「入院一回、家一軒」
これはこちらの日系人に聞いた話で、家族が入院すると、膨大な医療費の支払いのために家を一軒売らないといけないんだそうです。
とにかくこの国の医療費は高い。高いのは日本も同じですが、日本だと医療保険制度が今のところ機能しているので患者負担はまだそれほど高くありません。この国では貧富の差が激しく、国民皆保険制度など望むべくのないので各個人が私的に保険契約をすることになりますが、私的な保険なので、日本にはないような細かい規定があるんだそうです。
日本の保険に入っていれば、東京の病院に行こうと、北海道の病院に行こうと保険の支払いを受けることができますが、こちらの保険では病院指定というのもあるようです。だからある町に住んで、その町の保険会社と契約していると、他の町の病院での支払いは自費となります。ただ、保険によっては旅先の緊急入院であれば保険の適用を受けることができるそうで、こんな話も聞きました。
「この前、サン・パウロに住んでいる息子が盲腸でサン・パウロの病院に担ぎ込まれたのよ。でも息子の住所変更をしてなかったから、とっさに『息子はサン・パウロまで出張に出かけていて、そこで倒れた』みたいに書類を書いて旅先の緊急入院ということにしておいたのよ。『サン・パウロに住んでいる』なんて書いたら保険が出ないからね。」
とにかく保険が大事。保険に入っていないと病気になったときにひどい目にあいます。たとえば、バス旅行の時。バスの切符を買うときには『保険をかけますか?』と聞かれることがあり、僕は毎回かならず掛け、名前を書き込んだ保険書類をポケットに入れています。交通事故にあっても保険証書が見当たらないと手当てもしてもらえないからだそうです。これは知り合いに聞いた本当の話なんですが、ある人がサン・パウロに仕事で出かけていて事故にあったんだそうです。それも大事故だったらしく、急いで病院に担ぎ込まれたんですが、家族への連絡に手間取り保険の確認に時間がかかってしまい、その間放置されていた怪我人は出血多量で亡くなってしまったんだそうです。
血も涙もない!と思われるかもしれませんが、以前、日本でも似たようなことを経験したことがあります。それは雪山遭難です。一度、雪山で怪我人を見つけて警察に通報したことがあるんですが、怪我の状態からみてヘリコプターで搬送しなければならず、警察に遭難場所などを説明したんですが、その時に怪我人の山岳保険番号をしつこく聞かれました。ヘリコプターの出動にはかなりお金がかかるので、保険がとっても大事なんだそうです。
さて、話はとびましたが、ブラジルで医療保険に入っていない人はどうなるんでしょう?誰の看護も受けることなく亡くなってしまうんでしょうか?
昨年、ちょっと体調を崩して町の病院に行き、注射を打ち、薬を処方してもらったんですが、帰りがけにお金を払おうとすると「いりません」と言われてしまいました。さらに翌日も様子見のために行ったんですが、この日も「いりません」。保険に入っていないと診てもらえない病院がある一方、無料で診てくれる病院もあるんです。聞いたところによると、どの町にもこういった無料の病院があるらしく、保険に入っていない人はそこで診てもらうんだそうです。運営は篤志家からの寄付などでやっているそうですが、やはり資金の面の問題は大きく、我が町の無料病院も一時期閉鎖されていて、最近になって再び開いたと言う経緯があります。そんな病院なので、施設も貧弱で医師の定着率も低いんだそうですが、庶民の力強い見方となっています。ただ、大勢の人達がやってくる結果、順番待ちが激しいようで、よほどの急病ではないかぎりなかなか診てもらえないと言う問題もあります。
ところで病院と言えば、薬。日本では薬漬け治療などといって、薬の乱発によってお医者さんが儲かるシステムになっていて、医薬分業が緊急の課題となっているようですが、この国では完全医薬分業制。医者が書いてくれた処方箋を持って、行き付けの薬屋さんで薬を買います。日本だと薬屋よりも病院の方が多いところもありますが、こちらは反対で町中に薬屋さんがあります。聞くところによると、医療費が高くて払えない人は、病院に行かず、薬局のおじちゃんに相談して薬で治療するんだそうです。
昔、アジアを旅行していたとき、欧米系の旅行者と同宿することも多かったんですが、彼らは驚くほどたくさんの薬を飲んでいました。ビタミン剤やカルシウム剤などは理解できるんですが、その他にも得体の知れない薬を大量に飲んでいて驚きました。日本人の場合、バランスのとれた食事で栄養補給というイメージですが、欧米では薬で栄養補給なのかなと思ったものです。ブラジルはなんといっても欧米文化の国なので、このあたりも薬屋が多い原因のひとつなのかもしれません。
薬屋さんで薬の値段を見ているとブラジルの物価に比べてかなり高いという気がします。昨年病院に行ったときに処方された薬を買った時の値段は70R$。当時のブラジルの最低給料の半分でした。薬の値段は庶民の大きな悩みのようでテレビを見ているとブラジル保健省がこんなCMをやっていました。
「あなたは複製薬を知っていますか?これはある薬と全く同じ成分の薬で、たとえば○○という薬には△△という複製薬、××という薬には□□という複製薬があります。しかも複製薬の方がオリジナルの薬よりもずっと安いんです。これからはお医者さんに薬を処方してもらうときは『複製薬はありませんか?』と聞いてみましょう。」
日本で言うところのゾロ品のCMですね。新開発したオリジナル薬品に対して、その成分を真似てコピーした薬品をゾロ品と言うんだと聞きました。以前日本の雑誌かなんかで読んだんですが、ゾロ品問題は日本でもあるそうですね。オリジナルの薬は研究開発や投薬試験などでたくさんの経費がかかっているのでそれなりに高くなるそうですが、ゾロ品の場合、開発費用がかからないので安くできます。だからゾロ品ばかりが出回るようになるとオリジナル薬が売れなくなり、ひいては新しい薬の開発に影響がでることになります。CDレンタル屋が増えるとアーティストが儲からなくなり、新曲が作られなくなってしまうという理論と基本的に一緒です。
ブラジルではそんな問題を知ってか知らずか保健省がゾロ品宣伝キャンペーンをやっているので驚きました。我がアパートの大家が薬屋なので、ブラジルの製薬業界の話を聞いたことがありますが、ブラジルの製薬量は世界で中国、アメリカについで世界第3位だとか。これが本当だとすると、中国、ブラジルあたりはゾロ品大国なのかもしれません。
さて、ある日のこと、知り合いが入院したと言うのでお見舞いに行ってきました。その友人は高い保健に入っているそうで、病院は我が町でトップクラスの私立病院。ブラジルの病院にお見舞いに行くのは初めての経験だったのでその人には申し訳ないんですが期待しながらのお見舞いでした。四人でお見舞いに行ったんですが、受付で名前を言うと、「すみませんが、同時に病室に入れるのは二人までとなっておりますので、残りのお二人はこちらでお待ち下さい」なんて言われます。お〜、高級病院は違うねなどと思いながらしばらく待っているとようやく僕たちの番になります。部屋の場所を聞いて、行こうとすると受付の人が何か言っています。
受付「すみませんが、お連れの方は病室には入れませんのでここでお待ち下さい。」
僕「えっ、なんで?」
受付「お連れの方はショートパンツをはいておられますが、当病院ではショートパンツをはいている方のお見舞いはご遠慮願っております。」
僕「へっ!?」
受付の人が見せてくれた「お見舞いの方へ」という注意書きを見ると、いろいろと書いてありましたが、その中に「Tシャツ、ショートパンツ、ぞうりなどを着用している方は病院内に入れません」ってのが本当にありました。まるで日本の中学校の校則みたいで開いた口がふさがりません。しかしそう書いてある以上あきらめざるを得ないので僕一人でお見舞いに行きましたがなんとも不思議な規則でした。高級病院おそるべし。
そんな高級病院に入れる友人は、ファゼンデイロ(農場主)のお金持ち。その病院を利用するための保険料を聞いたことがあるんですが、普通の人々には想像もつかないような額でした。
暢気で陽気で食べ物もおいしいブラジル。ブラジルに来て、「こんな素敵な国はない!ここで暮らしてみたい!」と思う人も多いんですが、地元の人達のこんな一言が忘れられません。
『そりゃブラジルみたいに住みやすい国はないよ。厳しい日本社会に比べたら天国だよ。でもそれは健康が絶対条件。ブラジルで病気になったら悲惨だよ。もう自分も年だけど、この年になったら日本のような老人にやさしい社会がうらやましいよ。』
蟻とキリギリスとは、まさにこのことかもしれません。