担任雑記No,34 「ヨーロッパ旅行記20」
「モン・サン・ミッシェル」をご存じか。修道院だ。そこはフランス北西、ノルマンディー地方にある潮の満ち干が激しい海岸。潮が引けば遥か遠く18kmまで砂浜が広がる。潮の満ち干の差は15mにも達すると言う。潮が満ちると小島がポツンとできる。その小島を覆うように建物が建っている。島の頂に立つ礼拝堂の鐘楼は天を突き刺すが如く聳える尖塔をもち、それを取り囲んでさまざまな建物が犇めきへばり付いている。この小島の姿はジョウゴを逆さにしたような形の要塞にも見える。フランス革命のころは牢獄にも使われていたという。8世紀始め聖ミッシェルがここに礼拝堂を建てるようお告げを受け小さな教会が建ち、中世、時を重ねて行くに従いその規模を大きくして行った。我々の目からしてみると異様なまでの建物の造形は、美しさを越えた、神秘と裏腹の魔力さえも感じずいないられない。しかし、ここはキリスト教における聖地。ここで、生まれたばかりの幼児を洗礼をしてもらうことを目的に、若い夫婦やその家族で島はごった返している。人が一人すれ違うにも困るよな狭い路地にまで礼拝堂を目指した人々で埋まっている。そして、それを当てにした土産物屋、レストラン、博物館が犇めきあっている。一瞬軽井沢銀座を連想させる混雑だ。遠目に見た異様な静けさとは程遠い、人間の業が渦巻く二つの顔をもった島。まさに“最果ての地”へ行った。
古都パリにちょっと似つかわしくない近代的なモンパルナス駅で私たち夫婦はT.G.Vに乗る。1等車の予約が出発30分前に取れた。2人分たった36フラン(約790円)。世界一速い列車に乗るのにも、こんなに簡単で安価でよいのか、何か悪い気がする。一路レンヌへ。200km/hの世界は割合振動が大きかったが、日本の新幹線とは比べものにならない広いシートと静寂、マナーのよい乗客で快適そのもの。後方に流れて行く風景を子守歌にひたすら睡眠を取った。
レンヌ駅もものすごく近代的。だが、目的地に一番近い駅ポントルソンへ行く直通列車が、何と土日休日運休。レンヌに来るまで知らず、運悪く今日は土曜日だった。我々はモン・サン・ミッシェルの中にある数少ないホテルに日本から予約をいれておいた。だから、どうしても今日中にこの島にたどり着かねばならない。ツアーコンダクターである妻は大慌てで予定変更、直通を諦め、列車を乗り継ぐ手を考えた。だが、そんなに甘くはなかった。どう乗り換えようが、そこまで行く列車が一本もないのだ。数百kmある目的地までタクシーを使おうかとまで考えたが、予算がそれを許さなかった。妻の本能的な勘と、懸命の努力で、ポントルソンよりも50km程西にあるドルという町からタクシーを拾って目的地へ向かう作戦を捻り出した。
さて、作戦実行。やっとドル駅に到着。駅は休日のせいか駅員がいない。小海線の無人駅を思わせるような駅舎の造りにほっとするやら唖然とするやら複雑な気持ちになった。出るとただ広い雑木林が広がるだけ。タクシーが一台ポツンと待っている。今日の私たち夫婦にとってこれを「運よく」と言わずして何が「幸運」であろうか。早速妻が値段の交渉をして、おばさんの運転するおんぼろシトロエンは一路モン・サン・ミッシェルへ一向走った。運賃は230フラン。(約5060円)世界一速い列車よりも高い値段がついてしまった。異教徒の我々にとって、モン・サン・ミッシェルは何と遠いのか、宗教を越えた『聖地』たる霊験のあらたかさを感じずにはいられない。
島に渡るには2km程と続いた堤防の一本道を歩くか、自動車、バスで行くしかない。我々はタクシーだったが、大体の人はキャンピングカー付きの自家用車、バックパッカー(貧乏旅行者)は歩く。最寄りのポントルソン駅からここまで、ものすごく遠い。次回来るなら、レンタカーを借りるべきだ。絶対にそうするべきだ。島の駐車場でタクシーを降り、“要塞”の中に入る。ヨーロッパでは珍しいほど人でごった返している。あの、有名なルーヴル美術館でさえ、行列にならないほどなのに、ここはまるで東京アメ横か、夏の軽井沢銀座である。中世の石作りの建物の中を迷路のように礼拝堂への狭い坂道が延々と続いている。日本で言うと山奥のお寺か神社に登る何千段もある石段を歩いている感覚に近い。荷物が重く肩に食い込み、いい加減疲れてきて、礼拝堂を見学するのは諦め、予約したホテルを探すことにした。狭い道の両脇には土産物屋やレストラン、ここの歴史伝える博物館(とは言っても、蝋人形館で、同じような見世物屋が何件もある)がごちゃごちゃと並び、人々がこれまたごちゃごちゃと歩いている。これでもメインストリート。ようやく見つけたホテルの看板。たどり着くとレストランの二階にフロント(レセプション)がある。ブロンドの爆烈ボディーをしたオネェチャンがいて予約確認をした。キーをもらって部屋にご案内の別の控えめのお姉さんに付いて行く。ところが、そのレストランを出て行ってしまう。慌てて付いて行く。通りを逸れ、人通りのない階段を随分登って行き、息を切らせながら辿り着いた石造りの建物が宿だと言う。つまり、客室とフロントが別棟のホテルなのである。軽井沢プリンスホテルのコテージでも借りたような気分だ。お陰でメインストリートの喧噪から逃れられた。疲れ切った体をしばしふかふかのベッドに横たえた時の幸せと言ったら!しばらく休んで元気が出て、食欲がわき出て来た。こうなると食べるしかあるまい、ここへ来た目的がこの島の名物、巨大オムレツとソバ粉で作ったクレープに出会う事なのだから。そして、私は不覚にも、またあの「ムール貝の白ワイン蒸し」を食べてしまった。はっきり言って、「レストランのハシゴ」である。こんな神聖な場所で、我々夫婦は煩悩の塊と化していた。神をも恐れずただ食べたいがために夜が更けても人通りが減らない狭いメインストリートを食本能の赴くままさまよい続けた。
翌日、2人は神の天罰を食らうことになるが、それはまた、別の話。
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