担任雑記No,41 「寮生活その1」 この時期(12月:Web Up時注)になると思い出す。大学生時代のころの話である。私は教養部から二年生に進級することができ、1年間住んでいた松本を離れ、4月から長野市の教育学部へ通うことになった。
住むところは「信州大学教育学部・あけぼの寮」である。大学生特有の雰囲気がどぎついほどに漂う寮内の空気であった。“入寮式”なるものがあるというので、その前日に寮へ引っ越しを済ませ、暮らし始めた。寮は2人部屋。同じ美術科の四年生と一緒の部屋、清潔だし、先輩も親切にいろいろと世話をしてくれたりして、なんとなく楽しい寮生活が始まる予感がしていた。
さて、入寮式当日。午後6時に食堂、ぞろぞろと寮に住む学生が集まり出した。男子棟と女子棟が食堂を挟んで繋がっているから、男女交ざってごちゃごちゃといすに座った。新入寮生は前のほうに座席が指定されており、私は名札がついている席へ腰をかけた。簡易ステージには寮長初め、寮の自治会役員(もちろん学生だ)が行儀よく座っている。この会の進行をするらしい。それに対してステージ上に、なんだか随分偉そうにいすに踏ん反り返り、しかめっ面して腕を組んで座っている8人程の一団がいた。男も女もみんな黒いハッピを羽織り、一番偉そうな奴は雪駄を履き、その隣の奴はサングラスをし、木刀までももっていた。「何なんだこの集団は…」答えが導き出せないまま、入寮式が始まった。寮長のユーモアあふれるあいさつなど会は楽しく進行して行く。楽しい寮生活。夢が膨らむ。が、時折黒い集団が、ボソボソと耳打ちをしたりしている。どうもこの集団、うさん臭い奴らだ。と思ったら、寮長が、こんなことをいった。
「そちらに控えている方々は、風紀委員の皆さんです。委員長の挨拶お願いします。」 すると、今までフレンドリーな雰囲気だった会場の空気が一瞬にして張り詰めるのが分かった。重々しく“委員長”と言われた男が壇に立つ。開口一番、彼は言った。
「我々は風紀委員である。この寮の風紀を取り仕切るものである。風紀の乱れは許さん。今日のこの会のだらけた雰囲気はなんだ!!(しばらくの沈黙)明日朝、8時30分までに反省文4枚を各階の風紀委員に提出のこと。以上」
会場にどよめきが走る。上級生が僅かながら不満を露にするが、よほど怖いのであろう、小声で“畜生っ”と罵っただけであった。「何だ、何だ、何だ」私の頭で理解をするまでにしばらく時間が掛かった。反省文?だらけた?風紀委員って一体なんだ?頭の中に疑問符が散らばっていくまま、入寮式は終わった。
部屋に帰り、同室の先輩に堰を切ったように疑問をぶつけた。ところが、先輩はうつむき、ただ一言、「彼らのことはすぐに慣れるさ、考えないようにすることだ」とつぶやいた。そして、思い出した事が人生最大の失敗だと言わんばかりの苦渋に満ちた表情をしてから、「明日から毎朝、早朝点呼がある。そのとき寮歌の練習があるから、君に教えなくっちャネ…。」と寂しそうに笑った。その晩、夜中の10時に風紀委員が「消灯。消灯時間だ」と寮内放送をかけるまで先輩と2人で寮歌の練習をやった。
次の朝。6:55に放送が入る。「全員食堂へ集合。各階の長は点呼し、駆け足で集合させよ」眠い目をこすりつつ、言われるまま食堂へ集合する。階段の踊り場、食堂入り口など、要所要所に委員が立っており、駆け足をしていないものには罵声が飛ぶ。異様に緊張した空気の食堂に、一糸乱れぬ整列をした様は、まるで、戦時下の軍隊であった。風紀委員がすべてを取り仕切る。一人が壇に上がって「アイン・ツヴァイン・ドライン!!(ドイツ語らしき1、2、3)」と声をかけると、いっせいに上級生が寮歌を歌い始める。まだ覚えていない新入生はしどろもどろ。すると、風紀委員がよって来て、しばらくそこに立っている。歌っているかどうか、確かめているのだ。歌っていなかったり、声が小さかったりすると、乱暴に前に出される。時折、委員長が怒鳴り声で歌を遮る。「声が小せえんだよおっ!!」「女子だけ!!」「男子二階と三階!!」我々は言われた通りにしかできない。ただひたすら、大声を張り上げ、寮歌を必死に歌うだけなのだ。と、そこへ、食堂に遅れて入って来た寮生がいた。みんなの視線がそこへ集中する。歌も中断してしまった。風紀委員がその男の回を取り囲み、どこかへ連れて言ってしまった。異様な静けさ。冷や汗、ひざの震え。
「今日はここまでとする。新入生は早く寮歌を覚えるように。明日はブロック(寮では各階のことを“ブロック”と呼んでいた)ごとの練習である」と委員長が静かに言った。囁くような声だったが、食堂中に響く声であった。
部屋に戻る時、廊下の端のほうで先程遅れて来た男が風紀委員一人に首根っこを掴まれ、壁に押し付けられているのを視野の隅に捕らえた…。身震いがした。
食堂で朝飯を咳き込むように急いで済ませ、追われた逃亡者のように学校へ走った。早くこの押し潰されそうな空気から逃れたかったからである。学校は授業のガイダンス(説明会)が予定されていた。授業の受け方や単位の取り方など午前中はいろいろと忙しく、お陰で昼食までは寮の今朝までの出来事を忘れられることができた。なぜか、いつもよりも集中して教授たちの説明が耳に入ったような気がした。
昼食時、寮でも食事がとれたが、なんとなく帰る気になれなかった。部活や同じ美術科の友達と学食で食べることにして、今まで溜めていた今朝までの出来事に対する鬱憤を吐き出した。風紀委員の存在、その横暴さ、彼らの犠牲になった者の話、堰を切ったように喋りまくった。友達はただ気の毒そうに耳を傾けていただけだったが、それでもなんとなく私の気は晴れた。私は気持ちの片隅で「すぐにでもこの寮を出よう…」とつぶやいていた。…こんな日が3日ほど続いたある晩、寮に事件が起こる。(つづく)