「……ごめんなさい」 数秒の間の後、隣町にあるS女子高の制服を着た彼女は、そう言って僕の前でうつむいた。 何度か電車の中で僕は彼女を見かけていた。正直言えば、かなり気になる存在だった。声をかけよう、と何度も思った。 しかし、僕には彼女の真意が分からない。 もちろん、彼女にも僕の心は読めない。 彼女が、今、謝りながらもどこかおびえているように見えるのも全てはそこ原因がある。 それはそうだろう。 密閉された電車の中で、心の読めない人間が隣にいたら、誰だって気持ち悪く思うはずだ。 ただ一人、僕を除いて、は。 他人の心を読めない体として僕は十五年前に生まれた。 「先天性精神感能力欠乏症」と言う奴だ。 日本では、まだ三人しか先例がないという珍しい病気らしい。 母は小学校にあがる日の前、皮の匂いのきつい黒いランドセルをしょわせながらそう教えてくれた。その時には意味がよく分からなかったが、いつも笑顔の母が押し黙る姿を見て、僕は学校に行くということは大変なことなのだろう、とぼんやり考えたのを覚えている。 もちろん、その母の言葉の裏にある感情など想像するしか僕にはできない。発せられた言葉によってしか人とコミュニケーションが取れない人間。それが僕。 そんな僕が、衝突事故により止まった電車の中で彼女とぶつかったのは、ほんの三分前、八時三十八分丁度のことだった。 それは突然に起った。 車内アナウンスは、人身事故による緊急停止をしたとすばやく告げた。僕は、いつものように吊革に眠るふりをして掴まっていたため、勢いに負けて体を飛ばされ、彼女の右腕に歯をぶつけた。 反射的に彼女は身構え、僕を見た。 そして何の謝罪の「信号」も送らない僕を見て罵倒の「信号」を送った。 らしい。 彼女が怒っているのは分かっても、僕にはそれに応えるべき能力が無い。 ただ、黙って制服の黒ズボンから感応障害割引のついた定期券を見せた。彼女はあっと声を上げた。 「どんな気分なの? 心が読めないって」 「……分からない」 短く僕は答える。 本当に分からないのだ。 むしろ逆に心が読める状況というのがどうなのか知りたかった。それはすばらしいことなのだろうか。 多分そうなのだろう。 そうすれば今僕が彼女と話せて、戸惑いながらもどんなに嬉しいと感じているか伝えられるのに。 「死んじゃったみたい」 事故のことを言っているのだ。 「信号」が途絶えたのだろう。 車内全員が重い顔をしている。 なれたはずなのに。 僕は疎外感を感じていた。僕は死んだらちゃんと気付いてもらえるんだろうか。 列車が動き出す。 ……それでも僕は生きている。 駅で彼女は「またね」と笑って言って去った。僕は無駄だとは分かり ながらも彼女の瞳に強く念じた。 またね、と。
(了)
Written by NOBUHIRO MORIKAWA Date: 99/01/16 HTML Modified :99/03/02 |