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September 2001

Last Update : 9/20/2001



悲しみと怒りの New York
9/20/2001
事件が起きた9月11日から、初めてカメラを持って Manhattan を訪れた。

道に置かれたアメリカ国旗のモチーフ。星1つはアメリカが今一つになっていることの象徴か。



先日の事件以来、目に見えるところでは少しずつもとの暮らしに戻りつつある。
ほとんどの地下鉄は開通したし、Manhattan につながるトンネルや橋も一部を除いて開通した。
全米の空港が封鎖されるという事態からも脱し、Manhattan からも沢山の飛行機が上空に見られるようなった。

けれども World Trade Center の現場はまだ傷跡をそのまま残したままだし、一番大きな傷を市民に残している。
今 New York で見られるこの風景、面白半分と取られてしまうかもしれないが、やはり記録に残す必要があるのかなと一人で勝手に納得して街を歩いて写真を撮って来た。悲しみと怒り、アメリカは今、この二つの感情に揺れているように思える。

今回はスペースの都合で、以下のリンク先に New York Watch を載せました。

World Trade Center - R.I.P ← クリック



・・・・・
9/14/2001
New York Watch でこんなことを紹介することになるとは想像だにしていなかった。
不思議なことに、テロに対する怒りはまだ無く、今はまだ悲しい気持ちと動揺が大半を占めている・・・

それまであったツインタワーの変わりに今は煙しか見えない。自宅から。



今回ほど出だしから何を書こうか悩んだことはなかった。タイトルもなかなか決められない。結局決められなかった。
New York Watch なんだから何か書かなきゃという気持ちとはうら腹に、何を書けばいいだろうかという気持ちもあってタイプしては消して、タイプしては消しての繰り返しだった。

この日、いつものように8:40AMぐらいまで、家にいてメールの確認をしたりニュースサイトをブラウズしていた。テレビもいつもの習慣でながらをしていたのだが、この時点では「Manhattanではカソリック系の学校の先生がストライキをしています」といったニュースのほか、平和な街の様子を写していた。
駐車場から車を出して、ラジオを聞いていると、突然そのステーションからの音楽がとだえた。音楽の繰り返しがあったりすることはあっても無音になることは珍しいので、最初はラジオが壊れたのかと思い、他のステーションに変えてみたのだが、音楽を鳴らしているところと、やはり無音のところがあった。そのときはそれほど気にせず友達の家に向かったのだが、後から思えば、このときが World Trade Center ( WTC ) に飛行機が突っ込んだ瞬間だったのだろう。ツインタワーの上にはテレビやラジオ局が使用しているアンテナがあるのだ。

そのあと友達の車に乗り換えて ( カープールで出勤している )、早速ラジオをつけるとやはり同じ現象。音楽が鳴っているステーションを聞いているのもつかの間、すぐに臨時ニュースが流れて、事件を知った。
このとき実はラガーディア空港のすぐ横を通っていたのだが、反対側の車線をパトカーと救急車、それに消防車が10台以上ものすごいスピードで疾走していったのが見えた。普通の火事なんかとは違う迫力に身の毛がよだった。緊急車両を見かけたのはそれがきっかけで、この日はこのあとずっと Manhatatn に向かってすっ飛んでいく車で一杯だった。

事件の大きさに友達と「このまま帰ろうか」なんて話していたのだが、とりあえず出発してしまったし、反対車線 ( Manhattan への上り車線 ) は緊急車両用を除いて完全に渋滞になってしまっている。僕らは下りの車線にいたのだが、やはりラジオを聞きながら運転していたり、あわてて携帯電話を片手に運転している人たちもいて、スピードは遅く、オフィスについたのはいつもより30分以上も経ってからだった。
実は車の中にいたときに、すでに沢山のメールが日本から届いていた。携帯電話はアメリカのものなので日本語は読めないがメールアドレスから日本からの友人のものだとすぐに分かった。アメリカ東海岸ではほとんどの人が出勤済みか出勤途中でテレビから離れたところにいる一方、日本では皆がニュースをライブで見られる状況にあって、アクセスが早かったのだろう。

会社に着くとやはり雰囲気は騒然としていて、同僚の顔は皆青ざめていた。荷物を自分の席に置くと、すぐに皆のいるカフェテリアまでテレビを見に行った。カフェテリアにある全てのモニターが CNN にチャンネルを合わされ ( そうしないと音声が混じって聞きにくいからだと思う )、旅客機が WTCに飛び込む様子、それにビルが倒壊する映像を生々しく放映していた。着いて5分もしないうちに、「今日は帰宅してよい」という指示が出回り、皆自分のメールのチェックすらすることなく荷物を慌ててまとめて駐車場に向かったのだ。こんなことがあったので、日本からの問い合わせがあったのにもかかわらず、連絡が遅れてしまったのだ。

帰りの車の中で、WTC 近くで働く友人に携帯電話から連絡を取ろうとしたが、「全ての回線が不通です。しばらく経ってから掛けなおしてください」というメッセージしか返ってこず、イライラした。
やっと通じたのは事件の発生から数時間後で、それも電話口で「もしもし」という一言だけだった。すぐに回線は切れてしまい、またしても不通に。先のメッセージは「現在緊急事態のため、プライオリティの高い通話のみが利用できます」と変わっていた。

会社からの高速道路も途中から完全に封鎖され、緊急車両専用に変わっていた。警察、消防、そして怪我人を乗せていると思われる救急車が各地の病院に向かっていた。午前11時に会社を出てうちに着いたのは午後3字近く。その間見かける人の様子は、表情から笑いが消え、公衆電話には人が群がり、かかにくくなっている携帯電話で一生懸命電話をかけようとしている人たちの姿だった。僕の住んでいる Queens ですらこんな様子だったのだから、まして Manhattan はもっと騒然としていたことだろう。
このとき気がついたのだが、道には人があふれていた。郊外だと車で移動する人が多く、Manhattan や東京の様に道路の両脇を人がぞろぞろ歩く姿は珍しいのだ。すでにこのときは地下鉄やバスのサービスが停止し、Manhattan との橋やトンネルも全て封鎖されていたため、Manhattan で働いていた人たちは歩いて橋を渡り、自分の家まで徒歩で帰ってきていたのだった。歩いている人だけではなく、車はあちこちで渋滞が起きていて全く動かない。信号が青になっても前がうごかず、そうしているうちに赤になり、そこに横からの車が飛び出してきて、もう誰も動けない・・・こんな光景があちこちで見られた。

帰宅して、バルコニーに出てみると、やはり WTC の煙が雲ひとつない NY の大空に不気味なほどたちのぼっている。そこにはこれまでツインの高層ビルがあったはずなのに、今は煙だけを吐き出していた。

これ以上のことは日本でもリアルな映像が流れていると思うので、あまり書くこともない。逆にいろいろと書くことが多すぎて、書けないのが本当のところだ。思いつくことを少し箇条書きにしてみる。



事件の直後から国内の空港は全て封鎖された。国際便も全て米国外に強制着陸させられている。知人友人が日本からアメリカ経由で南米などに旅行しているが、アメリカ国内を経由する便なので、先行きが読めなくなっている。
アルゼンチン旅行中の友達もうちに電話してきて明日空港に直接行って尋ねると言っていた。
一旦封鎖された空港も、13日の午後、JFK 空港で不審者が逮捕されたことを受けて、直ちに NY にある3つの空港が最封鎖された。


友達の多くには1日以内に連絡が取れた。中にはすぐ近くのビルで勤務していて、旅客機が開けた WTC の穴がすぐ近くで見られるくらい近く、逆に避難しようにも煙がすごくてビルが出られなかった、という友達もいた。
またやはり現場近くにいて、WTC から人が飛び降りるのを目の当たりにしてしまった友達も。WTC の目の前にあるデパート、Century 21 で働いていた友達は、デパート自体がダメージを受けているので無期自宅待機になったといっていた。
会えば皆それぞれが見たり経験した恐ろしい風景を真剣な顔で話し、落ち着いてきてやっと初めてお互いの無事を確認すると言った風だ。僕は全く離れたところにいたけど、すぐそばにいて命からがら、灰にまみれて脱出した友人達はしばらくこのショック状態が続くだろう。汚れや擦り傷はすぐに消えてなくなるけど、皆が負った心の傷はなかなか癒えないに違いない。


オフィスビルや公共機関など普段からアメリカの国旗をかざしているのだが、当然翌日は半旗がのぼっていた。ところが国旗はそれだけではなく、各家や車に取り付けられ始めた。おそらく国一丸となってこの問題に対処していこうという人たちの意思を表しているのだろう。国旗はそれだけではなく、高速道路にかかる歩道橋や、通常の橋にも大きな物が取り付けられているのを見かけた。


New York Brood Center や Red Cross が献血の窓口になっているが、New York Blood Center で働いている友達からも連絡があって、まずお互いの無事を確認したあと、仕事がものすごく忙しくなっている話を聞いた。加えて、今日は日本の TBS が取材に来たとかで、インタビューを受けたそうだ ( 少しずつ日本語をおしえてあげていたので、質問に取材陣に日本語で返したらびっくりしていたそうだ。何で日本語を知っているのかと聞かれて僕の名前をあげたらしいけど、もちろん放送にはその辺はカットされるだろうな )。
現在輸血に必要な血液は十分に集まったとの報道がなされている ( O型RH-だけは足りないそうだが )。現在消防や軍隊による救助作業が進められているので、ボランティアも特に必要ないそうだが、何かできることはないかと考えて寄付をすることにした。おそらく日本でも紹介されていると思うが、www.amazon.comwww.yahoo.com 経由で Red Cross に寄付ができるようになっている。


街の様子は様々で日常に早くも戻った節もあるが、人々に笑いは少なく、きっと現場に行けばそこかしこに事件の悲惨さを物が足たる景色が見られるだろう。
テレビでは続けて事故発生の様子を繰り返し流し、現在はライブで必死の救助作業の様子を伝えている。行方不明者の家族は本人の写真と体の特徴をつづった紙を用意していて、泣きながらインタビューに答えている。これだけ多くの事件なので怪我人は多数の病院に収容され、現在身元が分からない人も多い。
WTC から命からがら脱出して、助かっ手いるにも関わらず、体が恐怖に震えてインタビューを請けている男性、灰塵にまみれながらも、必死に救助活動している消防士、それも New York だけでなく、近隣の州から車で駆けつけているチームが多いことも知った。
そんな様子を見ていて僕は自分でかなり動揺しない人間 ( つまり冷たい ) と思っていたのに、たとえようのない無力感に襲われていることに気づく。
僕も救助活動が一段落して、一般人の訪問が許されるようになったら訪れて追悼してきたい。

まだまだ書きたいことはあるのだが、ここまで書いてきて、何を書いたらよいのか、また分からなくなってきた。考え始めたらこれまで書いた文章を全部消して、また一から書き直してしまいそうだ。でも書いている文章が混乱しているのも、自分の気持ちが一貫していない正直なところだ。今夜はこのままこれを残して、New York Watch にしておく。
街も人も僕も落ち着いたら、そのときはもう一度現場に出かけてその様子を見ながら見直してみたい。

携帯電話を含めて電話がほとんどかかりにくくなり、日本からの問い合わせもしにくくなっていた。また無用な電話のトラフィックを避けようとしてくれた友達もいて、その分皆メールや掲示板、それに ICQ などのインスタントメッセージで連絡を取ろうとしてくれた。身内が全くいない異国にあってとっても嬉しかった。

14日はアメリカ全体で追悼が行われることとなった。この事件で亡くなった方々への冥福をお祈りします。



Home Theater 計画その後
9/6/2001
先月分の更新で、Home Theater に興味を持って AV Receiver を買ったところまで紹介した。そのときは、買おうと思っていたスピーカーセットがちょうどその日店頭で売れたばかりで、持ち帰れなかったのだ。

写真1。webサイトに書かれている住所だとこの建物。でも営業しているっぽくない。
写真2。で同じブロックながら数軒となりに店舗があった
写真3。周辺のビル。古いながらも趣がある。

AV Receiver ( AV アンプのことをこっちではこう呼ぶ ) と6個のスピーカーセットを買って「いざホームシアターだ」と勢い込んで店まで行ったら、「あ、ちょうどそのスピーカー売れちゃったよ。在庫は無いから、取り寄せだね」と言われて、その日は AV Receiver だけ買って帰宅した、というところまで前回紹介した。

アンプだけあっても音の出口が無いので、しばらくは単に箱を展示しているだけかなぁと思っていたのだが、実はそれからそれほど間を空けること無く、入荷したよ、と店から連絡がはいった ( さすが商売上手なジューイッシュだ。アメリカの店でこまめに連絡くれるところなんて少ないぞ )。
で早速支払いと受け取りに行ってきたのだが、8月分最後の更新を、ちょうど同じ頃発生したイベント、ビーチバーベキューパーティの紹介に優先させたので、このトピックは今回にずれこんだのだ

前回も車で行っているので、今回も迷わずさくっと自分の車を運転していってきた。前回は Manhattan の中を通っていったのだが、Queens からだと Manhattan を通るより Brooklyn へ BQE ( フリーウェイ ) を通って、そのまま Williamsberg 橋を渡って Manhattan に入ったほうが早い。店も実はその橋のすぐそばにあるのだ。なのでうちから店まで20分足らずで着いてしまった。


前回紹介できなかった店の様子だが、今回はデジタルカメラも持って買い物に行ったので、ついでにその様子も紹介しよう。

写真1は最初に住所通りに訪ねた店舗。すぐ近くに China Town があるので漢字の看板も周辺に目に付く。住所は公式サイトに書かれているのだが実際にその住所に行ってみると扉は鍵がかかっていて、ガラス越しに中の様子をのぞいて見ると、何人かの人たちが電話の受け答えをしているだけのオフィスだと分かった。
でも住所は間違いなくここだし、と思って扉の呼び鈴を押すと中から人が出てきて応対してくれた。「 AV Receiver とスピーカーセットが欲しいんだけど」というと、実店舗はこの並びにあるから、と教えてくれたのだ。それが写真2のほうだ。
最初からなんとなく怪しい雰囲気を漂わせている店だが、安売りの店とは大体そんなもんだと、なんとなく自分自身を納得させながら入っていったのだ。
ここまでが前回の話で今回はすでに AV Receiver がちゃんと手に入っているのでそれほど心配することなく、直接店舗に入って行くと、前回対応してくれた Elliot 氏が僕の顔を見るや否や「ちゃんとそこにスピーカーセット、取っておいたよ」と言って床にある大きな箱を指差した。
そこにはすでにナイロンの紐でくくられて、取っ手までついていていつでも持ち帰れるようにしてあったスピーカーが置かれていた。
運転してきた車は店の表に停めてあるのだが、店のまん前はすでに付近の住民の人たちの乗用車が停まっていて、さらにその横に ( つまりニ重駐車 ) Fedex、UPS などの宅配業者のトラックが4台も停まっているので ( 写真5。UPS なんか2台も来ていた )、僕の車を停めるスペースなんかなく、僕も二重駐車してきたのだった。
なのでゆっくりしているわけにも行かず、クレジットカードで支払いを済ませて、荷物を車に詰め込んだ。

写真4。スピーカーセット NS-610 をクルマに積んだところ。
写真5。店の前には宅配業者のクルマが4台停まり、入荷と出荷が忙しそうだ。
写真6。道路の反対側にはNYに似つかわしくないほど真新しい陸上トラックとバスケットボールコートが。

写真4が車に詰め込んだときの様子だが、大きくないスピーカーセットでも中には6個も入っているので、意外に重く、かつかさばって、僕の SUV でも余裕、というほどではなかった。

家に着いて、早速箱から出して配線。ふむふむケーブル類は最初から全て同梱されている。なので特にアンプとスピーカをつなぐケーブルにおいては OK だったのだが、これまでテレビに直接つないでいたものをアンプ経由にしたので、いくつかビデオケーブルやオーディオケーブルが必要になった。加えて DVD とケーブルテレビボックスには Digital 端子がついているので、DVD 用に Optical Digital、ケーブルボックスには同軸のものをそれぞれ買うとよりよい音響環境になるということで、近くにある Bestbuy ストアにまた買い物。ここには後日スピーカーを適切な高さに置くためのスピーカースタンドまで買いに来てしまうことになるのだが・・・
ついでに Bestbuy では Hannibal DVD が発売記念セールになっていて、一枚$16。気がつくと各種ケーブルに混じって Hannibal も持ってキャッシャーの列に並んでいた ( 笑 )。

自宅に戻って結線作業に没頭。テレビの裏には DSL、ケーブルテレビのラインが来ていてそれに電源があるのでもう線はぐちゃぐちゃだが、いずれ ( たぶんしばらくはありえないことだが ) きれいにケーブルを束ねるつもりで、まずは音がなればいいやと手早く済ませた。
買ってきた DVD が DTS 対応なので、早速再生してみると最初の銃撃戦が前の左右と後ろの左右からもがんがんものすごい迫力で聞こえてくる。
月並みな表現だけど、これはテレビのスピーカーで聞いているのとは天と地ほど差がある。しばらくは DVD のはまりそうだ。 DTV ( デジタルケーブルテレビ ) の方もケーブルボックスからアンプにデジタルでつないだので、MTV2 などの音楽番組や HBO などの映画番組を見ると、これまた Dolby Digital でサラウンドしてくれる。うーんいい感じ。

ということで晴れてアンプとスピーカーがそろってちゃんと DVD が見られるようになりました。その間ただの箱として鎮座していた AV Receiver が恨めしかったことか。
でも AV Receiver とスピーカーセットを別々に購入したことのメリットも一つあった。
今月のクレジットカードの請求分をちょうどまたいだようで、後から買ったスピーカーセットは来月分に持ち越しになった。同時にやってきたら今月もまた赤字になっていたかもしれない。
でもこの後続けて新しいデジタルカメラを買おうと思っているので、財政が苦しいことには変わらないな。

しかもスピーカーを買ったら、今度は DVD が早速サポートしているんだから・・・とプログレッシブスキャン対応の大型テレビが欲しくなってきた・・・やばい


 

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