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プロローグ



それは大学三年生の夏休みだった。その年の3月にヨーロッパ周遊一ヶ月の 旅行をしたばかりだった私は、海外自由旅行が病みつきになってしまい、 次はどこへゆこうかと、地図帳と預金通帳と毎日にらめっこになっていた。 中国にでかけることに決めたのは、財布の事情が7割、ヨーロッパの次は 身近なアジアにゆきたいとの気持ちが3割である。 ヨーロッパ周遊は1ヶ月で40万近くかかったにも関わらず、 中国の場合、試算によれば40日行ったとしても、 どうしても20万以下にしかならないのだ。

出発を決めたのはもう6月の終わりで、あまり悠長にしてられない。 「地球の歩き方」によれば、中国のビザを個人で取るのは面倒とのこと だったので、大学生協トラベルセンターに出かけて、簡単なパックツアーを 申し込むことにした。 これは、ビザ申請手数料と往復の交通機関(上海行きの鑑真号というフェリー)、 それに最初の一泊のホテル代のみ含まれる、自由旅行者向けの パックツアーである。

中国国内でどこを周遊するかは、鑑真号の船の中で決めればいいや、と たかをくくっていたが、候補としては、井上靖の「敦煌」や「西域物語」 に出てくる西域の荒涼としたイメージが好きだったので、 西へ西へと進んでシルクロードの果てまで行ってやろうというのが一つ、 高校時代に吉川英治の「三国志」を愛読して地図帳を広げた覚えがあるので、 赤壁や五丈原など三国志ゆかりの地を訪ねて歩くというのが一つあった。

しかし、さてどうしようかと地図帳を広げて中国大陸を見たときに、 どうしても目にはいるのは茶色に塗られた左半分の部分で、 「タクラマカン」だの「クチャ」だの「コルラ」だのといった エキゾチックな地名が気になって仕方なかったので、 内心ではもう、シルクロードに行くことに決めていた。

そんなこんなで、出発の7月28日の朝を迎える。


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