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	    THE CASINO CONNECITON
	              〜『狩篠コネクション』〜
	            DESIGNED BY MORIVER & GIO
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	            『風立ちぬ』の巻・中編






 	              <前回までのあらすじ>

 関原トオル十六歳。従兄弟の住むここ狩篠町で一人下宿生活をする高校生だ。
その従兄弟、圭一郎と下宿先の大家「マスター」との怪しげな実験に付き合わ
される日々を送るトオル。今日もまた台風の中、降霊術の実験とやらにつきあ
わされてしまう。そこへやってくるクラスメイトの委員長、こと中条姫子。彼
女は圭一郎とは幼馴染みで仲が良い。だが、様子がおかしい。どうも、圭一郎
と喧嘩をしているようなのだ。とまどうトオルの前に、圭一郎は水野美里とい
う少女と共に姿を現わすのだが……。







	      	            −4−

 眼鏡をかけたその少女の顔が笑う。
 「で、関原くんのミニ天丼なんだけど……」
 雨粒をいっぱいつけたそのレンズの向こうで目が細まった。
 「……からこれで……」
 寒さに紅潮気味の頬。そこに、長い黒髪が張りついている。濡れた杏色の唇
が緩やかに開き……。
 「関原くん?」
 むっとした水野美里の顔にトオルは我に返った。
 今、彼ら五人は装置の脇に張った簡易テントの内にいた。強風と雨に、天井
の青いビニールシートが騒音をたてつ波打っている。奥の方ではマスターがラ
ジオを耳に何やらメモをとっており、入り口近くでは無言で表を眺める圭一郎
と委員長の姿が見えた。
 「聞いてる?」
 「は、はい」
 神妙な顔でトオルはうなずいた。美里もうなずく。
 「で、お弁当なんだけど、無かったからこの牛丼でもいい?」
 「あ、牛丼。うん、僕、大好き。いや、これでも牛とは少々因縁があってね
え。マザー牧場での事件のこともう話したっけ?」
 「これで三回目かな」
 さらりと返し、美里は笑顔で牛丼弁当をトオルに手渡した。
 「はは……」
 「で、お父さんが黒豚定食だったよね」
 美里はポリエチレンの袋を手にマスターの方へ向く。
 「ん? それそれ、ううむ、この一緒に入ったレモンがまたよい」
 ラジオを止め、いそいそとマスターは弁当を受け取る。
 しかし、ほんと、似てないよな。トオルは改めてこの親娘の顔を見比べて思
う。
 無骨なマスターに反し、品のよさに満ちた美里。圭一郎がかつて語った所に
よると、彼女は死んだ母親似なのだそうだ。その母親と言うのが元狩篠の大地
主・水野家の一人娘で、マスターはつまり入り婿ということになる。そうして
手に入れた莫大な財産をかくのごとき怪し気な実験で浪費するのだから、マス
ターという男も、また随分と豪気である。
 牛丼を口にかきこみながらも、トオルは入口の二人に目を向けずにいられな
い。委員長はしきりと腕時計をみている。圭一郎は青いレインウェアのフード
を目深にかぶり表へ出た。そんな彼の背にちらりと委員長が視線を投げる。
 「ねえ、委員長、これ食べない?」
 美里がグリーンのスポーツタオルで顔を拭きながら声をかけた。
 「なに?」
 どこかほっとした表情を浮かべながら委員長は近付く。
 「ほれ、メロンパン。好きじゃろ、お主?」
 外見に反し、時代劇愛好家でもある美里は、袋からチョコチップ入りメロン
パンを取り出して放った。
 「うん、でもこれ、私食べちゃっていいの?」
 「買ったのは武藤くんなんだけどね」
 「え?」
 委員長がちょっと驚いた顔を浮かべる。今日の委員長はやっぱりどこかおか
しい。
 「ねえ! いいよね、委員長にあげても!」
 テントの外に向かって美里は叫ぶ。思わず、トオルまで箸を止めて表を凝視
した。
 「ああ」
 結局、顔も見せず、圭一郎はそれだけ言って返してきた。
 「委員長がいるって分かってたらもっと、色々買ってきたんだけど。何しろ
年中無休をうたうコンビニまでがシャッターしめてたりするんだよ。あちこち
回ってたら遅くなっちゃって……」
 食べかけの弁当を片手にトオルは入口の方へずり足で移動する。圭一郎にこ
との次第を確かめようと思ったのだ。
 「あれ?」
 入口から顔を出すや、トオルは間抜けな声を上げてしまう。
 「雨が止んでる」
 「おっ、いよいよ台風の目に入ったか」
 ふりむくと、いつも間にかトオルの背後にマスターが来ている。夜空は澄み
渡り、またたく星々の狭間に、黄色い満月が耿々と輝いているのが見えた。
 「よし、この間にフェイズ・ツーを敢行だ。関原くん、飯は後、後。あ、そ
れから」
 マスターは委員長の方をふりむいて言った。
 「悪いが中条くん、もうちょっと手伝っていってくれないかな?」
 ちらりと、委員長の目が圭一郎の方を向く。
 「……はい」
 やや間をあけた後、彼女は答えた。







				−5−

 あの慌ただしい転校初日は夕方のことだ。右頬の湿布をさすりながら校門を
抜けるトオルに一人の女性徒が声をかけた。
 「関原くん」
 振り向き、トオルは三歩後ずさる。
 「姫……じゃなかった、中条さん」
 MTBを手に、ザックを背負った彼女の姿を見間違おうはずもない。
 「圭一郎とは一緒じゃないの?」
 見回し、彼女は言った。
 「あ、うん、なんか用事があるとかで先に帰った」
 「そう……」
 委員長の顔が曇る。
 「なにか?」
 おそるおそるトオルは尋ねた。
 「一応謝っとこうと思って……」
 圭一郎が何か言ったな。トオルはそう検討をつけた。
 「うん、まあ別にね」
 とぼけた表情をつくり、右頬に軽く手をあててみる。
 夕日が逆光となって顔は良く見えなかったが、肩のうなだれ方からすると、
彼女は本気ですまながっているようだった。無言で向かい合う二人の回りを、
幾人もの生徒が好奇の視線を投げかけながら通り過ぎてゆく。
 「ま、とにかく移動しよっか」
 トオルは言った。


 道すがら、喫茶『青草亭』の二階に下宿している旨を話すと委員長はへえ、
とちょっと驚いたような表情をした。
 「じゃ、何、この狩篠であんた一人暮らししてるんだ」
 「うん、まあね」
 「ご両親は?」
 「海外出張が多くてね。今までは東京のばあちゃん家にいたんだけど……」
 「……なくなられたの?」
 「もう九十近くだったからね。ま、大往生だよな」
 「ふうん」
 横顔から見る委員長はまた印象が違って、どこか幼げで可愛らしい。いささ
かぼうっとしながら眺めていると、不意に彼女は立ちとまった。どきっとして
視線をそらすトオル。彼女は考え深気に左手を唇にあてた後しばらくして、急
に彼をにらみつけた。
 「スケベ」
 「なん、なに、いきなり」
 まごつきながらも反論を試みるトオル。しかし、気がつけば腰は半分引いて
いる。
 「なるほどね」
 委員長は歩みを早めながら一人諾き始めた。そして、立ち止まり、怪訝な顔
をするトオルに向かって言う。
 「美里か。図星だろ?」
 その言葉に、トオルは数日前に初めて会った一人の少女の顔を思い浮かべて
いた。マスターの強引な誘いに裏があるのは勘づいていた。断わろうと思えば
できたはずだった。が、実際『青草亭』に連れてこられ、そこで働く娘の美里
と出会ってからは違った。その眼鏡の似合う理知的な風貌の中にも輝く優しさ。
お嬢さまのようで実は、甲斐性なしの父を支える苦労人。これでまいらないほ
うがおかしい。コーヒーメイカーを操りながらよろしく、という彼女の言葉に
トオルが逆らえるはずも無かった。
 「……別に。何がさ」
 芽生えかけたこの感情に水を挿されたくはない。つとめてトオルは冷静に返
事をしたつもりだった。が、委員長はその言葉を信じていないようだった。
 「私ね、時々わかっちゃうんだよね。こういうこと」
 「ずるい言い方だな、それ」
 憮然とした物言いでトオルが告げると、委員長は妙に優しげな笑みを浮かべ
た。
 「信じてくれないかもしれないけど、相手が本当のこと言ってるか、嘘つい
てるか、なんでか分かんないけど、ぴんとくるんだよね」
 「……女の勘ってこと?」
 言いながらも逃げるようにトオルは歩き始めた。委員長がゆっくり後を追う。
 「ちょっと違うな。もう少し、具体的なんだな。例えばね、美里と会った日、
きみ、日記つけたでしょ?」
 日記、という言葉にトオルは心臓を高鳴らした。柄にも無くと言われるのが
嫌で、秘かに書き続けている鍵付きダイアリーの存在は圭一郎とて知らないは
ずだった。
 「さあね」
 ポーカーフェイスでトオルは答えた。どうせ、はったりに決まってる。
 「その日記にね、こう書いてあるんだ。『今夜、僕はビーナスと出会っ
た』」
 トオルは足を止めた。
 「どういうことだよ?」
 こわばったたトオルの顔に、委員長も少し驚いたようだった。
 「ごめん、馬鹿にしたんじゃないよ。ただ……」
 「見たのか?」
 「違うよ」
 委員長は瞬間、唇を結んだ。
 「信じて、私は……」
 「わかってる」
 トオルは無意識に右頬に手をあてていた。それが委員長の顔をさらに雲らせ
たのに気付いて、トオルは慌ててポケットにその手を入れる。
 「誰にも見られるわけないんだ。それは僕が一番良く知ってる……でも、じ
ゃあ……え?」
 こういう時の反応というのは得てして自分でも予測不可能なものだ。トオル
は不意に笑い声を上げていた。
 「どうも、まいったね」
 「うん……」
 委員長も苦笑いを浮かべている。
 「昔からその、そういうこと出来たの?」
 「ううん、よく覚えてないけど……時々はあったような気がする。今でもね、
いつもってわけじゃなくって、こういう風にかなりはっきり見えることはあん
まりない。大抵はただ、相手の感情が伝わるっていうか……」
 「他の人も知ってるのかな。だとしたら……」
 「他には圭一郎と美里にだけ。家族も知らないはず」
 「じゃ、どうして僕に?」
 「それも分かったの。そういうことも分かるんだ。秘密を守れる人、秘密を
忘れられる人……」
 「忘れる?」
 「そう、あなたも忘れてしまう。すぐにね」

 そして実際、トオルはすぐに忘れてしまった。







				−6−

 あれ、とトオルは頭を押さえた。
 何かが脳裏をかすめたのだ。
 夕日の中、道の真ん中に一人立ちつくす自分。左頬に通りすぎる風。そんな
漠然としたイメージというか記憶が蘇った。その正体は分からない。
 「どうした?」
 傍らでワイヤーを張っていた圭一郎が怪訝そうな顔で近付いてくる。
 「いや、なんか……こう、妙に寂しい気分に襲われたっていうか……」
 「なんだそれは」
 「なんだろね? うはははは」
 トオルが高笑いあげると圭一郎はそれ以上何もいわず作業に戻っていった。
マスターの癖が移ったかなと、苦笑を漏らしながらも、トオルは未だ先の感情
にこだわっていた。しこり、と言えばいいのだろうか。答を求めるように彼は
周囲をめぐらす。黙々とワイヤー片手に作業をする委員長の姿が目に止まった。
 「なんかひっかかるんだよな」
 独り言をつぶやきながらトオルは首を捻る。
 「関原くん、手が止まってるよ! 仕事してくれなきゃ、給料はやれない
ぞ!」
 マスターが装置の影から姿を現わすなり言った。
 トオルは溜息をつき再び委員長を見た。偶然か、ともかくその時、彼女と視
線が交わった。あれ、とまたトオルは思う。今、確かに何かが頭に浮かんだ。
夕日。自転車を引く委員長。湿布。日記。
 「委員長」
 思わず声を上げていた。そう、委員長に日記を見られた。……でも、どうや
ってだっけ?
 彼女の目が見開かれた。トオルを見てるのではない。ふりむく。圭一郎がそ
こにいた。再び委員長を見る。と、彼女は震えていた。寒さからではない。何
かを必死に耐えているようだった。
 (トイレ?)
 その時、鼻先に冷たいものをトオルは感じた。
 「雨だ」
 圭一郎が空を見上げて言った。
 「フィエズ・スリー。いよいよ本番開始だ」
 マスターが手にしたレンチを足元の道具箱に投げ入れる。その間にも風は増
し、雨が水たまりに跳ねまわり始める。
 「ワイヤー張りはもうそれぐらいでいいだろう。アンテナはOK。ん、何か
忘れてるな」
 マスターの言葉にトオルも思い当たった。
 「あ、弁当」
 「そうだった」
 拳を手の平にぽんと叩き下ろすマスター。それから、彼はポケットからメモ
を取り出し、右腕につけたダイバーズ・ウォッチの表示と見比べる。
 「最大風域まで、あと12分。……よし、くっちまうか?」
 「うわあい」
 抑鷹の無いセリフでトオルは調子を合わせた。弁当はまだ半分も食べてない
はずだ。
 仮設テントに入ると、ノートパソコンを操る美里の姿があった。
 「降ってる?」
 トオルに気付いた彼女が声をかける。
 「うん」
 二人っきりの空間という事実にトオルは胸高鳴らせた。もっとも、それはマ
スターの入場ですぐに終わってしまったのだが。
 「どうだ、シミュレーションの具合は」
 マスターが黒豚カツを口に入れながら尋ねる。
 「フィールドさえ、予定通りに広がれば大丈夫だと思う」
 キーボードの脇についた小さなボールを指先でいじりながら美里は答えた。
そんな姿にもトオルは感心してしまう。
 「うまくいくといいね」
 美里の言葉にマスターがうなずく。とたん、嫌々手伝っている自分をトオル
は少し恥ずかしいと思った。箸を止める。と、風鳴りが響き渡り、テントが揺
れた。美里は慌ててノートパソコンを抱える。
 「お、来たな」
 マスターの声にトオルは弁当を片手にテントを飛び出す。とたん、バケツを
ひっくり返したような大雨が顔を打つ。息苦しい。まるでプールの中だ、と思
いつまぶたを閉じたその時、ぱちんという音が耳に届いた。
 細目を開けると、委員長が両手を下の方につっぱらせて立っている姿が見え
た。その隣に彼女に背を向け右手の甲を顔に当てている圭一郎。手から何かが
したっている。
 「鼻血?」
 風に吹かれ、緩やかな孤を描いて赤い糸が落ちる。地面に落ちて水玉ならぬ
血玉が広がった。
 トオルの手から特盛牛丼弁当が飛んでゆく。それは回転を続けつ、夜の闇の
中へUFOさながらに消えていった。







				−7−

 「もう……わたしどうしたらいいの」
 委員長の顔はずぶ濡れだった。
 「最近ずっとそう。どうして、わたしにそうやって嘘をつくの」
 「別に。何も嘘なんか」
 生白い圭一郎の腕に深紅の筋が幾本か垂れる。しゃくり上げながら委員長は
続けた。
 「だって……圭一郎だって知ってるでしょ。わたしにはわかるの。口で何言
ってても、それが本当か嘘か。平気な顔してたって……わたしにはわかっちゃ
うの。どうしてかわかんないけど、とにかくわかっちゃうの」
 「理由がある」
 鼻をつまんだ圭一郎の声はくもぐっていた。
 「なによ」
 「……」
 「もういい」
 去ってゆく委員長の背中。
 「委員長待って」
 美里の声がトオルの隣から聞こえた。強風に体をよろめかせながら彼女は数
歩進む。右足を少しひきずっていた。季節変わりになると時々古傷がね、と微
笑む美里の姿をトオルは思い出す。
 委員長はMTBを手に美里をみつめている。美里は顔にまとわりつく髪を押
さえつけながら言葉を継いだ。
 「だから、もうちょっとだけ……」
 「美里、やめなさい」
 テントからマスターが言った。
 「そういうこと?」
 委員長の左手が口にあてられている。
 「なあんだ、みんなグルなのか。……もう、今はっきりわかっちゃったよ」
 グル? 俺は違うぞ。トオルはわけもわからず焦っていた。しかし、こんな
こと前もあったような、いや、無かったような……。
 「耐えらんないよ! こんなのもう耐えらんないよ!」
 その叫び声に調子を合わせたかのように、風速が刹那、高まった。トオルも
よろめき傍らの実験装置に片手をつく。
 「あ、アンテナ!」
 圭一郎が叫ぶ。
 トオルの目前に長い影が一つよぎった。
 「え?」
 直後、頭頂部に高熱が発生するのをトオルは感じた。頭から体へとその熱さ
は伝播してゆく。
 倒れるトオルに誰かの手が伸びた。
 「関原くん!」
 美里だ。
 世界はスローモション。視界の端に赤い鼻水を垂らしながら駆けよる圭一郎
の姿を認めた。委員長のMTBが地面に横たわってゆく。紺色の空がにじむ、
にじむ……。
 「しぃっかぁりぃぃ……」
 美里のきゃしゃな両腕につつまれながら、トオルは思う。これは……。
 (ラッキー?)
 にやけ顔で、関原トオルは地面に激突する。
 その瞬間、彼は意識を失っていた。
 同時にその心臓の鼓動をも。





「後編」につづく

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