プロローグ
須羽ミツ夫は戸惑っていた。一号、君が選ばれたんだよ、と言うバードマンの声が再び聞こえたが、少年は未だ茫然の面持ちを崩せない。
よかったじゃない、と隣にいたパー子がミツ夫の肩に手をかけ揺らす。せや、一号はんはリーダーやからな、とパーやんも諾いている。ブービーがウキーと嬉しそうに声を上げる。
そしてミツ夫はやっと思った。そうか、と。
僕は選ばれたんだ、と。
***
須羽ミツ夫がバードマンと出会ったのは、昨年は元旦の午後のことだ。
街外れの資材置き場の間、隠れるようにしてバードマンは眠っていた。直径1メートルほどの下水管の中に、大きな青い布に包まれた巨躯。浮浪者だな、とミツ夫は認識した。
嫌なもん見ちゃったな。
後ずさりしたところで、ミツ夫は足下のコンクリブロックにつまづいた。
あた、と、思わず声をあげてしまう。慌てて口を閉じたが手遅れだった。
寝床の中で体が起きあがる。
目覚めたバードマンがミツ夫の姿をみとめる。
謝って逃げよう。腰を半分引きながら苦笑いを浮かべるミツ夫を、男は片手で制した。
待ちなさい。
低音の響く、静かな声。
そして、立ち上がるや、マスクの下の口を怪しげにゆがませて言った。
君をヒーローにしてやろう。
小学五年生にもなれば誰だってそんなものテレビの中だけのものだってことを知っている。しかし、それでもバードマンの言葉は力強かった。
渡された衣裳をつけ、空に浮かび上がった瞬間、ミツ夫は全てが真実だと知った。最大時速百十九キロ。風をはらみながら体は地上から離れてゆく。やがて大地がゆがみ、ビルと屋根がモザイクのように眼下に広がった。空の大きさを全身で感じる。
君はヒーローだ、バードマンは言った。スーパーマン、とまではいかないがね。これからは「パーマン」と名乗るがいい。
***
ブービーと出会ったのはそれから一週間ほど経った頃だ。マスクとマントを着けたチンパンジーがミツ夫の部屋の窓を叩いた。ウキー。呆れるミツ夫だったが、すぐに二人は打ち解けた。今は、バナナだって半分に分けて食べる。
バードマンが次に選んだのは少女だった。パー子、と、からかい混じりにミツ夫は彼女を呼ぶことにした。彼女は異議を唱えながらも結局それを受け入れた。女の子が、と初めは反発したのをミツ夫も覚えている。
女の子?
そしてパーやんの存在があった。一つ年上の彼は、何事につけても合理的、論理的にミツ夫を打ち負かす。だが、パーやん自身はそれを認めはしない。
何事につけても一歩先を進んでいた。
……もし、バードマンの星へと留学するならば、彼が選ばれるべきだ。そうミツ夫は思っていた。
しかし、事実は違った。
そう、違った。
***
出発の日の前日、ミツ夫は自宅の屋根の上に転がり、夕暮れの空に浮かぶ星を見ていた。
バード星は地球からは最も近い恒星、射手座のプロキシマ・ケンタウリを主星と仰ぐ惑星だ。しかし、それがこの星空のどこにあるのか、ミツ夫には分からない。ただ、ビル群のシルエットの向こうに沈む太陽を眺めながら、自分が地球を……この町を離れるということの意味を考えていた。
隣ではミツ夫のコピーロボットが同じようにして寝沿べっている。ミツ夫が旅立った後は、その帰還の日まで彼が代わりに家族と暮らすことになる。
それはどういうことなのだろう、とミツ夫は思う。寂しいとか思うのだろうか。しかし、実感らしきものは沸いてこない。ただ、高揚感だけを心の底に覚えていた。
「ミツ夫くん」
コピーは起きあがり、ミツ夫の袖をひっぱる。そして紫に染まった西の空を指さす。薄目でミツ夫は確認した。宙に浮かぶ一つの影がこちらに近寄ってくる。パー子だ。
ミツ夫はかぶっていたマスクを少し目深に直し、何にも気付かなかったふりをした。だが、心臓の鼓動が高まるのを押さえることはできない。
最近、パー子と会うといつもそうだ。それがどういうことなのか、勿論気付いてはいた。が、一方でそれを認めたくない気持ちもある。いつも必死に彼女の欠点を上げつらってはコピーにぶつける。口は悪いし、がさつで、馬鹿力で、あんなの女じゃないね。
だが、それでもパー子は女の子だった。空を飛ぶ際、時折、手をつなぐ。そんな時、軽口を叩かずにはいられなくなる。あーあ、やだやだ。なによ、なんか文句あるの。そんなやりとりばかりしてしまう。……それでも体が熱くなるのは止められない。あーあ、やだやだ。
「一号」
少し息を荒らげたパー子の声が聞こえる。ミツ夫はじっと身動きもせず寝たふりを続ける。
突然、息苦しさがミツ夫を襲う。
「起きろ」
痛みも通り越してしまうような力でパー子はミツ夫の鼻をつまんでいた。
「んが」
慌てて彼はパー子の手を振りはらう。けけけと悪魔笑いを続ける彼女。ミツ夫は助けを求めるように傍らのコピーの方を振り返ったが……。
いない。
いつの間に部屋に戻ってしまったのだろうか。……まったく。
「いよいよだね」
そう言いながらパー子はミツ夫の隣に腰を下ろす。
「なにしに来たんだよ」
体を横に向けてミツ夫は顔を隠す。さりげなく鼻先をさすってみた。痛みがじんわりと戻ってくる。
「あら、一号、よだれ」
パー子がミツ夫の横腹をはたく。
「これはさっき五号がつけたんだ」
どうしてもパー子を無視するわけにはいかないらしい。……もちろん、そんなこと、初めからわかっていたことだが。
「来てたの、五号?」
ミツ夫は体を起こしうなずいた。
「もう帰ったけどね」
日が落ちた後は暗くなるのが早い。パー子の顔も闇に紛れていた。が、ミツ夫は気付いた。
影の中で何かが自分を見つめている。
「目……」
初めてみる瞳。目。
外していた。
パー子がマスクをしていない姿など今まで一度だって見たことはなかった。会ってしばらくの頃、そのことで何度も喧嘩をした。僕は自分の私生活を全部見られているのに不公平じゃないか、と。
ミツ夫の部屋はいつしかパーマン仲間のたまり場と化していた。パー子も用もなく二日に一度は訪れて来る。そして、その度にミツ夫の部屋をかき回しては、買ったばかりの漫画やらゲームを持って帰っていった。
……気にならない訳はない。何度もそのマスクの下を見ようと画策した。だが、いつだってそれは巧みにかわされる。それは詮索するのも面倒になるほどの繰り返しだった。そこまでに隠すからにはよほど訳があるのだろうな。そんな風に自分を納得させようともした。いいじゃないか、別に。パー子はパー子なんだ。それに……見ない方がいいのかもしれないし。
そのパー子が素顔で今、ここにいる。
うつむき加減の彼女の横顔をミツ夫はみつめた。
「おかしい?」
彼女の言葉にミツ夫は、いや、と言って首にふる。もちろん、おかしくなんかない。夕日に赤く染まる頬。肩口でそろえた細い黒髪が風に静かに揺れる。
おかしくなんか……。
……違う。
そんな問題じゃない……。
長いまつ毛が何度かしばたく。胸の辺りが急に熱くなってくる。
そう。
彼女の顔には見覚えがある。
部屋の隅に貼ったポスター。三ヶ月程前に、レコードを買った時に貰ったものだ。以来、毎晩寝る前にそれを眺めている。目をつぶりその顔を宙に描くことさえできるほどだ。右下の隅には、星野スミレ、と「直筆」のサインがあった。
同年代であることも手伝ってか、クラスの男子の8割近くが彼女のファンを自認している。以前、パー子にも校内ファンクラブ結成の話をしたこともある。その時、彼女はふうんと言ってつまらなそうに壁のポスターを眺めていた。女には分からないだろうな、そう答えた自分を、ミツ夫は覚えている。
「どうして……」
何に対してどうしてと言っているのか自分でも分からない。どうして、秘密にしてたのか。どうして、秘密を明かしたのか。どうして……君がパー子なのか。
彼女の手が伸び、ミツ夫のマスクに手をかける。そして外した。正面に彼女の顔があった。あ、と小さな声をミツ夫はもらした。とっさに目をつぶる。
何が起きたのだろう、としばらくして思った。
もうパー子の姿はない。遠くの方で電車が走る音が聞こえる。そっと、頬に手をあててみる。
初め、彼女はキスをしてくるんじゃないかとミツ夫は考えていた。
しかし、彼女の顔はミツ夫の唇の先を通り抜け、左肩の上に預けられた。そして頬と頬が重なった。体温をそこに感じた。両腕がミツ夫の胴にぎこちなくまわされる。その体は少し震えていた。声はなかった。ただ二度、鼻をすする音が聞こえた。
離れる時は一瞬だった。じゃあ、と言って彼女は立ち上がり、マスクをつけて、屋根の上から離れた。
傍らに転がった自分のマスクを持って膝の上に置く。階下から母の食事よ、という呼び声が聞こえる。濃紺の雲が、月に照らされただよっている。その下に街の灯が広がっていた。
どうして、という声が、壊れたレコードプレイヤーみたいに心の中でリフレインを続ける。その見えないつぶやきは翌日の朝まで続いた。
***
バードマンの用意した小さな円盤の座席に体をうずめ、見送りに来た仲間を振り返った。
その日、空は、絵はがきのそれような快晴だった。雲はなく、澄み渡たる空の向こうには永遠を感じられた。
風防越しに見えるパー子の顔から表情を読み取るのは難しかった。彼女の腕の中には赤ん坊の五号の姿がある。その姿にミツ夫は少し動揺した。一号、よだれ。そして、横腹に渡った手。頬。風。
ブービーが叫ぶ。ウキー。
パーやんは無言で、両手を組んでこちらを見つめて浮かんでいる。いつだって、彼は本当に感情を見せようとはしない。ただ、笑うべき時には笑顔を見せ、悲しむべき所で顔を曇らせる。だが、今、ミツ夫にはそのパーやんの無表情ぶりがかえって心地よかった。もし、泣かれでもしたらどうすればいいのか分かりはしない。
やがて、出発だ、というバードマンからの通信が入る。
ミツ夫は仲間に手を上げて見せる。
パーやんはうなづいていた。ブービーは両手を上げていた。五号は無言でみつめていた。
そして、パー子は。
微笑みを浮かべていた。
ミツ夫はうつむいて、操縦桿に手を伸ばした。
円盤は高く高くと上昇して、雲の海を抜ける。太陽の光に視界は白で一杯になった。風防に黒い遮光が入り、気がつくと半円の地球が背後にあった。
手が震えた。
いいのか、という声がいずこからともなくミツ夫にささやく。
いいのか。
帰らなくて、いいのか。
青と紫の混じった光の帯が数条、視界の端を横切った。無数の星の粒が眼前と後方の二つに収斂されてゆく。
帰らなくちゃ。
ミツ夫は拳を握った。
そうだ、帰らなくちゃ。
まばゆい光点を見据え、ミツ夫は思う。
だが……それはまだ先のことさ。
それから十二年後
再びミツ夫が地球に足を踏み下ろした時から
この物語は始まる
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THE PERMAN
RETURNS
「パーマン・リターンズ」
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Written by Moriver
For F.F.F
with
Perman the 1st./Mituo Suwa
Perman the 2nd./Booby
Perman the 3rd./"Parko"/Sumire Hoshino
Perman the 4th./"Paryan"/Hozen Ohyama
Perman the 5th./"parbou"/Koichi Yamada
also
Their Copy Robots
Kabao
Sabu
Michiko Sawada
Haruzo Mie
Ganko Suwa
and
"The Bird Man"
mailto:MORIVER(moriver@geocities.co.jp)
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