隷』って言葉から来てるんだってね」
「……何が言いたい?」
「いや、別に」
とぼける委員長の姿にまたしてもトオルは怒る。ちくしょう、黙ってりゃ可
愛い顔して。
「ほら」
ウェアのポケットから委員長は小さな缶を取り出し、投げた。
「うわっち」
それは、まだ両手で持つには熱いホット・コーヒーだった。
「金はつけとくからな。そんな薄着じゃ風邪ひくぞ」
と言って、彼女は腕を組みつつ、傍らの大きな実験機械を観察しはじめる。
「サンキュー、姫ちゃん」
甘い声で、トオルは言う。と、委員長はコンマ五秒で彼の腹に右足蹴りを入
れた。
「調子にのるんじゃねえ」
中条姫子。それが委員長の本名だ。
二ヶ月前、転校してきた当日、担任教師は彼女をトオルに紹介し、分からな
いことは委員長の中条姫子さんに聞いて下さい、と告げた。姫子、という響き
にトオルは感心した。なかなか恥ずかしくて我が子にこういう名がつけられる
ものじゃない。親の愛情というか覚悟が感じられる。それに当人もショートカ
ットのなかなかの美形である。そこで彼は親愛の情を込めて彼女に言った。
「よろしく、姫子ちゃん」
とたん、教室がざわめいた。がたがたと机を移動し始める者すらいた。異変
に対しどのような態度をとればいいのか分からずまごついているトオルに、彼
女はにっこり笑いかけていた。トオルも笑い返す。そして、二秒後、それは病
的なまでに歪むことになる。委員長が、手にしていた無印カンペンを投げつけ
たのだ。
「中条!」
同じクラスになっていた従兄弟の圭一郎は立ち上がり、窓際の彼女の身柄拘
束にとりかかった。
「ふざけんな、てめえ!」
騒ぐ彼女を、圭一郎以下数名の男子がとり押さえて教室外へ連れだしてゆく。
トオルは無言で黒板にはりついていた。右頬と上顎の間にはまったカンペンが
ぽろりと落ちる。激痛にトオルはあられもない叫び声を上げた。
「姫子という名はタブーなんだ」
保健室で手当をしてくれながら、圭一郎は語ってくれた。中学の時、片思い
をしていた先輩にひどいふられ方をして以来、彼女は「姫子」という名に猛烈
な拒否反応を示すようになったと言う。
「ま、くわしいことはあいつも話そうとしないんだけど、あれ以来意地にな
っちゃってね。普段はあんなじゃないんだけど」
普段の委員長は確かに、面倒見もよく、クラスの信頼も厚かった。また、運
動神経の発達もかなりで、幾つものテニス部を始め各種スポーツ関係の部をか
けもちしているらしい。人気もある。ボーイッシュな彼女は特に女生徒からは
絶大な支持を集めていた。何もかも恵まれている。それだけに、失恋の痛手が
大きく響いたのだろうか。
『失恋するたび傷をかかえてたんじゃ、おれなんかとっくに出血多量で死ん
でるよ』
人生においてふられっぱなしのトオルはそう思うのだが、圭一郎によれば、
それは彼女の内面のナイーブさに原因があるらしい。
「ふーん」
トオルは意外に思っていた。女性にはおよそ関心は無いと思っていた彼が、
こと委員長に関してはやたら親しげに語る。
その事を告げると、圭一郎はしらっとした態度で答えた。
「まあ、物心つく前から一緒にいたからね。単なる幼馴染みだよ」
トオルは無言で従兄弟をみつめる。
「とにかく、彼女のこと許してやってくれよな。頼む」
圭一郎は顔をそむけて言った。
−3−
小さな黒いビロード袋からこぼれ落ちたその水晶のかけらは、懐中電灯の光
の中で妖しげに反射をくりかえしていた。
「なんか、吸い込まれそうな感じですね」
「陳腐なセリフだな」
委員長は言う。今日の彼女はやけにつっかかる。まさかおれに気があるんで
は?
『んなわけないか』
トオルは黙ってコーヒーに口をつけることにした。改めて、マスターの実験
機械に目を凝らす。
二メートル四方の大きな正方形のボックスを基本にして、幾つかのセンサー
類がとりつけられている。温度感知、湿度感知、赤外線感知、エックス線感知、
クォーツ感知、とにかく一介の「スレイブ」には所詮分からない高度な技術が
結集していることだけは分かる。そして、この長いアンテナ。一種の避雷針だ
とマスターは説明していたが、どうやらこれによって、莫大な電気エネルギー
を貯えようという魂胆らしい。
「嵐に雷。バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいですね」
委員長は言う。
「別にタイムスリップはしないがね」
マスターはボックスにとりつけた装置の一つを開いて、水晶をとりつけよう
としていた。
「一体、今回は何の実験なんです?」
「ま、一言で言えば降霊術かな」
手を休めずにマスターは答える。
「そうだったんですか?」
トオルとて初耳であった。降霊術?
前回は、霊体を分析するとかで、エクトプラズムの人工発生という実験を行
なっていた。しかし、実験の途中でトオルは不意に眠気を感じてしまい(何し
ろ徹夜続きの作業だったのだ)、結局、それは成功したのか失敗したのかは分
からなかった。もちろん、マスターからの説明は無い。ときおり、圭一郎は、
難しいジャーゴンをマスターと発し合ってるが、トオルはいつも蚊帳の外だ。
別に知りたいとは思わないが、少しは説明してくれるのが筋というものだろう。
ふりかえってみるに、トオルがマスターの下宿に住むことになったいきさつ
にも、何やらきな臭い者を感じる。元々、狩篠町にやってくる話しはあったの
だが、その時点では圭一郎の家の一室を間借りする予定だったのだ。しかし、
予想外にも圭一郎に「妹」が誕生してしまい、どうしようかと悩んでいる時、
マスターの方から誘いが来た。
マスターが経営する喫茶店、「青草亭・グリーングラス」は駅から少し離れ
た住宅街の内にある。しかし、その建物の二階は空き部屋ばかりでどうも物騒
だ。マスターとその娘さんは、町外れの屋敷に住んでいるので、夜中だれか二
階にいてくれれば、これは安心だ。
何が安心なのかは分からなかったが、ともかく、次々とまくしたてられ、ト
オルは、そこを下宿先とすることを承知させられた。何と言ってもマスターは
圭一郎の父親とは親友なのだ。その父親とは勿論トオルは面識があり、とても
真面目であらゆる意味に於いて「大人」の好人物だと感じていた。しかし、全
ては甘かった。
マスターは子供だ。それも、頭も切れ、社会的地位もまあまああり、金もあ
る子供。一番始末に終えないタイプという奴だ。親から受け継いだ財産がかな
りあるらしく、喫茶店経営だって半ば道楽のようなものだ。彼が求めていたの
は、能力はともかく、彼の手足となる「助手」であったのだ。圭一郎は友人に
なりえても、マスターの望むような「助手」にはなれない。そこで白羽の矢が
立ったのがトオル、ということで……。
「う〜ん、圭一郎たち遅いなあ」
水晶の取り付けも終えたマスターはダイバーウォッチをにらみながらつぶや
いた。
「圭一郎、来るの?」
委員長が尋ねる。
当たり前じゃないか、と言いかけ、トオルは言葉を飲んだ。委員長の様子が
どうもおかしい。
「……何かあったの?」
「え?」
「いや、圭一郎とさ」
これは完全なるカマかけだった。普段の委員長なら、こんな単純な手に乗る
ようなことはしない。しかし、彼女は一瞬だが狼狽してみせた。トオルは真剣
な表情をした。
「そうか」
トオルはちらりとマスターの方を見た。彼はアンテナの調子の方に目がいっ
ていて、委員長の様子にまで気を配っていない。少し視線を外している内に彼
女は放置したままの自転車の方へ向かっていた。その時、強風が一塵舞い降り、
彼女の首に回ったフードか激しくはためかせた。バタバタという音が鳴り響く。
「なんだ、中条くん、もう帰っちゃうのかい?」
マスターに背を向け、委員長は無言の内にMTBを押し上げる。トオルには
彼女の横顔が覗けた。自分が暗くなると回りも暗くなるから、と言っていつだ
って笑顔をみせようとするあの委員長が、今、泣いていた。トオルは無意識に
顔を下に向ける。
『原因はなんだ?』
トオルは考える。委員長が本当のところ圭一郎をどう思っているかはわから
ない。だが、彼女は決して圭一郎を馬鹿にしたりはしない。すぐにむきになり
やすい彼女をなだめる役をこなせるのも彼だけだ。恋愛関係とは違うのかもし
れないが、強い信頼関係のようなものはある。男女の友情なんてものは信じな
いトオルだが、『馴れ合いだよ』とそっけなく言い放つ圭一郎の言葉を間に受
けることも出来なかった。
顔を上げる。委員長は既に泣いていなかった。口元にも、二重の目元にも、
神経が行き届いているのが分かった。いつもの委員長の顔だ。ちょっと、ほっ
としたその時、風の向こうから、スクーターのエンジン音と共に、聞きなれた
テノールの声が聞こえた。
「マスター! 遅くなってすいません」
続いて女性の声。
「ごめんなさーい」
街燈に明かりがついた。少し、開けた視界の中に、スクーターに乗った圭一
郎と彼に後ろからしがみつく長髪の少女、水野美里(みずのみさと)の姿が現
われた。
「中編」へつづく
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