おまけ:私が士幌線に入れ込む理由 |
私が最初に士幌線に出会ったのは、おそらく平成6年か7年の夏だと思います・・・ということはすでに士幌線「跡」だったわけですが。(苦笑)
大雪ダムで国道39号と別れて三国峠を下ってきた私の目に飛び込んできたものは、圧倒されるような迫力でありながらやわらかな曲線美を描いたコンクリート橋梁(めがね橋)でした。
廃線跡歩きを趣味として標榜しながら、実はその時私は道内の旧国鉄線についてはほとんど把握していなかったため、「ここにも廃線跡があるんだな」くらいにしか思わず、後日旧版の路線図を見て初めてそれが士幌線という旧国鉄の廃線跡であることを知りました。また当時は少ない休暇を利用して東京から北海道へ来ているのに、わざわざ廃線を見ていくこともなかろうと思っていたことも事実です。このように士幌線とのファースト・コンタクトは実にあっさりとしたものでしたが、あのめがね橋の光景は私の脳裏に強く焼き付けられ、その後の渡道の際には必ず三国峠下りを行程に入れるようになります。
ある時古本屋の書棚を漁っていた私が目を止めた本がありました。辻真先さん*1の「ローカル線に紅い血が散る」という推理小説です。シンと真由子というカップルが旅先で殺人事件に遭遇し、それを解決していくというものなのですが、その本のプロローグとエピローグに士幌線が登場するのです。(ただし、物語には直接関係ありません)
昭和57年2月の刊行、つまり国鉄再建法による特定地方交通線の廃止が始まる前に出版されたこの小説では、エピローグで美幸線の仁宇布駅を訪れたシンと真由子が士幌線の十勝三股駅のことを回想するシーンがあります。
----これより引用----
仁宇布駅のホームに立ったふたりは、ついきのうたずねたばかりの十勝三股駅を思い出していた。
かつて営林署に働く二百世帯を駅の周辺にかかえ、小学校の分教場まであった士幌線のターミナルは、たそがれの残光を浴びて死に絶えていた。
腕木式信号機には、バッテンの形に木が打ちつけられ、赤錆びた三本の側線は丈の高い草に埋もれて、その草もまた白骨のように、立ち枯れたままだ。
駅舎の窓や出入口も板でふさがれていたが、駅名標と案内板は、健気(けなげ)にホームで両足をふんばっている。「ニペソツ山 二〇一三メートル」の文字がどうにか読み取れた。
駅を囲む人家に荒廃の影は濃く、いまもここで暮しているのはわずか二戸と聞いて、ふたりは嘆息した。
----引用終わり----
これを読んでから、士幌線の跡を辿ってみたいという私の思いは強くなりました。シンと真由子が見た「たそがれの残光を浴びて死に絶えて」いる駅を私も見てみたいと思ったのです。廃線を扱ったWebページやほっかいどガイドなどの情報によれば、幸い?なことに十勝三股駅跡はそのままの状態で放置されているとのことでした。
ところが諸々の事情で実際に訪れることができたのは平成9年の5月でした。その時すでに十勝三股駅は整地されており、駅があったであろう痕跡は大きな植木が2本のみとなっていたのです。駅跡にたたずむ私を数頭のエゾシカが興味深げに眺めていたことを覚えています。
それでも十勝三股から南下して、幌加駅跡を発見したのは収穫でした。廃線の匂い(普通の人に言ってもわかってもらえませんが、独特の雰囲気を感じるのです)を嗅ぎ分け、林道を入ったところに残る崩れかけたプラットホームを見つけたとき、私は時間の過ぎるのを忘れてただ立ち尽くしていました。この地に住み、この駅を利用していた人々の息吹が感じ取れるような気がしたのです。当時は林道にかかる踏切部分以外はレールが敷かれたままで、停車場接近標識(黄色地に黒の斜線)も倒れかけながらも残っており、ひょっとしてここで待っていればディーゼルカーがやってくるのではないかと有り得ぬ錯覚を抱きました。
この日から、私は士幌線についていろいろ知ろうと思ったのです。
*1:辻 真先さんの「辻」のしんにょうは点が2つなのですが、漢字コード検索で見つかりませんでした。
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