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旅するヒーロー
−サイバー・パンク、伝説の二人−
ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』には、二人の旅するヒーローが登場する。
一人はケイス。二十四歳の男性。
……二十二の頃は、カウボーイであり、やり手であり、《スプロール》でも一流だった。(中略)マトリックスと呼ばれる共感幻想の中に、肉体を離脱した意識を投じる特注電脳空間デッキに没入して(中略)活動していたものだ。
早い話が彼はハッカーだったのだ。マトリックスというのはインターネットの立体版の様なもので、世界中のコンピュータが接続されているため、『ニューロマンサー』の舞台となる近未来の高度な情報化社会では、データで作られたもう一つの世界のようになっている。ケイスは脳に電極を繋ぎ、そのもう一つの世界に意識を没入させ、雇い主から提供されたソフトウェアを使って企業情報を盗む仕事をしていた。ところが、彼は雇い主から盗むという古典的な過ちを犯したため、神経系に損傷を与えられ、二度と仕事ができないようにされてしまった。
……これは楽園放逐だった。それまで(中略)ゆったりと肉体を見下す風があった。体など人肉なのだ。ケイスは、おのれの肉体という牢獄に堕ちたのだ。
もう一人はモリイ。女性。殺し屋で、用心棒。肉体に改造手術を施している。
……グラスは外科手術で埋めこみになっており、眼窩を覆っている。銀色のレンズは、頬骨のすぐ上で、色白のなめらかな肌から生えたように見え、荒っぽく刈りこまれた黒髪がそのまわりに垂れ下がる。短針銃を包み込む指はほっそりと白く、指先は赤紫色。その爪も人工もののようだ。(中略)やっと聞こえる程度の音とともに、両刃の四センチばかりの薄刃が十本、赤紫色の爪の下の格納部から飛び出した。
この二人にとって、旅は違った意味を持つ。
ケイスにとっては、実際の肉体よりも電脳空間での意識、虚構の世界での幻想の肉体の方が重要である。彼が旅するのは実際の世界ではなく、幻想の「マトリックス」の中である。しかし、彼は神経系に損傷を与えられ、旅ができなくなった。そこで彼は仕方無く、肉体の旅を始める。住み慣れた故郷である《スプロール》を離れ、医療技術を探して先端技術のメッカ、「千葉市(チバ・シティ)」へと旅する。
モリイは流離の仕事人である。彼女にとっては肉体が全てである。ギブスンのその他の作品(『記憶屋ジョニイ』、『モナリザ・オーヴァドライヴ』)にも流離の身として登場する。彼女の旅は人的ネットワークの旅である。この旅のために彼女は裏の世界の符牒にも通じている。
……モリイの両手が、流れるようにこみいった手真似をやってのけ、(中略)ドアが内側に開き……
二人の全く違った旅の軌跡が交錯するところに魅力が生まれる。肉体と精神という不即不離の物のどちらを優先するか。二人の価値観は全く異なる。
ケイスにとって肉体の旅は必ず元に戻る旅である。彼の心理描写のなかには「故郷」という言葉が現われる。流離の身には「故郷」はあるが、それは帰るものではない。しかし、ケイスは常に故郷へ帰るベクトルを持ちながら行動する。
故郷。
故郷はBAMA、《スプロール》、ボストン=アトランタ=メトロポリタン軸帯。
そして、彼にとって「故郷」とは旅する土地の電脳空間でもある。神経系の治療を終えたケイスは再びマトリックスの中に意識を投じる。
そして溢れ開いてケイスを迎え入れる。(中略)広がるは、距離のないケイスの故郷、ケイスの地、無限に延びる透明立体チェスボード。(中略)遠くの指がデッキ(注:コンピュータ)をいとおしみ、開放感の涙が頬をつたっている。
ケイスは肉体を離れて電脳空間に旅をする。だが、結局戻ってくるのは肉体である。彼は電脳空間を「故郷」と呼ぶ。流浪の者が、この世界全てが「故郷」だと言うようである。彼にとっての「故郷」は肉体である。彼は肉体という名の「故郷」を嫌うが、彼に内在するベクトルは「故郷」を指している。ケイスはいかに抗らうとも「故郷」にたどりつく。肉体的に彼は旅する者ではない。彼が旅するヒーローになるのは精神的な面だけである。電脳空間は彼の精神的な旅に視覚的効果を与え、彼をヒーローにする。
モリイにとっての旅は肉体の旅である。しかも、改造を施された彼女の肉体は、生身の肉体という「故郷」を離れた旅する肉体である。一度改造を施された肉体はもう元には戻れない。彼女は「故郷」から離れるベクトルを持たざるをえない。しかし、彼女は精神的な「故郷」を発見する。それはケイスである。
「ねえ、ケイス(中略)前に、男の子がいたんだ。あんた見てると思い出すんだけど(中略)ジョニイって名前だった」
ジョニイは短編『記憶屋ジョニイ』に登場する。そこでモリイはジョニイを助け、二人で暮らすことになる。モリイが若い頃の話だ。しかし、裏切った「ヤクザ」にジョニイが殺されたことがここで語られる。彼女にとっての精神的な「故郷」はジョニイである。そして「故郷」から離れるベクトルはここでも彼女の上に働いている。
仕事が始まる。ケイスがモリイの肉体に取りつけた発信機をとおして彼女と感覚を共有することによって、二人は共同して仕事にあたる。精神と肉体、二人のヒーローが合わさる。終盤、ケイスはモリイの視神経をとおして自らを見る。
と、モリイの無事な片眼を通して見下ろしたのは、蒼白な顔で痩せ細った姿。太腿の間に電脳空間デッキを据えて胎児めいた姿勢で漂い、閉じて影になった眼もとの上に銀色の電極のバンドを巻いている。男の、こけた頬には一日分の不精鬚が黒々と伸び、顔は汗でぬめっている。
自分自身の姿を見ているのだ。
この描写は衝撃的である。精神的な旅するヒーローであるケイスの肉体的なアンチ・ヒーロー性がまざまざと見せつけられる。
旅に対する二人の異なったベクトルは交差はするが、一緒になることはない。精神と肉体という根本的な差異が二人を引き離す。
やあ、悪かないんだけど、勘が鈍ってきた。料金はもう払ってある。あたしはこういうふうにできてるんだろうね。命には気をつけんだよ。××× モリイ
去るのはモリイである。ある意味で彼女は古典的な旅するヒーローの枠に嵌まった人物である。肉体的な改造という未来的な設定の上で成り立ってはいるが、根本的には佼客であり、旧来の大衆小説の域を脱していない。しかし、この物語のもう一人のヒーロー、ケイスは旧来の旅するヒーローとは異質の存在である。電子的に存在するパラレルワールドを旅するヒーロー。彼の旅の前では、時間旅行や宇宙旅行さえも古臭く、色褪せて見える。肉体の呪縛から脱してはいないからだ。しかし、ケイスは、ただ肉体から離れるだけで精神的なヒーローとなったのではない。余りにも崇高過ぎる人物はヒーローとしての厚みを欠く。旧来の肉体的ヒーローならば、肉体の持つ消し去ることの出来ない、ある種の泥臭さがヒーローに厚みを与えていた。しかし、精神はそのまま取り出しただけでは、無味無臭で魅力に欠ける。ケイスの精神は病んでいる。電脳空間に没頭するという行為自体が歪んだ精神構造を表している。マトリックスの描写も、どこか麻薬中毒的な頽廃的な色を帯びている。従来の肉体的なヒーローならば、こんな事は許されなかっただろう。タフな肉体、人より優れた技能がヒーローの条件だったからだ。しかし、ケイスは違う。タフな精神、人より優れた精神構造では、ただ泥臭さを失った聖人の話になってしまう。彼は従来のヒーローのパラダイムを崩した。精神的な歪みが、彼のヒーロー性を支えている。
後に「サイバーパンク」と呼ばれる一連の物語群の先駆けとなった、この物語が生まれたのは一九八四年である。今ではインターネットなどが当たり前のようになっているが、当時はまだ文字だけのパソコン通信が目新しかった時代である。一般にこのような空想科学小説は現在の技術の先を描く。ジュール・ヴェルヌの月世界旅行は、アポロの月面着陸のほぼ百年前に著された。現在の技術発展のスピードが速くなってきたのは事実である。一九八四年当時は目新しかったこの物語のガジェットも、一九九六年現在ではそれほど意外な物でもなくなっている。しかし、この物語には魅力がある。目新しさの魅力ではない。空想科学小説の中には、目新しさを取れば魅力が無くなってしまうものもある。だが、この作品が目新しさを奪い取られてもなお、魅力を放っているのは、やはり登場人物の生きざまに魅力があるからだろう。従来の肉体的なパラダイムに生きるモリイと、精神的な新しいパラダイムに生きるケイスの、異なった「旅」。そしてこの相剋するパラダイムに魅力が生じるのは、肉体と精神という哲学的にも人間の関心の中心となっている事柄に絡んでいるからである。
ケイスとモリイの分身のような人物たちが「サイバーパンク」の中にはしばしば登場する。これは、この二人の持つ魅力が先に述べたように人間の根本的な関心と結びついたところにあったからである。「サイバーパンク」の中では彼らは伝説のヒーローであり、様々な物語の中に姿を変えながら「旅」をしてゆくのである。
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