木曜日、金曜日、月曜日とつくばで仕事の入った私は、 という神の啓示を受け、早速、水筒バンドに連絡してみた。最後まで法事と重なるかもしれなかった、大塚さんもスケジュールが合い、私たちは東京でスタジオに入ることになった。 優しい大塚さんが、スタジオの手配をしてくださった。場所は新宿でONAIR新宿STUDIO IIというところだった。東京に行きたい!というメールのあと、私たち3人と大塚さんはスタジオに入るまでの約2ヶ月の間に約300通のメールのやりとりをする。300通の間に、確実に愛と水筒が育まれたのだった。。 途中、私の最大の友達ふーちゃんをその膨大なメールのなかに巻き込み、当日ふーちゃんにもギャラリーで参加してもらうことになった。また、大塚さんは美しい奥様と一緒に登場ということになった。
出張の後、金曜日(スタジオの日の前日)10時位に一足先にホテル(飛鳥ホテル)に到着した。 途中、山手線はとても混んでいたが、なぜか、私の前にとまった車両だけ空いていた。ラッキーと思って、乗り込んだら、1シートをモーゼの十戒みたいなおじいさんが占有していた。口から泡をふいていて、黒い服に白い泡がぶくぶくとつたっていた。そのシートの周りだけ人がいなかった。まるで、海が割れたようで、本当にモーゼの十戒のようだ。この頃から ことを実感し始める。 ホテルには、ギター(白虎、タイガトロンちゃん)が宅急便で先に到着していた。白虎ちゃんをつれて10Fの5号室へ上がる。 飛鳥ホテルはラジウム温泉がついていて、スタジオから歩いて5分という好立地。しかし、部屋は汚く、なぜか外国人(アジア系の人かな?)が多い。ルームメイクも片言の日本語をしゃべる南方アジアの青年だった。 ロビーはロンドンブーツの赤い髪の方みたいな人で、私の部屋の電球が壊れていたのを直しに来てくれた。 実はこの日、たかだくんのライブのため、渋谷に行くはずだったが、時間的に間に合わず、また、新宿駅西口も見つけられなかった。10時といえば、子供を寝かしつけて、私も、つい、いっしょにぐーぐー寝てしまっているような時間帯なのに、寄せる人波は、異常なほど分厚くて、自分の思うようにも歩けない状態だった。また、道もよくわからず、なんとなくホテルに引っ返した。 ホテルに帰ると、仕事先から電話が入っていた。 金曜日の仕事では、私が責任を持っている範囲で、ちょっとした不具合があったのだが、本日の作業が過酷で、作業員が皆疲れており、精神的にも参っていたこともあって、後から確認できる事項を残して、作業を終わらせたのだった。 そのデータを第3者が見て、ずばりあることを指摘したのだった。それはわかっていたが、まさか、それを指摘されるとは思っていなかった。それに気がついた人間というのは、電話の相手ではないことも想像がついた。月曜日の仕事に課題を残しつつ、疲れた体と重い気持ちで、ぐしゃぐしゃになっていたら、 愛と水筒バンドのメンバーからiモードでメールが入った。速攻で返事したら、また返事が返ってきた。 こうして、生き返った私はめでたく土曜日を迎える。 |