イレッサ悪魔の薬


  

 

 

 


イレッサはよく効く薬です。もう一月くらいしかもたないだろうという、大きな肺のガンが、一年後少し縮小して生存されているのを見たときはびっくりしたものです。

一方肺線維症の副作用もあり、この副作用に有効な対処法がほとんどありません。このため、副作用の死者も100人を超えています。

死者が出るのは許されざることです。マスコミはこの死者が気に食いません。追求のためにイレッサ取材班を朝日新聞は結成しました。

 結果が重大だから「原因があるはずであり、責任を追及するのがマスコミの使命である。」からです。黒白の決着をはっきりつけるのが、マスコミのありがたいところです。できれば、こんな恐ろしい薬は、販売中止に追い込んでやりたいものです。販売中止に追い込めば、これ以上の副作用死を防げるわけで、「死の被害を防いだ英雄」にマスコミはなれるというものです。

さて、イレッサに関係するのは患者・医師・製薬会社・認可した役所しかありません。この中に副作用死の犯人がいるはずです。

患者はいつも「かわいそうで善良な被害者」だから、攻撃対象にしてはいけません。そんなことをすれば、売上が減少するからです。
(患者に大きな責任があることもあるのですが・・・。タバコをやめずに肺気腫を楽にせよ、肺がんを治せ、心筋梗塞を治せといわれてもねえ・・・。食べたいだけ食べて、太った上に糖尿病を治せと言われてもねえ・・・。)

「こんなひどい薬を販売するのが悪いのだ。」とまず考えます。認可した役所がいけないと責任追及の取材に厚生労働省へ押しかけます。

のらりくらいとかわされます。

医師を取材してみます。

医師は効果を評価していますから、あまり悪い話が出てきません。逆に効果の大きさを聞かされます。そして、副作用を予測する方法がないと説明されます。

しかし、怒りは収まらないので、副作用情報の流し方が悪いとか、申請の手続きのごたごたなどを取り上げて、朝日では今度は第一面トップの大きな記事で、製薬会社を攻撃してみます。しかし、違法でも無いようなので、大きな声にはなりません。

さて、薬品会社を袋叩きにする計画はうまくいかないのですが、ますます、怒りが込み上げるので、攻撃の心理エネルギーは高まります。何せ、死者が出ているのだから犯人がいるはずです。製薬企業がだめなら、次は医者が悪いに決まっています。他のマスコミも大きく取り上げるのです。

医師もはじめての経験ですから、副作用の説明や使用方法に混乱があったのは事実です。医師が悪いのは当然の結論です。しかし、医師からぜひとも必要な薬だとも聞かされています。こうなれば、「一部の馬鹿な医師の使い方が悪いから死者が出る。」のです。一部の医師を攻撃しなくてはなりません。帝国の大統領のように、マスコミは言論世界の警察官のつもりで、自身はいつも正義の味方で他者を攻撃しなくてはいけません。自画像の醜さに気づいていないのも似ています。

「悪い医者」と「よい医者」を区別し、悪い医者を攻撃しなくてはなりません。黒白をつける必要があります。副作用を出しても、死なせない医師は、すぐに対応できる設備の整った立派な病院にいる医師のはずです。

「設備の整った大きな病院しか使うな。」ということです。

しかし、むしろ大病院で副作用で死んでいますから、大病院にも藪医者がいるように思われます。「大病院でも専門家しか使うな。」という結論になります。「専門医しか使用しないよう、薬に規制を設けろ。」という結論になります。低能力・藪の河合 医院などに使わせなくできます。これで、低能力の一般医を攻撃できました。マスコミの勝利なのでしょう。どうせ、医師や製薬会社は金儲けしか考えない、「悪の枢軸」としか考えられないからです。

イレッサはガン遺伝子の詳細な研究から生まれた、画期的な薬です。 上皮成長因子受容体(EGFレセプター、EGFR)のチロシンキナーゼの阻害薬です。 一部のガンは、自身の成長因子受容体を過剰に発現しており、レセプターに因子を多く結合・作用させ自分を成長・腫大・分裂させているのです。このレセプターを阻害するのがイレッサです。

レセプターの過剰発現は半数程度と考えられており、逆にいえば半数には効かない可能性が大きくなります。といっても、実際の病気では、理論的には効きにくい筈でも、案外効果のあることもあり、使ってみないと解らないことも多いものです。理屈上は癌の成長を止めるだけと思われましたが、ほぼ完全に癌が消えることもあり、メカニズムはまだまだ不明の点があります。

今までの薬は、分裂しているほとんどの細胞に無差別に作用し殺すのが多かったのです。このため、分裂が盛んな赤血球や白血球が殺され、白血球の減少から感染症が起こるという副作用が多く、感染防御が大変でした。ばい菌の少ない環境に隔離して治療するのが通例です。貧血も問題です。

ところが、白血球は上皮ではありません。白血球にはEGFRはほとんどありませんから、イレッサは白血球を減らすことがまずありません。さらに、点滴の必要もなく錠剤です。一日一度食後に飲むだけでよいのです。胃酸がないと溶けないので食後なのです。隔離して入院する必要が少ないのです。

一方、肺線維症を早期に検出する方法はCTくらいしかありません。簡便には胸のレントゲンをとればいいのです。CTは月一度位なら問題はないとしても、毎週撮れるようなものでもありません。費用・被爆に問題が出てきます。CTなど、予約して月一度病院に行けば済むものです。

大病院の専門医に入院の上使えと、ご親切にマスコミは主張してくれます。しかし、極端な言い方をすれば、一日一度の錠剤を服用し、週一度の血液検査と2週に一度レントゲンを撮ることしかないのに、そのために入院・隔離をせよとマスコミはいっているのです。

マスコミは怒りのためにいろいろと規制せよとしばしば主張します。しかし、その思い付きには規制による患者の迷惑という視点はまったく欠けています。現実の治療、患者を知りもしないで感情で規制を論じても、迷惑するのは患者さんです。目の前の現象のみにとらわれ、軽々しく行動し、全体での位置付けをいつも間違うからです。

知性のない者の思いつく対策は、規制やガイドラインの策定くらいしかありません。学問の進歩により、薬や治療法の位置付けは常に流動的です。規制やガイドラインはできたとたん古くなるものです。ある時点の最良法が、すぐに陳腐化するのです。新薬ならなおさらです。

何でも規制すれば解決すると思うのでしょうか。あほな言論で(自殺・インフルエンザ等)命や人権侵害が出ても、自分たちの言論は無制限に尊重せよ、しかし医師はけしからんから規制せよと都合の良いことばかり主張するのはマスコミです。役人の主張に限りなく近いものです。自分の権益は守るが、他者を尊重しないのがマスコミです。

病院と協力のもと、かなり高度な医療も在宅に移していく。それが、患者さんの生活の質を高めるというのが、世界の趨勢です。病院へ不必要な隔離はできるだけ避けるのが趨勢なのですが、医師や製薬会社が憎いマスコミには通用しません。

毒にも薬にもならないとは、役に立たない人やものに使う表現です。 話は飛びますが、イラクや北朝鮮関連の毒ガスで、マスタードガスが時折報道されます。第二次世界大戦で使われました。被害者には白血球減少が見られます。ここで、医者は考えました、「白血球が減るのなら、白血病の治療に使えるのではないか」。そして、戦後にアメリカでマスタードガスそのものを白血病の治療に使用しだしたのです。日本には入っていませんが、誘導体が医薬品で存在するのです。

マスコミはなんでも白と黒にしなければ気がすみません。

毒を利用して有用なものに変える。毒の良い使い方を見出すのこそ、理性であり知恵なのですが、マスコミは、少しでも欠点があれば全面排除でなければ気がすみません。

マスタードガスは悪魔の殺人ガスなのか、白血病治療に新たな地平を切り開いた画期的な化合物だったのか・・・。どちらも真なのです。白黒などつけられないことがほとんどなのですが、マスコミには通用しません。

大きな手術や大胆な治療は、先人の失敗・反省・犠牲の上に成立することも多いのです。リスクなしで、リターンだけ求めることは不可能のないものねだりです。もちろん、リターンとリスクを天秤にかけての話です。治療経験でリスクは徐々に下がっていくのが通例です。習熟曲線という概念です。

さて、朝日新聞イレッサ取材班の「悪魔の薬」キャンペーンはある程度成功しました。もう少しで、イレッサなど廃止・放逐できそうでした。

インフルエンザのときと同じように成功するはずでした。医師が(河合 医院を含む)ワクチン廃止に反対しても、無視でした。どうせ、医者など製薬企業とぐるの悪徳に決まっているから、無視すればよいのです。

インフルエンザ予防接種を廃止に追い込んだのと同じ構図です。肺癌やインフルエンザ脳症で死ぬのは知ったことではありません。「自然な死」だからです。一方、副作用死は許されざる死であり、悪です。すぐさま根絶すべきものです。悪と善・白と黒で割り切らないと気がすみません。

「死」にも、受容しなければならないものと、絶対存在してはいけない「死」と、区別があるのです。 「自然な死」は、苦しくても痛くても、子供でさえ受容しなくてはならない義務なのです。受容すべき死と、存在していけない死とは、マスコミが決定するのです。予防接種や抗がん剤で死に抵抗するのは自然に逆らうことであり、それらに関する死は絶対悪なのです。「死」には祝福されるべきものと、のろわれるべきものがあるのです。

ガンや脳症の病気で死ぬことは、自然なことだから回りの家族も悲しんではいけません。自然に死ねたことを死者とともに感謝しなくてはならないようです。マスコミにとっては。

副作用のある薬など根絶せねばなりません。リスクのある治療法や予防法など、患者に選ばせてはいけないのです。リスクの科学的評価より、マスコミの思いつきや感情論のほうが大切というものです。医師や学会に任せてはいけません。医者と製薬会社の悪の陰謀に決まっているからです。

ただひとつ彼らに誤算だったのは、イレッサがないと死んでしまうと患者さんからの猛反発でした。深刻な投書が殺到したのです。朝日のイレッサ取材班など、3月20日(だったと思う)付けで、一転如何にイレッサが優秀な薬かと、大きな記事を載せざるを得なくなりました。(ただし目立たないようにまん中の記事で。一面に載せてはいけません。失敗は隠しましょう。)知恵のない取材・憎悪や感情が先立つ意見偏見。これらがもたらした、被害はいつも甚大です。あの報道は、その結果が招いた、なれのはての記事だったのです。いつものことですが・・・。

インフルエンザワクチン廃止のときに、このような強力な援護射撃があったなら、お年よりの死や子供のインフルエンザ脳症の死はずっと少なかったのですが・・・。朝日の連続自殺報道を徹底的にたたいているのも同じ理由です。生命にかかわる知性の欠如を、「善意でやったこと」で済ませるわけにはいきません。

予測も載せておきましょう。 抗がん剤はいつ中止するか問題です。だらだら投与すれば副作用が増えます。かといって、レントゲンで消えたから完全に治ったともいえません。ガンの部分を切り取ってきて、顕微鏡で見るしか判定できませんが、人体実験はできません。結局、患者さんを振り分けて、統計を取るしかありませんが、結果が判明するまでに、多くの混乱・間違いがあるでしょう。誤解・偏見から患者さんやマスコミから非難を受けるかもしれません。医師やイレッサはまた攻撃されるでしょう。

単純明快な発想・善と悪の明快な区別・解りやすいレッテル張り・それに基づく犯人探し・悪に懲罰を与える。これらの発想には、知性のかけらも見られません。どこかの独裁者・帝国の大統領に似ています。これらは、相手を悪として断罪・排除する思想で、対立・憎悪を生み出します。戦争へのもっとも近道です。

攻撃チームを(イレッサ報道班)結成配置します。配置した以上国や(新聞)会社は成果を求めます。成果がないと存在意義がなくなるからです。攻撃(戦争)をはじめないで済ますわけにはいかなくなります。攻撃が至上命題であり、物事を多面的に検討したり、他の方法を取れなくなるのです。最初に結論があり、理屈はあとでつけて攻撃するのです。知性の欠如したものに共通した反応・行動です。自身の愚行は見えなくなり、他者は敵か味方かしかなくなるのです。理性は後退するのです。

自身の過ちは反省せず、「社会正義」を振り回し、単純に他を悪と断罪し、「正義の味方」を自認するうさんくささも似ています。

2003.4.1
http://geocities.datacellar.net/kawaiclinic/
〒6050842 京都市東山区六波羅三盛町170 
河合 医院

初級システムアドミニストレーター 河合 尚樹

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PS
2003年5月6日、イレッサはアメリカで承認されました。アメリカの期待は大きいようです。現時点の話ですが。 理屈上は胃がんや大腸がんに良く効くはずです。適応は拡大されるでしょう。

「話せばわかるなんて、大嘘」です。ほとんどの医師は、「マスコミとは話が通じない。」「科学的論理的な説得が効かない。」と感じています。(a=0)

自分たちに都合の良い情報だけを集め、禁止だの規制だの非科学的で思考停止の「対策」を叫ぶ。 まるで、別世界に住んでいるようです。巨大な壁が立ちはだかっていて、超えることができないと感じています。
これこそが、養老 孟司のいう壁なのです。

関連項目 朝日新聞がイレッサ報道で一年間に奪う命。

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