帰国
到着し、日本の空気を懐かしい缶コーヒーの創られた安い香りと一緒に軽く吸い込み、息を吐き一息つくと方向を見定めました。日本での夏休みはこれまでに無い程楽しい物だったと思えます。日本に居なかった間に得られなかった情報、行き着けて居た楽器屋の懐かしい雰囲気、久しぶりに触る自分の機材、逢いたかった人たち、久し振りに快適に運転できる車と、そのエンジンの美しさ。色々な仲間と出逢い、時間を過ごしながらもやはり車の事を気にかけていました。エンジンをかけないわけですから、当然バッテリーは動かなくなっているだろう、と言う事やブレーキは錆びているであろう事、そしてハンドルが変な方向で固まっていないか、という事など、考えはじめれば次から次に湧き出て来ました。
しっかりと日本を堪能し、アメリカに戻る日がやって来て「楽しかった分、抱えている問題に頭を抱えなければいけない」と言う事を実感する事になりました。当然考えてはいたものの、やはり「預けた車屋で修理」という事で半ば無理矢理その問題を勝手に自己の中で解決させていたのです。
アメリカへ向かう飛行機に乗り、甘い考えと期待と不安とを最初だけ楽しい機内食とくり返される映画でじわじわとゆっくり消されつつ中途半端な眠りに落ち、思い出のJFK空港に到着しました。
深夜11:50、JFKとはいっても流石にこの時間になると活発ではなく、かといって人がいないわけでもない、なんとなく不思議な時間帯でした。前もってネットでホテルを調べていたのでバスかタクシーを拾い、そのホテルに向かうべくタクシーのりばにいくと山のような白タクの数。他の乗客の殆ど、というよりも自分以外は全員どうも迎えがいたらしく、自分以外はみかけませんでした。その白タクの運転手達は飴に群がる蟻が可愛く感じる程自分という客を掴もうと必死で勧誘してきましたがfix rate(JFKからNYCまでは料金一定です)イエローキャブですら信用できないのに夜の12時、しかも選択肢が山程あるので冒険する気持ちにはなれず、そのままイエローキャブを探しているとバスの関連会社のユニフォームと思われる薄い水色のすっきりとした動きやすそうな服に身を包んだ黒人の痩せた少し年のいった50代前半かという男性が「もし足を探してるのならバスにのれば安く済むし、チップをわたせば夜だからある程度自由に動いてくれるよ」というのでタクシーの役1/5程度の料金でバスに乗る事を決め、バスの時間まで立って待っていました。バスを待っている間も大半はアメリカ人では無いと思われる白タクの運転手が「cheap」を連発して誘って来ましたが運良くその黒人の人が「彼はバスを待ってるんだ!」と連呼してくれて多少助かりました。(もっとも、それでも大半はしつこくcheapを連発し、勧誘しようという努力を怠ることはありませんでしたが。)そうこうしているうち20分程度で見た目もすっきりとしたこぎれいなシャトルバスがやってきて、それに乗り込み、ターミナルの彼に挨拶をしてその場を後にしました。
ホテルまでの道は見なれていてどこか懐かしくもありました。午前1:00頃、バスの運転手に頼みホテルの前までバスを付けてもらい多少多め(といっても$2程度の上乗せですが)のチップを払い、ありがとうといってホテルの中に入り、20代初頭と思われる黒人男性の座るカウンターでチェックインを済ませ、自分の部屋に入りました。部屋の中は少し広めのキッチン、ダイニングテーブルに冷蔵庫があり、「ホテル」というよりはちょっとこぎれいなアパートという印象を受けました。流石にその日は疲れていたのでシャワーを浴びてそのままベッドに入りぐっすりと眠ってしまいました。時差のためか身体と精神の緊張がほぐれていなかったのか、それでも早朝5時に目を覚ましてしまい、部屋にあった珈琲メーカーをセットしてもういちどシャワーを
浴びました。シャワーから出る頃には白んで居た空も青みを少し増していて、珈琲に口をつけながらTVのリモコンで少し遊んでいました。身支度をし、バスが出発するまではあと数時間あったので9時を過ぎた頃にチェックアウトし、これからにぎわいを見せる街の人込みの中に消えていきました。
つづく
| Home | Contents | Next | Back |