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[特集 核兵器] 核兵器―――神は降臨する

 冷戦の果て、核兵器は神を代替することとなった、その「抑止力」の神話をもって。神話は核兵器に平和を保つ神の役割を担わせる。が、この神話が破られる時、呪の神が出現する。
 核兵器は強力な殺傷力、破壊力、そして放射能という負の影響力を備えている。この力の巨大さへの怖れが、戦争における核兵器の使用の、または戦争の「歯止め」となる―――いつしか、そんな説が生まれていた。ただ存在すること、それ自体に力があり、その力が平和を保つとするならば、その力は神と呼ばれるにふさわしい。その力のもと、核兵器は神の化身として今や国際社会に君臨しているわけである。しかも、戦争という苗床から発生し、人間の業を内に秘めつつ。
 1945年8月6日、人類初の核兵器による攻撃で、広島全市は壊滅、死者は20万人以上となった。以降、冷戦構造下、この強力な兵器は大国間の”封じ込め”のために増産された。結果、人類は自らを1度滅ぼしてもまだ余りある核兵器を保持することとなる。
 人類は今や、人類史上一番強大な兵器を保持している。このことは同時に巨大な怖れを共有しているということでもある。これで、人類は自らが造り出した神を怖れ、そして自らの業を呪わなくてはならなくなった。神の代替、すなわち、保たれる平和のための「抑止力」は人類の破壊への願望の上に存在している。もしも、この破壊への願望が、この神への怖れを上回った場合「抑止力」という「歯止め」は壊れてしまうはずである。
 宗教テロリスト、テロ国家、カルト集団・・・等、等、自らの命を捨てることが惜しくはないという人々はいくらでもいる。彼らに核兵器が渡ったとき、我々は祈らなければならない、地獄の引き金を彼等がどうか引かないように、と。
 人類の業の重さに地球が沈むのであるならば、人類は本当に神を葬ることになる。地球に生命が存在する―――そこに某かの力を感じるとき、私は神を確認する。この宇宙に生命が存在すること、それ自体が奇跡的な確率によるものだからである。業苦を保持し、神は降臨した。地球を呪われた星にしたくなければ、我々はどちらかの神を選択しなければならない。

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