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アメリカのコインは、1セント玉(ペニー)、5セント玉(ニッケル)、10セント玉(ダイム)そして25セント玉(クォーター)の四種類である。100セントが1ドル($1)となり、1ドル硬貨もあるが、普通は1ドルは紙幣である。コインには、紙幣のように数字が大きく書かれていないので、私は、硬貨とその価値が頭の中でしっかり結び付くまでに、結構時間がかかった。例えば、外見では、ダイムはペニー10枚、ニッケル2枚の価値があるのに一番小さく、そんなに価値があるような姿をしていない。(こういう事は理屈では無いのに、頭で理解しようとするからいけないのかもしれないが。)来た当初は、買い物をする時はお札を出して、渡されるおつりを確かめることも無く、そのままお財布にいれていた。この、「おつり」の計算の仕方が、アメリカは日本と違っている。 日本人は、おつりを引き算で計算する。例えば、685円の買い物を1000円札で払ったら、1000-685=315円と、たちどころに(?)頭の中で引き算をして、おつりが幾らになるかはじき出しているはずである。この、日本人の暗算の能力は、結構世界に自慢できるものだと思う。一方、アメリカでは、この引き算方式は一般的ではない。アメリカ人は足し算で、おつりをよこすと書いてある本もあるが、それもちょっと違う気がする。こっちの人は、おつりを計算しない。数を数え上げる方法で、数えているだけである。 さらに、このおつりの計算事情をややっこしくしているのは、クウォーター(四分の一という言葉からきている)と呼ばれる25セント玉の存在である。このクウォーターという奴は、この国で最も使えるコインの王様として君臨しており、パーキングメーターやコイン・ランドリーといった、コインで作動する機械の多くが、クウォーターしか受け付けないようになっている。だから、クウォーターが無いと困ってしまうことも多い。しかし、25という数は、おつりを計算する時には不便である。発想としては、クウォーター4個で1ドルという訳だが、これは12進法も使い、数え上げておつりを渡す人種の発想で、およそ10進法とは馴染まない。25という、中途半端な硬貨があるとどうなるか。日本でおつりが40円といえば、10円玉4枚に決まっているが、おつり40セントの場合は、10セント玉4枚が来ることはまず無い。25セント玉と10セント玉と5セント玉が1枚ずつ来るのだ。これは、頭が混乱する。それこそ、25、30、40と数えてしまうしか無いのである。 細かい話で恐縮だが、日本にいた時、私はなるべく1円玉や5円玉がたまらないようなお金の払い方をしていた。多くの人がやっていると思うが、例えば916円の買い物をしたら、千円札に6円か16円を足して払うわけである。それをこっちでやろうとすると、25セント玉がある故に、大変ややっこしいことになる。9ドル16セントの買い物に、10ドル札と6セントを払って、90セントのおつりを貰おうとすると、余分に渡した6セントのうちの5セント玉は、そのままおつりとして自分に戻ってくる。90=50+10x4ではなく、90=25x3+5+10なのだ。だから、10ドルと1セントだけ払ったのとお財布の中味は変わらないわけだ。今は、書きながらなので、頭が整理されているが、25というカタマリが入った計算は、未だにピンと来ない私である。 同じ様に、アメリカ的なお金の勘定の仕方に、セールの時などによく使われる、3/$1とか2/$5といった 値段表示がある。これは、3個で1ドル、2個で5ドルという意味である。日本人からみると、この表示は、3個買えば1ドルになるけれど、1個では安くならない様な気がしてしまう。ところが、これは、1個でもセールの値段なのであって、前者は1個33セント、後者は一個2ドル50セントと同じ意味なのである。2個買えば安くなる場合というのは、"BYU 1, GET 1 ◯◯"(FREE とか25%0FFとか)と表示されるのである。じゃあ、何でSALE $.33とか$2.50とか書かないのか?その方が3/$1とか2/$5とか書くより、単価が(通常と)比較できて分かりやすいじゃない、と思ってしまうが、そこが、日本人とアメリカ人の違いな訳だ。Count up して、切りのいい数字(値段)を示す方が、こっちの人にはどうも通りがいいらしい。1ドルで3個買えますよ、といった方が、1個33セントですよ、というよりピンと来るようなのである。日本人なら、33セントx何個といった暗算を無意識にでもやってしまうが、こっちの人には切りのいい数字にしておいてあげないと、計算が難し過ぎてしまうのだろうというのは、ちょっと穿った見方か。しかし、先頃ヨーロッパとアメリカの高校生に対して行なわれた数学と物理の試験で、アメリカの成績は最低で、数学と物理のエリートの生徒ですら、ヨーロッパの平均に及ばないと出て物議をかもしていたのも事実である。 |
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