MORIVER'S SWEETEST DIARY (23) 更新日記 (23)

10月 9日(木) 寝てた
10月 10日(金) 凧上げ/体育の日
10月 11日(土) もうちょい
10月 12日(日) 本当に本当に本当にお待たせしましたパーリタ4話上梓
10月 13日(月) 飲み/鋼鉄をやる/羊たちの沈黙/学校2
10月 14日(火) 鋼鉄飽きた/花束を君に/異人たちとの夏
10月 15日(水) 本と列車
10月 16日(木) 何か



1997年10月9日 (木)

 寝てた。

 羊たちの沈黙を録画している途中だったから10時頃だったと思う。
 布団にもぐったままそのまま目覚めなかった。

(10/10 8:22)


1997年10月10日 (金)  ということで朝である。  8時すぎである。10時間睡眠である。  日記にせよ何にせよ、継続するというのは凧上げに似ている。  集中し、糸をぴんと張り、操っている間は高く高くへと上っている。しかし、 一旦集中がとぎれるとたちまち凧は勢いを無くし降下する。降下ならまだしも そのまま糸が切れていずこへともなく飛んでいってしまう場合もある。  みなさんおはようございます。  今日は体育の日、休日です。  私は昔の事を夢うつつで思い出しながら、布団の中でぐずぐずと過ごす朝を 迎えてしました。表は白い強烈な光に包まれています。いい天気だ。 (8:22) ***  今メールボックスを見ていたら、大学時代のゼミの教授から「ページ見た ぞ」との一筆が。「勉強しろよ」とも。  そりゃそうだよなあ。いきなりトップに「ドラクエ日記」とか「エヴァンゲ リオン」とか「パーマン」とか書いてあるんだもんなあ。社会性ゼロだよなあ。  完全に終わった。  ……泣いてもいいですか? (8:38)
1997年10月11日 (土)  もうちょい……もうちょい。 ***  テレビでやっていた「羊たちの沈黙」のこと「学校II」のこと。書こうと思 えばネタはあるのですが、ちょっと留保します。 ***  とにかく今、本当にもうちょいなんで……。ほんとに。 (10/12 0:15)
1997年10月12日 (日)  できました。書きました。  「パーマン・リターンズ 第4話」です。  もう「お待たせしました」なんて言葉じゃ言い表せない程の忍耐を強いてし まい、不肖この森川、本当に心より申し訳無く思っております。  だが、毎度のこととは言え、完全に満足している訳ではありません。  ただこれは今の私の精神状態と能力と根性の限界です。  読んでいただければ分かるように、今回は特に他の藤子作品へのオマージュ は無いです。もう、本編の方だけで手一杯という感じです。  何にひっかかっていたのかと申せば、キリが無いのですが一つは「分量」で す。とにかく、今まで短くとも16kは書いていたので、最低でもそこまではま とめて「一つ」にしたかったのですね。しかし、元の話は、ずーっと短いので す。しょうがないのでカットバックやってみたり、強引に二つのエピソードを くっつけてみたりと、まあ、姑息な方法を使ってしまいました。今回だけのオ チというのも無いです。従って、「次はどうした」感は、前話以上に高いとは 思いますが……勘弁してください。  ともかく。何とか仕上げられて今は少しほっとしています。もう眠いので、 まずはこれにて失礼します。 (3:19)
1997年10月13日 (月)  昨日は、夕方から大学のゼミ関係の人と飲む。私を含め男3人のメンツは全 員エヴァ者で、しかもネットユーザーであったりするから非常に濃い話で終始 した。  先輩である薄永氏はアスカ派、後輩の大窪氏は綾波派であることもあり、い きなり「なぜどっちにひかれるか」についての語り合いになったりする。  一応一般的には「格好悪い自分を認めて大開陳している姿は格好いい」と思 う人は綾波よりに「そんな格好悪いのは分かっているのだからあえてそんな自 分を見せるのは恥ずかしい」という人はアスカよりになる傾向がある、との私 の持論をぶったりする。ちなみに私は一応アスカ派である。個人的には綾波派 気質もあると思ってはいるのですが……。  というようなことから、ホームページを含めたインターネット活動の今後に 展望はあるのか、とか、社会問題がどーたら、宗教がどーたら、思い返すと青 臭くて涙がでそうな話をして、結局、徹夜をしてしまう。  もっとも後半、体力の無い私は半分グロッキー状態であったのですが……。 ***  その後輩の大窪君から「鋼鉄のガールフレンド」を借りた。  今日、さっそくやってみようとパッケージを見たところで凍った。必要なパ ソコンのスペックとしてメモリが24MB以上も要求されているではありませ んか。私のパソコンのメモリは16MBしかない。なんてこった。増設しなく てはいけないのか。  涙を流しそうになりながらも、とりあえずはインストールすることにする。  ハードディスクには80MB必要とある。しょうがないので、一太郎をアン イストールすることにした。まあ、使う時にはまたインストールしなおせばよ い。  そして起動。  どきどきしながら画面を見つめる。  動く。動いている。確かに画面の処理は時々もたつくし、CD−ROMから の読み込みにはいらいらさせられるが、とにかく動く。よかった。  で、ゲームも進めるだが……極端に選択肢が少ない上、CD4枚組みの最後 の2枚分など選択肢すらほとんど無い。しかも、ストーリーが動き始めると、 一時停止も巻き戻しもできず、パソコンの前から離れることができなくなる。  ラストだけ選択が3つあり、それぞれを試そうと思っても3枚目の頭の辺り が最後のセーブポイントなので、いかんせん最低1時間弱、また延々同じシー ンを流さなくてはいけない。「電子紙芝居」であるのはいいとしても、「視 聴」の不便さには閉口させられた。  ストーリー的には、ヒロイン・マナの誘惑ぶりがなんだかなあという感じで ある。途中一緒に見ていた下の妹は「こんな女身近にいたら殴る」とまで申し ておりました。でも字幕を見て一緒にセリフを唱和するのはやめようね。  アスカは本当にシンジのことが好きでたまらないようだ。回りの人もかなり 「いい人」になっちゃって……なんとなく、自分が書いた蘭間林さんの投稿小 説のキャラクター設定に似ているな、と感じた。あれ読んだ人の中には「鋼鉄 っぽいな」と思った人もきっといるだろう。  26話の学園エヴァの綾波キャラを「霧島マナ」として復活して、本編設定 の中で動かしてみたというのがコンセプトとしてあるよう。そう考えれば嫉妬 深いアスカの行動も納得できる。  まあ、ということは、あまりにもシンジのとって都合のよい世界、とも言え るわけですが。よくできた、同人ゲームだと思えば満足もできる。ただ定価1 万4800円は高いよな……。 ***  一応「羊たちの沈黙」についても簡単に書きますと、実は昔映画館で見た時 は面白いとは思っても「怖い」とは思わなかったのですね。結構わかりやすい ストーリーでもあり、「狂気」というのは感じなかった。ジョディ・フォス ターのまだ学生臭い銃の構え方、動きなどがリアルだと思ったぐらいでした。  しかし、今回あらためて思ったのですが、この映画の実は本当に怖い部分は 別にあるのです。それはジョディを見る男たちの目、です。ジョディに会う男 は例外なく全てジョディに色目を使っているのです。全員。これはすごい。も し私がその立場だったら。出会う女全てが私を犯したいと思っていると感じら れたら。やはりちょっと気持ち悪い。  これはおそらくジョディ役の内面なのでしょう。事実がどうかはともかく、 ジョディはそういう風に男を見ている。そういう世界に生きているという認識 がある。それがこの映画の怖さなのであった。  学校2は別の意味で怖いので録画はしたものの見ませんでした。つらい、ん ですよね。映画館で一人で見た時、不覚にも涙を流してしまったぐらいで。現 実でもあるのでやはり、重くて重くて。物語自体は非常にべたべたで、古っぽ く非常に完成度の高い教育映画っぽいのですが……一度は見た方がよいかもし れません。肯定にせよ否定にせよ。ただし気力ある時のみに、です。 (10/14 0:21)
1997年10月14日 (火)  鋼鉄、はやくも飽きてしまう。  このゲーム、実に単純なシステムでうごいている。音声は全てwavファイル。  画像は、bmp形式の一種であるbp2というファイルでできあがっており、ただ それを、一定の順番により流すというだけの処理をしている。従って、wavフ ァイルとbp2を読むことのできるツールがあれば、ゲームせずして全部見れる のである。  wavファイルはまあ大概の人が聞ける。bp2も、園部さんのページにツールが あったのを思いだし、ダウンロードして見た。そしてがしがし見ている内に飽 きてしまったのである。まだ二日目なのに。  分岐も少ないので、横道もたかがしれている。一つ一つのファイルのデータ が大きいからCD4枚も使っているが、見てしまえばそれっきり。  それにくらべるとドラクエ3は、未だ終わらず。最後の日記を書いた後、少 し悟りの塔をめぐっていたが進展なし。ストーリー的にも脇道なのでさっさと 攻略しておさらばしたいものである。 ***  パーリタの感想を幾つかいただいて嬉しく思っております。ハードな展開に ついてもわりとついてきていただけたのようで、ほっとしました。  今の所誰からもつっこみが無いので、自分でばらしてしまいますが、4話、 ちょっと日没の時間についての描写がおかしいです。  素直に読むと6時か7時頃の日没のようにもとれるのですが、12月半ばぐ らいの日没時間は、天文年鑑によると東京は約午後4時半。なのに、「もう一 人のミツ夫」がタクシーで帰ってくるのが8時15分前。ってことは3時間以 上、ミツ夫とパー子は一緒の部屋にいたわけですが……あれだけしか会話が進 んでいないとは……。書き始めた時には漠然と6時過ぎ頃の日没をイメージし ていたので、あんなになってしまいました。ま、気にしているのは私だけかも しれませんが。  それから望郷傭兵さんから「花束5000円は結構小さくはありませんか」 とのつっこみもいただきました。そうかもしれません。というか、花束なんて 送ったことほとんどないんであそこはちょっと適当でした。どうなんでしょう。 「ぱっとみて大きい」「見栄えのいい」程度の花束は幾らぐらいで買えるので しょうか……。 ***  ってなことを今、家の女性陣に聞いてみた所、「まず3000円じゃ小さい ね、手の指先から肘ぐらいの長さしか無いから。5000円ぐらいから、まあ まあ見れる大きさになるけど、それも店によるね」との返事。  やはり1万あたりかけないと見栄えがよくはならないらしい。花をたくさん 使わず、カスミ草なんかをふんだんに使い、茎を切らないなどすれば、一応安 くても形がつくようですが。それでも「見れば安いか高いかすぐ分かるよ」と のこと。  お袋なんぞ「あら、でも今日見てきた里見浩太郎に上げた花束も3000円 か5000円ぐらいよ」と聞いてもいないことまで話してくれた。また新橋演 舞場とか行っていてたのか。好きだね。  しかし、こんなすぐに詳細な情報が我が家の女性陣だけで返ってくるとは… …。努々、女性に花を送る際には気合いを抜くことなかれ。  こっそりパーリタの箇所も1万ぐらいに直しておこうかな……。 ***  本屋でついふらっと山田太一の「異人たちとの夏」を買ってきてしまう。こ んな鬱気味な今の私が山田太一なんて手にとったら……いきなり、離婚した中 年の男の元に、古い仕事仲間がやってきて「奥さんに近づきたい」とか言って くるシーンから始まり……ああ、ブルーなり。しかも、幼い頃死別した両親そ っくりな夫婦との出逢い。染みる……心に染みる。なんか切ないなあ。 (23:44)
1997年10月15日 (水)  珍しく……でもありませんが、書くことが無い。  さて困った。 ***  電車の中で、文庫本のジャン・コクトーの詩集を読んでいる女性がいた。  それも立ちながら。  車両は満員とまではいかないまでも、かなりの混雑を見せていた。  僕は吊革につかまりながら彼女の右となりに立っている。  さらに僕の右には、やはり立ってイタリアなんとか、という紀行文らしき文 庫本を読んでいる女性がいる。  どちらも30か、20代半ばといった感じ。  コクトーの女性はページをなかなか繰る様子も無く、ゆっくりと文字を見て いる。大学のレポートの資料を読んでいる、というわけでもなさそうだ。  右の女性のページの中に、「思想」がどうとかいう文字が見えた。  そんな二人に挟まれて、僕は、文字通り列車に揺れていた。  ……ふむ。 ***  「異人たちの夏」は帰りの電車の中で少し昨日の続きを読んだ。  やばい。  ツボはまりすぎ。かなり感情移入している自分に気付く。鼻の頭が熱くなる。  その時も列車はがたごと揺れていた。  家についたのは10時過ぎだった。  ……それだけ。 (23:18)
1997年10月16日 (木)  ということで「異人たちの夏」を読了。  モノホンで泣いてしまう。ページが繰りにくい、なんて言うといかにもすぎ てなんとも陳腐な響きに聞こえるが本当なんだからしょうがない。多分に個人 的な思い入れにも関係してくると思うが。後半部分で、ふとまたエヴァのこと を思いだし、「エヴァなんてくそ食らえだ」なんて考えてしまった。  あんまり説明すると、私自身の味わいが無くなってくるので、簡単に言うと、 中年の主人公が死んだはずの両親と会っているうちに「他人には」衰弱してゆ くように見える……しかし、主人公には自覚がなく、また両親も本物にしか見 えない……同時に、マンションで30すぎぐらいの女性と親しくなってゆく… …。  主人公自身も全てが妄想かもしれないと疑いつつ、そんな気は全くしない、 と言う状態。しかし、読んでいるものにひしひしと感じるのは「それは求めて やまない存在との出逢い」である、ということ。作者が架空の人物を操って物 語りをつづってゆくこと自体のメタファーとも読める。  作中の人物も、そこにある世界も全ては架空かもしれない。しかし、それは そこにある。そして、それは或る意味本当なのである。もちろん、それは危険 なことでもある。事実、主人公は衰弱してゆく。  求めてやまないその「何か」は、心を慰撫すると同時に躰を蝕む。だが、そ れでもまだ求める……。  もちろん、最後は全ては架空と消える。  ラスト、「ありがとう」という文字がある。  そう、どこかで聞いたことのあるアレみたいに。  でも、この本の「ありがとう」を見たあとじゃ「アレ」はただのスタイルに 思える。私がもしかしたら古い人間で、アレの人みたいに時代にシンクロして おらず、だからおっさんの山田太一なんかのものに感じいってるんだ、なんて 言われたらそれまでの話ですが。  とにかくやられたって感じです。  ちなみにこれは映画化されたとも聞いていますが(大林宣彦だったかな)、 見たくない感じです。多分、文字で読んだほうがよい。これは文字と映像の永 遠のテーマですが、一人の空間で、じーっと頭の中で何かを浮かべたままでい る方が、いい気がした。  ……今、上の文章を読むが誤解されそうな書き方かとも思う。だが、うまく 言えないので、これぐらいにしておきます。……いや本当に個人的な所で何か 触れた気がしたもんで。きっと、有名な作品なんで、色々な所でいろいろ書い ている人もいるんでしょうが……。

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