日本学校
「日本学校」という学校がアスンシオン郊外、フェルナンド・デ・ラ・モラ市にあります。「日本語学校」というのは永住者の子弟が日本語を勉強する場所、「日本人学校」というのは日本から派遣された子弟が勉強する場所、そしてこの日本学校は?パラグアイ人によるパラグアイ人の為の私立学校なのです。
日本学校
住所:TENIENTE RIVAROLA 2824 C/RUTA NEMBY,FERNANDO DE LA MORA , PARAGUAY
電話・FAX 595−21−507−437/ 523-222
mailto:nihngakko@mmail
日本学校を経営しているオルテガ夫妻は89年から91年までの2年間日本の奨学生として留学、帰国後パラグアイ文部省に「NIHON GAKKO」という学校(幼稚園・小中学校:1年生〜8年生まで)の設立計画を提出し、93年に認可を得て、同年3月に開校した。現在では1200人の生徒・児童が通学している。生徒はごく普通の市民で、現在日本人・日系人は15人、その他韓国人・中国人の子弟も通学してようです。
学校の名称は「NIHON GAKKO」そのまま「ニホン・ガッコウ」と発音されています。勿論ここままでは一般の人には分かりませんので、「コレヒオ・ハポネス」と併記されています。
スクール・バスも多く用意されており、人口増加地帯の中央という地の利もあり、生徒数を増やしているようで、現在も隣接地に増築しています。
(写真:日本学校はそのまま nihon gakko)
学校の入り口の看板を見ますと、ひらがなで「にほん がっこう」と書かれています。その下に「英語、日本語、コンピュータ、ダンス、空手」と書かれています。
(写真:入り口の看板)
校門から中を覗きますと日本とパラグアイの両国国旗が沢山あり、ゴチャゴチャとした印象を受けました。敷地は非常に狭くここに1200人も学んでいるというのは驚きました。聞けば開校当初の94年には100人足らずであったのが、毎年100人以上増やして行き、現在の人数になったとの事です。
(写真:校門)
校門を入ると直ぐに事務室がありました。ここにこの学校の経営者オルテガ夫妻が居ます。従来、パラグアイでは経営者と言いますと一番奥に豪華で大きな個室を作り・・という事が多いように思いますが、ここは校長室が一番手前で通路の横にありました、日本でも見ない位置で驚きました。
(写真:校長・オルテガ夫人)
校長室の中を見ますと、日本関係の写真が所狭しと飾ってありました。
(写真:校長・夫・オルテガ氏)
校長室の隣は売店になっていました。
(写真:売店)
敷地が余り広くないので、子どもが沢山歩いているという印象を受けました。
(写真:学校の様子)
授業の様子を覗かせてもらいましたが、思ったよりも少人数で20人くらいで勉強していました。教室はそれほど広くなく、日本の教室に比べると窮屈な感じです。
(写真:授業風景)
校庭と言いますか、中庭では空手の稽古が行われていました。空手は人気が高いようで、多くの子どもが学んでいるようです。それにしても日本の国旗が至る所にあります。日本の学校でこれほど日の丸を見る事が出来る学校は無いと思いますが如何でしょうか?
(写真:空手の練習 )
(写真:女性の空手の先生)
会議室の一つに案内してもらいましたが、正面には天皇皇后両陛下と天皇陛下ご一家の写真が飾られていました。日本でも余り見ない光景ですね。
(写真:会議室には天皇陛下皇后両陛下の写真が飾られている)
日本の空手、舞踊等と並んでパラグアイ伝統のダンスも学んでいます。
(写真:パラグアイ・ダンスの授業)
校長が強調しているもう一つの教育のポイントはコンピュータで、学生は自由に利用出来るようになっているようです。
(写真:コンピュータ演習室 )
次に図書館に案内してもらいました。この学校では「日本語」が必修科目になっているのですが、余り日本語の本はありませんでした。ここではマンガも大事な教育材料で、かなり古いマンガが大事そうに並んでいました。
(写真:図書館の日本語書籍のコーナーには古いマンガ )
世界広しと言えどもこのような「日本学校」は他には存在しないようです。毎年生徒・数十名が日本を訪問するのですが、皇居に天皇陛下を訪問したりするそうです。日本としても日本語・日本文化を普及する努力をする必要があるのでしょうが、現地の人が進んで行っているので応援しがいがあると思います。
今後毎年100人くらいの生徒が輩出されて来る事になります。多感な時代に「日本」を強く意識し、日本語を勉強して育つのですから、当地日本社会にとりましても大きな力になるように思います。