篠さんによってもたらされた情報をl公開、篠さん曰く、「松木ひろし氏の回答というのは、映人社刊「ドラマ」1980年10月号に掲載された もので、「作家への手紙」という読者から脚本家宛の手紙を募集し、それに脚本家に返答してもらうという企画でした。」
作家への手続(本誌五月号募集)発表松木ひろし様へ 藤森 ○○ 拝啓、ポクはここのところずっと或ることを期待しています。それはひとつのテレビドラマの放送開始を待ち望んでいるのです。それは何か。そう、それは石立鉄夫さん主演のあのおもしろうて、やがてかなしき人情喜劇のことなのです。日本テレビ制作の「うちの嫁さん」(気になる嫁さんのことだと思います。)「パパと呼ばないで」「雑居時代」「水もれ甲介」「気まぐれ天使」「気まぐれ本格派」という一連のシリーズです。
これ等のシリースはポク自身にとってのテレビ史上、不朽の名作なのです。不朽の名作というのはチョット大げさな言い方かもしれません。でも最近流行りの大作なんかよりも、ずっとポクの心に残っているのです。サラリと流れる中にピカリと光るものがありました。
では何故名作なのか? また何故シリース再開を望むのか? それはポクにとって必要なドラマだからです。そしておそらくは多くの日本人にとっても…。
ポクらの生きている現実の人間社会、そこでは程々の出来事が起ります。自分を取り巻く範囲だけでもイロイロあります。そして一人一人の人間がそれぞれ一生懸命に生きています。一生懸命だからこそ、問題が起ります。人間社会には訳の分るルールと訳の分らないルールがあるような気がします。そしてこの訳の分るルール、分らないルールというものの把え方が一人一人大きく違っています。だから現実社会で人間が生きていけば様々な問題が起って当然のような気がします。喜怒哀楽も生じるでしょう。悲しいこと、おもしろくないことが心の中に芽ばえて、生きてゆくのに疲れます。だからこの疲労感を少しでも取り除く努力を続けながら、人間は生きているのだと思います.そしてその疲労を取り除く作用の一つに、このシリーズは完全になりきっていたと思います。
一人々々の人間の価値感の尺度が違っているのだから、衝突や問題が起こったって仕方ないんだ、というのは現実社会における訳の分らないルールのせいです。そんなものに縛られているからなのです。社会的制服を脱いだ一人の裸の人間という見方をすれば、衝突しなくてもよさそうな事で衝突するような事は少しでも減るはずです。しかし、自己防衛本能を持った人間は裸で街は歩けない。だから社会的制服を着る。そして衝突が生じて疲れてしまう。人に親切にしたいというような純粋な部分がある。しかし、そんなことをしていたんじや生存競争に負けてしまうんじやないか。だから純粋な面をゴマカシて気張っている。そして疲れてしまう。多くの人間はこのパターンを繰り返していると思います。つまり裸の人間としての純粋な部分を捨てようとするのですが、捨て切れないのが人間だと思います。それだからこそ純粋で一生懸命に生きることの素晴らしさを描いたこのシリーズによって、純粋な部分を捨て切れずにいる自分はダメ人間でなく、これでいいんだという安心感が得られるのです。何と素敵なことではありませんか。
今、こういうことをサラリとした軽いタッチでやれるのは、映画では山田洋次さんの「寅さんシリーズ」、テレビでは松木ひろしさんの「気まぐれシリーズ」だけではありませんか。山田さんも「寅さん」は止めない、と言っています。松木さんも「気まぐれシリーズ」を続けて下さい。そしてボクのえもいわれぬ疲労感を取り除いて下さい。
敬具
ドリンク剤メーカーより松木ひろし 拝復、藤森○○さま。 この御返事を書くのに、少々マゴついて居ます。と云うのも、貴方のお手紙の内容が、終始僕には過分の褒め言葉ばかりで、何だか他人の作品評を読んで居る様な気さえするもンですから…。
一そ、キピしい批判や悪口への反論なら、御返事もし易かったかも知れません。然しまア、そんなカッコつけるのは止めましょう。凡人の僕には、作品を褒められる事はやっぱり一番嬉しいンです。特に、貴方の様に、僕でさえ忘れかけて居た昔の作品まで覚えて居て下さる方に出会うと、徹夜明けの眠気までスッ飛ぶ思いがします。
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あの一連のシリーズは、石立鉄男と云う素材をフィツクスする所から始まりました。彼とはその以前にも一・二度つき合いましたが、本格的に組んだのは初めてと云ってよいと思います。ドラマのスケールや時間帯等から云っても、正直云って、周囲から余り期待されないスタートでした。そのゲリラ番組的な気楽さが幸いして、僕も石立(テツとルビがふられています)も持味を充分出せたンだと思います。巨人戦の中継が有ると、ドラマの放映は翌週廻し−等と云う悪条件にも拘わらず、予想以上の好成績を上げたので、もう一本、もう一シリーズ−と、何年か続けました。
それが中断したのは、一言で言えば「商売にならなくなった」からです。如何にボクと石立のチャンネルが合っていても、これだけ続くとマンネリ化するのは当然なンです。貴方に逆らう様ですが、少なくとも僕は、今の寅さん映画を観る気にはなれません。(尤も、アチラはまだ商売になって居ますが…)
ですから、今度のような「配達おくれのラブ・レター」を項くと、嬉しさと同時にかなりな戸惑いを感じてしまうのです。
貴方はあのドラマから、今の社会への皮肉や、純な人間讃歌を感じとって下さった。でも、僕の方は、前述の通り、気楽なシチュエイション・コメディを書いただけなのです。大体がテーマ先行の作劇注が苦手で、あのシリースの作品も、「もし人間が犬に噛みついたら?」式の一寸した発想をふくらませて、それを何とか味よく料理しようとしたものばかりです。ただ、おっしやる様に、一生懸命に生きる主人公を書きました。何故なら、そう云う人物が、ハタから見て一番滑稽で悲しいからです。
ですから、石立ドラマは所謂名作なんかでは勿論有りません。或人にとっては、箸にも棒にも掛らない駄作です。でも、貴方にとっては、疲労回復剤であり、精神安定剤であり、或意味で不朽の名作であったかも知れない。それで好いのだと思います。貴方の云う通り、個人の価値観には差が有るンですから。ただ、僕には、その「疲労回復」と云う言葉が特に嬉しかった。と同時に、チョツピリ気になりました。貴方が、三十歳の公務員だと云う事なので…。
大学を出て勤めてから数年。三十歳と云えば、僕自身の過去をふり返っても、独身大ラスの花の青春後期。これからの人生計画が漸く具体的に煮つまって来る中身の濃い毎日でした。所が、貴方には「えも云われぬ疲労感」が有ると云う。どんな仲間とどんな仕事をして、どんな生活をしてるのだろう? 貴方を疲れさせる「訳の判らないルール」とは何なのだろう?−と。
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石立とは、現在新しい企画を準備中です。でも、それが始まろ頃には、もう貴方の疲労感がスッカリ消えて、ドリンク剤的ドラマの必要性も無くなって居ると好いンですが…。
篠さん曰く「これは 時期的に考えて「玉ねぎむいたら」のことだと思われます。」