更新日記 (59)

12月 2日(水) パーマン文庫版 タイトル一覧
12月 5日(土) 京極夏彦を読む/殴る女/彼氏彼女の事情
12月 6日(日) できるかな?
12月 7日(月) se7en復活



1998年12月 7日 (月)  「se7en」復活。  セブン、とはモーガン・フリーマン、ブラッド・ピット主演、デビッド・フ ィンチャー監督の映画のことである。  今年の5月161822日にも、セブンについて触れたが、その後、録画した ビデオを誤って上書き録画してしまい消してしまっていた。  ところが、今回、ケーブルテレビのCSN1というチャンネルで、放送する ことを知り、録画したのだ。今度はもちろん字幕である。  で、何ヶ月かぶりに見直したのだが、やはり面白い。とくにオープニングの 部分はおそらく映画史に残る出来、である。  あのオープニング部分を担当したのは「カイル・クーパー」という人物であ る。CG関係の専門書「MdN」の12月号に彼の仕事についての詳しい記事が出 ていた。 ***  カイル・クーパー(Kyle Cooper)、1963年生まれ。名門エール大学を卒業 後、デザインスタジオ「R/Greenberg Associations(R/GA)」に入り、 100近くの映画タイトルの制作に携わる。「セブン」はそのR/GAにいた 時の最後の仕事であったという。  デビッド・フィンチャー監督の強い要望もあって、妥協を許さぬ仕事をし、 広く注目を浴びるあのオープニングタイトルを制作した後、独立し、今は「イ マジナリー・フォーシズ(Imaginary Forces)」という会社を経営している。  そして、「ミッション・インポッシブル」「モンタナの風に吹かれて」「ミ ミック」「マスク・オブ・ゾロ」「フェイク」「ロスト・イン・スペース」な どのオープニングタイトルを制作しているという。  雑誌の記事には上のオープニングタイトルのほか、ナイキのCMなども画面 つきで紹介しているのだが、どれにも共通しているのは「踊るように現れるタ イポグラフィ(文字)」「すばやいカット」「ぶれる画面」という要素である。  やはり原点は「セブン」なのである。  セブンのオープニングタイトルの情報量はかなり多く、見ていてもさっぱり 何が描かれているのか理解しにくいのだが、ゆっくり何度も見ていると、一応 の流れに沿って編集されているのが分かる。  画面が暗くなり、まず雷鳴のような音が響く。そして、心臓の鼓動のような ベースの音。金属片や、ギアがよじれるようなギリっというノイジーな音。  そんな中、ゆっくりと大きな冊子がめくられる画像が現れる。  右下の影の部分に、手書きで書かれたプロダクションの名前が揺れている。  画面が再び暗くなり、プロデューサーの名前が出る。  右上の方に小さく。ただし文字は反転している。  それが正しくなる。と、かすれるように揺れる。  その文字を打ち消すかのように、左上から下へさっと白い光が走る。  それはノートの一ページだと分かる。  その上を、怪しげな黒い影がさっと一条、舐める。  もうこの辺りから、世界に引きづりこまれる。  役者の名前。  開かれる金属片。ナイフの刃。  そして、大文字に出てくるかすれた「se7en」の文字。  現れたかと思うと右隅に小さくなってしまい、揺れる。  その上にノートの表紙のようなざらざらした画面がかぶさる。  指先の皮膚を削る。血のこびりついたノートの端。  神経質に、文字をつづってゆく。  印刷物に書かれた文字から「性倒錯」「性交」という文字を塗りつぶしてゆ く。少年の目も黒い線で塗りつぶしてゆく。  現像液につかる印画紙。  つぶれた顔をした赤ん坊の死体写真。  現像液から出される印画紙。  雑誌や新聞の写真を注意深く切ってゆくハサミ。  それをノートに貼ってゆく。  針に糸を通す、包帯を巻いた指先。  ファイリングされた変死体の写真たち。  ノートを糸でゆっくりと「縫合」してゆく。  釘を曲げて閉じられたノート。  それが納められた本棚。表紙の列・・・・   ***  あまりにもこのオープニングの音楽との同調がよすぎるので、本編の音楽が とてもチャチに見えるほどだ。特に「ノイズ音」の演出は本編でも是非ほしか った。 ***  このオープニングタイトルが注目を浴びたのはやはり、生理的感覚に訴える ものがあるからだと思う。心臓の鼓動のようなビートのほかにも、作業に集中 している時に感じる妙な感覚、時々ふと、ノイズのように交じる雑念のような もの。思い返してみると、時間の前後が入れ替わっていたりする感覚。作業し ている自分をもう一人の自分を見ているような二重写しのような感覚。  そういったものが込められているのがやはり成功の秘訣なのだろう。文章で も同じかもしれない、などと一人考えてもみた。 参考リンク ■セブン・オリジナルシナリオ(英語版)  5月18日に紹介したリンク先は無くなってこっちに移動していました。  ただし、その日に紹介した映画シナリオリンク集は生きています。 (12/8 0:51)
1998年12月 6日 (日)  我が家にはケーブルテレビが入っている。  普段、8時近くにならないと始まらない夕食は、今日に限って7時半頃に終 っていた。まったりと目的も無く居間に居坐る中、テレビのリモコンを私はい じる。  するとチャンネルが、5チャンネル、「品川区民チャンネル」になった。  我が家が入る「ケーブルテレビ品川」独自の、区民テレビ局である。といっ ても、内容は、どこかの局でやっていた番組の再放送や、有名人の公園を録画 したものであったりする。  そして今日、その画面に写ったのは、あのノッポさんとゴン太君。  そう。NHK教育テレビの名作番組「できるかな」である。  番組は既に、半分をすぎようとしていた。  ノッポさんは、鉄棒にボール紙の筒を巻き、そこに人形を貼り付けていた。  筒には、タコ糸がついており、それをノッポさんが引っ張ると。  回る。  そう、人形がくるくると回転を始めるのだ。  『すごい、やりました。やりましたよ、ノッポさん!』  聞き覚えのある女の人のナレーションが聞こえる。  ゴン太君は、ノッポさんの回りを回っている。ぐごぐご。大きな頭が揺れて いる。ほらー、邪魔しちゃ駄目でしょ、ゴン太君。  場面が変わる。  ひっくり返されたテーブルがある。  ノッポさん登場。  どうするのか。  ノッポさんはまた紙の筒を取り出す。上にはボール紙で作られた人形が乗っ ている。4つのテーブル足には、それぞれ曲芸師や象が乗っけられた。  そして。  筒についた紐が引っ張られる。ノッポさんは4本の糸を引っ張る。音楽が鳴 る。上からは色つきケント紙に描かれたサーカスの天井が降りてくる。踊るゴ ン太君。ノッポさんは足も使って、フロアの上で寝転がるようにして糸を引き 続ける。  『やりました』  興奮気味な女性の声。ぐごぐご。  今度はジャングルジムだ。  そこの手すりに一つ一つに紙の筒がある。猿の紙人形がつけられている。そ してタコ糸も。  タコ糸の先は画面の端に延びている。  ノッポさん登場。  キーキー。猿の声だ。音楽が響く。  すると、糸がぴんと張り。  回る。何十匹もの猿が声をあげて回り始める。  ノッポさんもジャングルジムに上る。  終わりの音楽が響く。  回る猿。踊るゴン太君。見ると、ノッポさんもジャングルジムの上で逆上が りをトライしはじめている。ぐごぐご。  『さあ、今週はこれでお仕まい。みんなもやってみてね』  でっきるかな、でっきるかな、さてはてほほーー ***  「……家でこんなの出来るか?」  私はつぶやく。  「そうか、できるかなって、我が家でできるかな、っていう、視聴者への挑 戦状だったんだ」  傍らにいた下の妹がうなずいている。  「結構、子供じゃなくて、保母さんとか先生が次のおゆうぎの時間のネタ探 しに見るんじゃないの」  熱心に一緒に見ていた、元保母の母親にそんなことを言ってもみた、その時。  『でっきるかな、でっきるかな、さてはてほほーー』  あの音楽が聞こえた。  何と、放送は二本立てであった。 ***  結局二本目の十五分を全部、父と母と私と下の妹と4人で見てしまう。  段ボールや、ケント紙、割り箸、ティッシュの箱など身近なものしか使わな い。色を塗るのもクレヨンやマジックや、水彩絵の具らしきものばかり。そし て、なんでも貼り付けられる魔法の道具、セロハンテープ。  小さな仕掛けから始まり、段々とスケールが大きくなり、最後はスタジオ全 体を使った規模になる。  二回目のモチーフはネコ。ボール紙で作ったネコ、ティッシュの箱で作った ネコ。糸で連れまわしたり、磁石で下からいじってみたり。  ラストは紙をつなぎ合わして作った、ノッポさんの背丈をも超すビッグ小猫。  「小猫でビッグ?」  妹のつっこみをよそに、ビッグ小猫は、中に入っているのかピアノ線でつら れているのか、微妙な体の動きを見せながら、ノッポさんの与えたボール紙の 魚の骨を無視する。踊るゴン太君。ぐごぐご。 ***  とにかく過剰なまでにノリノリなノッポさん。的確なタイミングで鳴り始め る音楽。絶え間無く視聴者の気分を盛り上げ続けるナレーション。てかてかと スタジオのライトを浴びて光るセロテープ。  今にして工作好きな自分の原点を見た気もした。微妙なレベルでの完成度が かもしだす独特の雰囲気。チープ故にかきたてられる、見る側の想像力。「見 立て文化」ニッポンの神髄がそこにある。  番組が終わり。母は台所へと立ち、父は読みかけの京極夏彦に戻る。  次の番組は、「品川区の商店街」というものだった。  どこかの道端で、商店街の方々がカメラに向かって番組名を叫んでいる。  受験生である下の妹も、もういいよ、と言ってチャンネルを替えて席を立っ ていった。ぐごぐご。 (22:01)
1998年12月 5日 (土)  今更ながらであるが「京極夏彦」を読む。デビュー作「姑獲鳥の夏(うぶめ のなつ)」と二作目「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」の二冊である。  あまりにも発売当時話題になりすぎて、かえって遠ざけていた。しかし、最 近読書漬けになっている父が買って来てしまった。現物があるとつい読んでし まうのが悲しき性。  で、感想なのだが。  これがまた一言では言いにくい。書評やファンの声からは「蘊蓄が多い」 「キャラがいい」「活字ファンにはたまらない」「民族学の造詣が深い」など などあがっている。だが、そうした意見を聞いても私は特に読みたいとは思わ なかった。  面白くないか、と言われれば面白いと答えるし、どんなもんだと聞かれれば 大したもんだと答えると思う。  簡単に意見をまとめてみようと試みてみてもつい長くなってしまう。そうし ないとこの今感じているニュアンスが告げにくい、というのがある。  とりあえず物語の紹介から始めてみよう。 「姑獲鳥の夏」の方は主人公の友人、「京極堂」というのがいる。芥川龍之介 に似ている、という描写あたり、作者の人物造詣に対する計算を感じる。  その京極堂、古本屋であり神主でもある希代の理屈屋にして戦時中洗脳研究 に従事していたというが、彼の蘊蓄が延々と語られ続ける。そのため物語は 遅々として進まない。3分の2過ぎてもまだ、事件のあった館を探偵と共に調 査しているありさまである。  もっともその後は怒涛の展開、なかなかの見せ場も用意され、余韻の残るラ ストが待っている。  その点「魍魎の匣」の方は、最初からテンポよく話が進む。複数の視点、複 数のストーリーが入り組みながら、次第にその関係性が明らかになりる。  ラストにはその入り組んだ蜘蛛の巣のような実体から、ぴょこんと何かが飛 び出し……やはり余韻とごりごりとした後味が残る。  どうもこの京極夏彦には熱狂的ファンがいるらしく、多くはその世界観に参 ってしまうようだ。しかし、京極氏自身はそれをどう思っているのかが気にな る。  京極氏は、読者の心をあっちこっちにひっぱり回し、その揺れ具合にひっか かった読者を想像して楽しんでいるような節がある。主張していることに嘘は 無いとは思うが、それを簡単に信じてしまうようなファンを「単純な人」と見 ている感じがして、それが私にとってはなんとも興味深い部分でもある。  ところで題名が全体のモチーフとなっており、「最初に題名ありき」という 印象も強く受ける。「姑獲鳥の夏」の姑獲鳥(うぶめ)とは、子供を失って死 んだ女性のお化けで、よそさまの子供を奪って育てるという性質を持つのだが この母性が、全体を通したテーマになっている。  「魍魎の匣」の方は、もっと直接的に「箱」そのものがモチーフだ。魍魎は おまけに近い。「箱に入った死体」「箱を本尊にすえる教団」「箱型の研究 質」などなど……。考えてみると、最後にぴっちり謎を解いてゆくことも、一 種の「箱詰め」にも似た作業だ。  個人的には二作目の「魍魎の匣」の方がインパクトが大きかった。夜中に読 んでいて、その展開や浮かんでくるイメージにどんどん気が滅入ってきた。計 算されたという意味では綾辻行人を連想するが、全体的には江戸川乱歩に近い とも思う。だが、怪奇を民族学的に理解してゆく過程には、ユング心理学など の思想がかなり入っていることも予想できる。そのような下りは、作中にも示 唆されていた。  全体に「仕掛け」が上手い。そしてある種のポリシーが全体に貫かれている。 参ってしまう人がいるのも分からないでもない。  私が参らないのはおそらく、そのポリシー自体が、僕にとってはしごく了解 可能なものであったからだとも思う。何て言えばいいのか。その「関係性につ いてのこだわり」というのは、新しいものというよりも私にとっては前提みた いなものだったから、読んでいて興味があったのは「それがどう発展してゆく か」というものに向けられていた。  関係性へのこだわりは、関係こそが存在であり、命とはその関係を動かす状 態であり、そのエネルギーの移動であるという考えにつながる。「姑獲鳥の 夏」ではしきりに、情念の移動とか、認識における仮想性(難しい言葉を並べ て恐縮だが短く言うにはこういう言い方しか思い付かない)が主張されていた が、「魍魎の匣」では幻想に引きこもるとどうなるのか、科学的という信奉故 に実体あら離れてゆく危険というものも描いていた。この辺りに異論は無いし、 ひたすらその筆運びに「上手い」と感心した。  ところで、魍魎の箱の中で「核弾頭」という言葉がセリフにあったが、昭和 27年にはもう「核」という言葉は浸透していたのかはちょっと気になる。ま たラストの主人公のセリフ「なんだか酷く男が羨ましくなってしまった」、と いう言葉は、終り方としては美しいが、その言い切り方になんとなく不安定な ものを感じた。本当に主人公がそこまで言い切るような心理に達していたのか 気になってしまうのだ。登場人物の心理にとことんこだわる作品だからこそ、 余計、そのあたりはしっかり納得あるようにしてほしかったとは思う。 参考リンク ■京極夏彦ネットコミュニティ   ***  「殴る女」が最近のドラマでは面白い。何と言っても吹越さんと和久井映見 との掛け合いがよい。吹越さんは、今まで味のある脇役という印象が強く、ま してや最初のブレイクがパントマイムの「ロボコップ」だったりするのだから 今回のようなちょっと癖のあるロートルボクサーで主役を張るとは意外であっ た。  しかし、はまっている。恰好いい。骨がある。  そして個人的には「ピュア」を境にすっかり嫌いになっていた和久井映見も このドラマではいい。綾波風のショートカットは何かを狙っているのかとも勘 ぐってしまうが、石黒賢の婚約者にも関わらず、吹越にひかれてゆくのがまた またいい。ちなみに石黒は「振り返れば奴がいる」以来、「愛想笑いだけの 男」というイメージが離れられないのであまり好きではない。  ラストのMr.Childernの曲が入るタイミングもたまらない。曲もいい。文句 も細かく言えばあるのだろうが、いいづくしで麻痺している。  まあ、といっても執着的な意味での好きでは無く、見逃してしまった場合 もあるのだが、今期ではこれと「板橋マダムス」ぐらいがヒットかなとも思っ ている。 参考リンク ■殴る女レビュー(おすすめ) ***  庵野秀明総監督のガイナックスのテレビアニメ「彼氏彼女の事情」を初めて 今週見た。おそろしくよく出来た「電気紙芝居」だった。エヴァ最終回でやっ た、学園エヴァシーンの技術と、俳優のセリフに頼ったラジオドラマ的な運び からくる印象はまさしく「紙芝居」なのである。  動きは極力せず、構図や、カットつなぎのタイミング、さまざまなタッチの 画面という構成で見せ、後はセリフを延々話させる。妙に力が抜けている。  つぼは入っているし、読んだことは無いが原作の力をうまく引き出している のだろうとも思う。湿っぽくないところが偉いかな、とも。 参考リンク ■彼氏彼女の事情ガイナックス公式ページ ■Yahoo カテゴリリンク (7:35)
1998年12月 2日 (水)  気が付くと師走。といっても、我が家ではまだヒーターも入れていない状態 であったりします。寒いような、そうでも無いようなという中途半端な中、し っかり風邪だけはひいていたりもするのですが。 ***  お気づきの方もいるかもしれませんが、11月29日にPERMAN RETUNSのコー ナーに、「パーマン文庫版 タイトル一覧」というページを追加しました。物 語の方も更新しないとな、と思いながら文庫版を読んでいたら、心の中でさま ざまなつっこみの声があがってきまして。大した手間じゃないし、全部の話に コメントでもつけてみるか、と書き上げたものです。  テキスト文章で打つのは結構苦にもならずすぐに出来たのですが、HTML化に 手間取ってしまいました。  見やすくするにはどうすればいいのか。「テーブル」を使ってレイアウトを どこまでつけるか、などなど試行錯誤を繰り返してしまい。結局は、いつもの スタイル通りシンプルな形にしてしまいました。  最近、ハードディスクの容量が無いこともあって、私自身はファイルの保存 をすることがなくなってしまったのですが、ファイル保存して後でゆっくり読 みたい人にとっては画像が多用されているページというのは少々やっかいです。  画像自体を保存するのを忘れれば壊れたアイコンが出てくるだけですし、画 像を保存してみても、その画像が同じディレクトリになければ、やっぱり表示 されない。  もう一つ、IEに付属のFRONT PAGEや、ネットスケープのコンポーザーの 「編集」機能を使ってページを読み込ませてから保存すれば、画像も全部保存 できるのですが、画像が多いページでは結局ハードディスクに丸々全部保存さ れすごい量になってしまう。  なんて事を考えると、やっぱり画像を使うことが少なくなってしまう。普段 見ているのがニュース系やコラム系などばかりですし、やはりとことん「テキ スト」人間であるようです。一応、画像も勉強してみたのですがね……。 ***  Yahoo Japanに「ジヲライフ入門」がやっと登録されました。Yahooで「ジ ヲ」と入れれば出てきます。一気にカウンターが上がりますね、さすがに。お そるべし、Yahoo。 (16:31)

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