問題となっているのはゾーニングの緩和ですが,緩和そのものに関する生理的な拒否 反応は市民の間にありません。計画の主旨(人口増への対応)と方向性(高密度ゾーニ ングの必要性)に関しては基本的な合意ができているようです。問題は「どこを」「ど のように」ゾーニング変更するかです。
計画局の職員は恐らくこの混乱を苦々しく思っていることでしょうが,調停に乗り出 したHales議員は,(少なくとも建て前では)この混乱を市民理解の良い機会とすら考 えているふしがあります。
前述の市民の要求項目のうち,4番は単にプロセスの問題です。1番と3番は計画局 の努力次第で改善できる問題です。また2番は効率性と公平性のどちらを優先させるか という価値観の問題で,これも話し合いで解決する問題です。
このようにいずれの問題についても,計画局と市民が互いに胸を開いて話し合うこと で合意形成は可能であり,今後計画局が信頼を取り戻すまでの間しばらくの混乱は予想 されるものの,最終的には落ちつくところに落ちつくものと思われます。計画局の信頼 さえ回復すれば,あとは手間(計画期間の延長)とお金(予算の増額)の問題だからで す。
これはあくまで私の個人的な意見ですが,ポートランド市の市民参加は現在後退期に あるようです。
市は,1980年総合計画,1988年都心計画,1993年アルバイナ・コミュニティ計画と, さまざまな市民参加手法を取り入れた画期的な計画づくりを立て続けに行ってきまし た。これらは数々の賞を受賞し,全米で注目を集めました。現在のポートランド市の名 声は,この3つの計画で確立されたといって良いでしょう。
しかしながら,その後1994年に定められた「コミュニティ&近隣計画プログラム」で は,これらに較べると市民参加の密度が相対的に縮小されています。具体的には,本来 市民参加プログラムの内容について計画局に諮問する役割の「市民勧告委員会」を,計 画そのものの内容を議論する場として代用し,こちらにばかりエネルギーを注ぐ一方 で,ワークショップや広報など一般市民への市民参加努力を怠っているきらいがありま す。
計画局内で市民参加のノウハウが蓄積されるにしたがって,プランナーの間にも
新しい手法を開拓する熱意が失われ,ありあわせの市民参加で間に合わせようと
するようになる。
1970年代や80年代の計画づくりがブームだったころに較べると,市民の間でも計
画づくりへの参加の意欲が低下している。
市の総合計画やメトロの広域計画など既存の計画が充実するにつれ,新たな計画
づくりがさまざまな制約を受け,また計画の果たす意義も薄まっている。
まず,先述のようにSWには金持ち層が多く,住環境の保全に関心が高いため,ゾー ニングの緩和には特に神経質になるという点です。金持ち層は自由に使える時間も多い ですから,ワークショップなどにも頻繁に参加することができます。
また第二点として,SWには弁護士やプランナーなどの専門職・インテリ層も多く, 彼らは議論のテクニックに長けていることから,計画局のドラフトの弱点をうまく指摘 することができたという点も大きいと思われます。
また第三点として,たまたまSWCPとメトロ広域政府の成長管理計画の策定期間が 重複し,SWCPのプロセスのさなかにポートランド市の将来の人口増加の数値目標が 決められてしまった点が挙げられます。その結果,計画局としてはSWCPのアウトプ ットをその目標に合致させる必要に急に迫られ,十分な市民への説明を行わないまま慌 てて大幅なゾーニングの緩和を提案してしまったというわけです。
以上が私なりの印象です。さて,最後のページでは, 観察を通して感じた,日本の状況との違いについて書いてみたいと思います。