MORIVER'S SWEETEST DIARY (44) 更新日記 (44)

4月 4日(土) 電話/ニッポンマンガ論・新人賞・ドラえもん論
4月 9日(木) わかるかな?/パンダにおまかせ/ダイハード3
4月 17日(金) 掲示板ジャック/愛校心/ポケモン再開
4月 19日(日) 掲示板に背景画像つく/PHSに後悔する日


1998年4月 19日 (土)  この後に及んでまだ更新。 ***  掲示板にちぇりさんからいただいた背景画像を使用中。いただけるものはあ りがたくいただく。官僚には怖くてなれない体質。 ***  PHSのかかりがあまりにも悪い。自分の部屋なのにかからないことがある よう。後で電話をしてくれた人から聞いて、焦りまくりまくり。やっぱり携帯 電話に変えた方がよいのかも、と真剣に考えはじめる。なーんでこんなにかか りが悪いのか。アステルだから? マジ?  かける方はともかく着信には異様にPHSは使えないと認識。これなら、携 帯にして基本料金の安いサービスにした方がよかったかも。なにごとも経験し てみないと分からないこともあるということか。ため息。 (19:17)
1998年4月 17日 (金)  日記というよりお知らせ、ですが、掲示板をついにパンダ(仮名)に乗っ取 られました。名称も「パンダの説教部屋」と改め。もはやなすがまま・・・で もいつか取り戻してやるからな!。 ***  せっかくだから何か書いてみるか。  桜が咲いたかと思えばもう散ってしまい。ここ数日は少し涼しいですが、気 温もいきなりぐん、とあったかくなってきました。春。そして、すでに夏へと 一歩一歩近づいていっているよう。早いものです。  ほとんど家から出ないような生活をしているのですが、季節の変わり目だけ はなんとなく感じる。運良く近所を散歩している時に桜並木を見ることもでき た。八幡神社前。空は灰色だったけれども上も下も薄桃色の花びらでいっぱい でいつになくセンチメンタルな気分になれた。しみじみ見る桜にはなにか心を 動かすものがある。 ***  所沢高校で、校長に反対して入学式とは別に「入学を祝う会」を行った生徒 会について、家で話題になった。母親は校長に同情的であるよう。やはり国旗 や国歌は必要だと言う。しかし、僕と含めた子供陣は、生徒会にわりにシンパ シーがある。生徒会長を名乗る彼はなまいきそうだが、あれだけ自主的に生徒 があつまって、しかもそのことに自負心を持って動いているのだ。なにも邪魔 することはあるまい。むしろがんばればよろしい、と思うのだ。  大体大多数の生徒会なんておよそやる気が無いのである。先生からわりふら れた仕事を生徒に分担させる、というような役目しか無いわけで。個性化教育 などをお題目に掲げている文部省が反対するのは何か矛盾している気もするが やはり日の丸・君が代問題がネックになっているのだろう。  そもそもあの校長自体が、問題の所沢高校を改革するために県の教育委員会 から送られてきた人のようである。もっとも彼の人望の無さからみてその戦略 的人選は間違っていたようだが。その目的は所沢高校の受験学校としての性格 の強化なのか、それとも本当に日の丸・君が代強制にあったのか。もし後者だ としたらどこか間違っている気がする。教育的見て、愛校心を否定して愛国心 を植え付けようなんてできるだろうか。僕などはどっちも無いからどーでもよ いと言えばそれまでだが。ある意味世の風潮に逆らってまで「燃えている」生 徒たちにはがんばって欲しい。  ちなみに、僕は日の丸・君が代を国旗、国歌と認めることにはさほど抵抗は 無いが、式の時に歌うのは面倒なので廃止してくれた方が楽でよいと思ってい る。 ***  ところで、SPEEDの曲「MY GRADUATION」を卒業式に流した学校というのあり そうでなさそうで。本当にあるのかな? 「送る言葉」とりかは確かに今風だ が。 ***  ポケモンのアニメ、再開。見てないが、毎日新聞の子供のコメントに「ピカ チュウがいっぱい。気持ち悪い」とあったのが気になった。なんでも野生のピ カチュウが大量に出てくるシーンがあるらしい。おまたせした分の大サービス なのか。  新聞には他に一面をつかって富野監督のコメントがあった。「映像力学を教 えるものがおらん。映像は気分で作ってはいかんのだ」などと語っていた。意 図しているところはよく分からないが、まあ、映像を作るもんはもっとポリ シーを持って語れ、ということらしい。いささかポケモン問題とは関係無い気 もするが、それより気になったのは監督の頭がぴかぴかになっていたことだ。 ふけたなあ・・・。 ***  ポケットベルに広告メッセージをながすことで、使用料無料のポケベルの サービスをする計画があるとか。いいアイデアだと思う。もしそうなら、ひと つぐらい持ってもよいとも思う。ただし、CMメッセージの時は着信音は鳴っ て欲しく無いものだ。  携帯電話の普及率は25%。普通の家の電話が50%。数字でみるとあらた めてすごい状況だと思う。 (18:47)
1998年4月 9日 (木)  へいへいへい。  いえーい。  俺が昔、歌舞伎座だったころ、弟はイライザだった。  おやじは右ヒザで、おふくろは関節ワザだった。  わっかるかな。  わっかんねえだろうなあ。  へいへいへい。  いえーい。 ***  ってな具合で精神に異常をきたしているmoriver、25歳です。  来月はいよいよ試験です。何の試験なのかと疑問に思われている方も多いと は思いますが……どうしてもと言う方はパーソナルリンクの大学関係の友達の ページをあさってみてくださいまし。  それにしてもページをはじめたのは去年の4月。もう一年が経とうとしてい る。えらいこっちゃ。このページも日記以外の更新がとまって長いことたって いるので、特には感慨ひとしおとはいきませんが。時が経つのは早い、とだけ はしみじみ思います。 ***  青草亭掲示板が大変なことになっている。パンダと名乗る僕の友人がすっか り席捲している。掲示板の管理人のはずの僕より存在感ある。しかも僕が某ガ ブリエル君と同類だという爆弾発言までしている。見過ごせない。でも見過ご してる。くやしいが面白いからだ。面白いことには僕は弱いのだ。  ただ、こっちにも切り札がある。パンダの正体を僕がにぎっているという事 実だ。ちなみに一部で「パンダとは森川の妹ではないのか」などという噂も流 れているがそれだけははっきり否定しておく。さらに付け加えるならば、僕の 自作自演でもない。はっきり言ってそれほど暇では無い。  ということでパンダ(仮名)の毒舌を浴びたい方は掲示板の方へどうぞ。も っとも毒を吐かれているのは僕一人という説もあるが……頼む……マジな秘密 は暴露しないでね……お願い。 ***  「ダイハード3」がテレビでやっていたので見直してしまった。  原題は「DIE HARD WIHT A VENGEANCE」。「VENGEANCE」とは復讐という意 味。直訳すれば「ダイ・ハード 復讐編」といったところか。単純に3としな いところにジョン・マクティアナン監督の意味ごみを感じる。  ジョン・マクティアナン監督については去年の8月10日の日記で述べたこ とがあるが、あらためて見てその奇才ぶりに感心した。物語は、1ででてきた テロリストの兄が、ニューヨークのあちこちで爆弾を爆破させると脅しながら 主人公の刑事に復讐するというものだが、コミカルさとシリアスさのブレンド 具合が結構絶妙である。  まず主人公のアクションはほとんど冗談すれすれ。中盤のトンネルの中で水 攻めになって逃げ出すシーンなどは笑わずしては見れない。  しかし、主人公の相棒にインテリ風の黒人(サミュエル・L・ジャクソン) がついているのが妙な深みになっている。この黒人とのエピソードを通して、 さりげなく市民一般に未だある密かな差別感情……というか黒人と白人の意識 の違いがさらっと描かれているのには驚く。その緊張感が見ていてまず、面白 いし、決して単純に和解もしないあたりに監督のポリシーを感じた。  そう思ってよく登場人物を見ると、刑事仲間もなかなか人種的にばらけてい る。1でも犯人に東洋人らしき人が混じっていたが、今回も刑事に一人いる。 2にそういう要素がぬけているところからみて、これはマクティアナン監督の こだわりではあると見てよいかと思う。  そしてニューヨークの空。画面の中では大概灰色なのである。雨も降る。ハ リウッドのある西海岸とはやはり違う。どちらかというと東京に似た雰囲気が そこにある。そういうちょっと陰うつな雰囲気も結構個人的には気に入ってい る。  カーアクションのところは見ていて、なぜだか宮崎駿の「ルパン三世 カリ オストロの城」の冒頭部分を思い出す。公園をつっぱしるシーンの強引さなど がどうもだぶってくる。気のせいかもしれないが。  それ以外にも冒頭のデパートの爆破シーンもなかなか編集がうまい。おもわ ずコマ送りで確認してしまったほどだ。文章ではうまく説明できないのだが、 同じように撮影したとしてもこのつなぎかたが下手くそだったらこんな効果は でなかったと思う。ちなみに停止したら爆風でぶっとぶバスにワイヤーがつい ているのがぼんやりとだけ見えた。合成も入っていると思うがよく見えない。 ここだけ見てもかなり芸は細かそうだ。  なおこの冒頭部分は「狼たちの午後」と良く似ている。1でも「テロリスト と人質と仲良くなることがある」とテレビの解説者が述べているシーンがあっ たり、FBIの対応が上の映画そのままだったり両者の関係はかなり深いよう。 監督が案外ファンなのかもしれない。ありえる話だ。  なぜだか顔のアップのカットが多く、特に冒頭は息苦しいのがやや難点か。 登場人物の感情を観客にアピールするためだとは思うけれども。少しだけ気に なった。  しかし、総じて見ればなかなかの意欲作という感じで面白い。シリーズもの では失敗が多い中でがんばっているとは思う。さてエイリアン4はどうなって いることやら・・・。 (4/10 2:36)
1998年4月 4日 (土)  なにやら久々の日記更新である。一週間以上開けてしまった。このホーム ページ開設以来の最長記録となってしまった。 ***  なにも大きな変化らしきものはない。  ないけれども、小さな変化らしきものはある。  たとえば、父が携帯電話を買った。上の妹もPHSに加えて携帯も買った。か くて我が家は、母を除いた4人が自分の電話を持つことになった。そしてもち ろん、家の電話もある。電話は一家に一台ではなく、一人一台の時代に突入し たというのか。これが21世紀のスタイルだというのだろうか。だが、こうし たことにもすぐになれてしまう。「え、昔は家に一台しか電話がなかったの? でも、自分にかかってきた電話を家族の誰かにとられるのって気持ち悪くな い?」などと言われるようになるのだろう。というか、半分そうなっている気 もする。  コンビニの無い生活というのも今や考えられない。電話も含め、無ければ無 いなりに過ごせることも分かっているが、一度馴れてしまうと、そこから抜け 出すのも難しい。通信販売もいつの間にか当たり前のものになった。  パソコンはどうだろうか。  僕は自分のパソコンを他人にいじられるのが嫌いだ。文字どおり「パーソナ ル」なものだからだ。日記やメモなども入っているという理由もある。今は家 族で共有している人も多いと思うが、やはりいづれは一人一台が当たり前にな るのだと思う。メールは便利だし、ウェブ上の情報もいい加減なものがまだ多 いとはいえ充実してきているのも事実だ。企業内でのイトンラネットは、当た り前のものになっているし、メールのやりとりも常識となっているらしい。  とは言え、ネットジャンキーになっている状況はそれなりにまずいと思うの だが。うまい着地点はあるのだろうか。雑誌などで読む限り、適当な金と時間 を使える学生と主婦が危ないらしい。さもありなんとも思う。くわばらくわば ら。犠牲者ここに一人眠れり。 ***  最近買った本。  「ニッポンマンガ論(フレデリック・L・ショット著 マール社)」が面白 かった。アメリカで出版された日本のマンガの現状について解説した本の翻訳 である。マンガ論としても日本人論の一つとしても面白い。おたく、について の考察もそつなくまとまっており、未だに「宮崎勤事件」がトラウマのように 存在するというあたりはには個人的には大きくうなづかされた。また、日本発 アニメやマンガを通してロリータ的趣味がひそかに広がりつつあることにも、 触れていて、その分析の深さに感心した。細かい部分で異論のある人もいると は思うが、全体の主張自体は少なくともマンガを読んで成長した世代にとって は大部分、納得のいく内容である。毎日新聞のコラムでも夏目房之助が、こっ そり紹介していた。マンガ好きなら読んで損は無い一冊だと思う。  買って損したと思ったのは久美沙織著の「これがトドメの新人賞のとりかた 教えます」である。小説で新人賞を取るためのハウツー本で、これはシリーズ 3冊目にあたる。全2冊は面白かった。なかなかためにもなり、何度も読み返 させてもらった。  しかし、今回のは、少女小説での雑誌連載の記事をまとめたという形である せいか、なにやらポイントがずれている気がしてなにしろ読みにくい。弟子を 集め、課題文を題材に小説の技術を語るというスタイルは、中島梓(栗本薫) の「小説道場」を意識したものだと思うが、はっきり言って失敗である。  つまらない文章の例についていろいろつっこみがあるのは面白いが、楽屋落 ちのようなファンタジーRPGののりの文章には辟易して仕方が無い。このよ うなものを好む人もいるとは思うが、ハウツーものとしては失敗しているのは あきらか。前2冊は人には薦めたい本であるだけに残念である。  ちなみに、最後に作者自身の書いた短編小説が付記されているが、僕にはそ れほど面白くなかった。これも好みの問題であるとは思うけれども。期待が大 きかった分だけがっかりされられた一冊だった。 ***  なかなかよかったなと思ったのが「藤子F不二雄自選集ドラえもん 上巻」。  久々にドラえもんを読み返し、あらためて「面白いな」と実感。  僕がうまれて初めて買ってそろえたマンガがドラえもんだった。子供の頃に 何度も読み返して記憶に叩き込んだわけだから、どの話も当然読んだことのあ るものばかりだ。だが、ただ懐かしいというのとは別にやはり面白いのだった。  今回読んで印象的に残ったのは何よりドラえもんの困った顔だった。のび太 もしょっちゅう困った顔をしているわけだが、彼の困ったは自分自身のたわい なさによる困った顔である。けれどもドラえもんの困った顔は大部分、自分の ためというより、のび太のためにしている困り顔である。  確かにドラえもんの道具も魅力的だが、こうやって身近にいて自分のことで 困った顔をしてくれるというのは、それ自体なんだかひどくうらやましい。や れやれと言いながらもつきあってくれたり、手助けしてくれたり、時にはけん かしたりしてくれるのび太がうらやましい。わりにマンガのドラえもんは皮肉 屋でもあって、唇をとがらせながらのび太にきついことを言ったりもする。  これはいったいなんなのだろう。  ドラえもんは親ではない。兄弟というのもまた違う。友達だといえば友達だ が時に保護者面をしたりもする。実に不思議な関係なのである。オバQの場合 はあきらかに「いそうろう」であった。しかしドラえもんは、のび太の親には なぜか信用されている。乳母のような位置かな、とも思うが、そのわりにはの び太と一緒になって馬鹿をやっている姿も目立つ。考えれば考えれば不思議な 存在なのである。  「BE FREE」や「東京大学物語」で有名な漫画家江川達也はドラえも んへのアンチ・テーゼとして「まじかるタルるーと君」を描いたとも聞く。 実際、最初の人物関係や道具立ては非常に似ている。僕など連載はじまった時 に「こんなあからさまなぱくりなマンガでいいのだろうか。なぜ誰も指摘しな いのだろう」と不思議に思っていた。  その江川達也氏によればドラえもんはのび太を甘やかしているという点で気 に食わないようなのである。もちろん、こだわる以上はその作品が好きなのだ とは思うが、氏のポリシーとは反するらしい。ちなみに氏の関心事の中心は、 マインドコントロール、独裁、性欲、などに集中しているようだが、ある意味 そのような人が藤子マンガにひかれること自体が面白い。  さて、ではのび太は本当にドラえもんに甘やかされているのだろうか。よく ひきあいに出されるのは「さよならドラえもん」のエピソードである。雑誌連 載の最終回として描かれたそれの中で、のび太は自分がドラえもんなしでも大 丈夫だということを証明するため、ジャイアンにけんかをいどみ、ぼろぼろに なりながらも相手のギブアップを勝ち取る。  ドラえもんがいることで、のび太がドラえもんに頼ってしまうことは事実で はあるが、それを単に成長や自立の阻害として片づけてしまっていいのであろ うか。  江川氏は「タルるーと君」の中で厳しい父親とやさしい母親を登場させ、タ ルるーとを道化回しに設定して、主人公の本丸を苦境に陥れた上で成長させる 物語を描いた。これが氏なりのドラえもんへのメッセージなのだと思うが、そ こには何かぽっかりと抜け落ちた視線があるとも感じられる。  江川氏は極端に父性的なものにこだわる。そして母性的なものは性的快楽と 結びつけられ退行や堕落すれすれのものと描かれる。これは一つの見方ではあ る。だが、わかりやすい分だけ僕にとっては今一つものたりない。  しかるにドラえもんである。彼は果たして「母性的」なのか。多分にその要 素はある。しかし母親的では無い。むしろのび太にとっての母性は死んでしま ったおばあちゃんであるように思える。かと言ってびしびししごく「父性的」 というわけでも無い。実に言葉にしづらい存在なのである。強いていえば友達 なのだが、それもそれで語弊がある感じだ。さらに強いていえば間抜けな家庭 教師という感じだろうか……。だがその言葉にもはまりきれないものを感じる。  というわけで、未だに不思議な存在がドラえもんである。言葉でうまく説明 できない存在。ドラえもんはドラえもんでしかないというその位置。実にまっ たく面白い。 (8:03)

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