魔法少女と戯れる日々 01-03
2000-01-19
「姫、あちらをご覧なされ」鎧に身を固めた屈強な体格の老人が砦の外に向かって指をさした。「奴らの本隊が続々とこちらに集結し始めたようですぞ。あの空を飛ぶ魔物が死ぬ間際に伝えた通りですな」「子供や負傷しているものたちを急いで奥に非難させるよう命令を出して」
「とうの昔にそうするよう命令を出しておきましたぞ。兵士たちはみな準備を整えております」
「ギド、相変らずそなたは手際が良いな。そなたのような戦士がそばにいるので私は心強い」
姫がそう微笑みかけると、ギドと呼ばれた老人は豪快に笑った。「ハッハッハッ! 姫、なにをおっしゃいます。わしは姫が産湯につかったころから王家に仕えております。全ては年の功でありますよ。この老いぼれの人生には戦うことくらいしかありませんでしたからな。この難攻不落といわれるグルゴス砦を守るためなら命を捨てる覚悟でございます。出撃の際にはもちろん姫にお供しますぞ、必ずや奴らを返り討ちにしてやりますぞ」
ギドのいったように、この砦が今まで難航不落であったといえども、姫の軍の勝機が薄いことは明らかだった。砦はこの数日間もうすでに大軍に包囲されていたが、ついに敵の本隊が砦の前に集結し始めていた。その後方で、敵の大将であるディアーロスがひときわ目立つ白銀の鎧に身を固めて、彼の大軍を指揮しているに違いなかった。
「姫、ディアーロスの軍は手強いですぞ。あのグロイザーを打ち破ったのですからな」
「わかっている……」
姫は窓の外を眺めながらうなずいた。あの方は本当に戦場で散ってしまわれたのだろうか、とグロイザーのことを思うと、姫は胸が締め付けられるような思いがした。
「しかし恐ろしい奴、あの魔物によれば、ディアーロスはあやしげな魔法を使ってグロイザーとその軍を跡形もなく消し去った、とかいっておりましたな。何か新しい魔法でもあみ出したかもしれませんぞ、これは用心すべきですな」
「こんなとき兄上がいらっしゃっていれば……」
姫は思わず独り言をつぶやいた。
「姫、今はそのような見込みのない望みにすがるときではありませぬぞ!」姫のその言葉を聞き、ギドは急に大声をあげた。「何年も前に行方不明になったそなたの兄上のことはもう忘れなされ!」
「すまない……」
姫は力なくうつむいた。
「ちょっとそこのおじいさん、なに陰気にお姫さまをいじめているのよ」
いつのまにか馬のような姿をした2本足の巨人が彼女たちの背後に立っていた。巨人の背丈は姫よりも頭3つ4つ高く、天井に今にも頭がついてしまいそうだった。
「なっ、なにがおじいさんじゃ! お前のような馬にそのように気安く呼ばれたくないわ! だいたいその言葉使いはいったいなんじゃ! 男のくせに!」
「あらあら、すぐ怒っちゃうんだから……」巨人は片手を頬に当ててしなをつくった「これだからあたし人間のお年寄ってちょっと苦手なのよね。男の子より女の子のほうがずっときれいなんだから別にいいじゃない。ね〜ミモちゃん」
「ミモちゃんではない! ミモファルス姫と呼べ!」
「ギド、やめなさい」
姫は癇癪を起こしているギドを制止した。
「し、しかし姫……」
「そ〜よおじいさん、もうけっこうなお年なんだから。カリカリするのは身体に良くないわよ」
「な、なんじゃと! この下賎な魔族め……」
「やめなさい! ギド! これは命令です!」姫は鋭い声を出してギドを睨みつけた。「グロイザー様の参謀であるこのものに対して下賎なもの呼ばわりすることは私が絶対に許しません。グロイザー様が共闘を申し出ていなかったら、我々はとうの昔にディアーロスの手に落ちているところなのですよ」
「そうよミモちゃんのいう通りよ。私たちのおかげでここまで持ちこたえているんだから、ちょっとは感謝したらどう?」
「だっ、誰がお前らごときに!」
「ギド! もうよい、下がりなさい!」
そう姫に大声を出されると、ギドはしぶしぶながら静かにその場から引き下がった。
「グロイザーがなんじゃい! 魔族がなんじゃい! わしは最後の一人になったとしても姫をお守りするぞ!」
部屋の外の石造りの廊下には彼の大声が響き渡った。「すまないブサバク殿、無礼を許してやってくれ」2人だけになると姫は巨人に向かって詫びた。「あの世代にはまだまだ頭の固いものが多くて私もたまに困ってしまう。決して悪い男ではないのだが……」
「あら、別にいいわよ。あんなふうに人間にバカにされるのは私たちもう慣れちゃってるし」
「あの男だって心の中では、グロイザー様にはもちろんのこと、そなたたちに対して本当に感謝しているのだ。ただ、それを素直に認めたくないだけであって……」
「ちょっとちょっと、だからもういいっていってるでしょ! そんなに堅苦しくしないでよ!」
ブサバクはそういって彼の大きな手を姫の肩に置いた。鎧を通して姫の身体からは生気があまり感じられなかった。姫は人前で決して涙は見せなかったが、いつも心の中で泣いているのかもしれないと、彼は考えた。ミモファルス姫はまだ18歳になったばかりの少女だった。それが今、王家の長としてディアーロスに最後の抵抗を試みている。彼は姫が今に壊れてしまうのではないかという気分がした。
「ところでミモちゃん、ちょっと気分転換に砦を散歩しない?」
「いや…… 私はそろそろ砦の指揮に戻らねばならない。誠に申し訳ないが、そんなことをしている暇は……」
「なにいってるのよ。たまには息を抜かないと死んじゃうわよ」
「なっ、何をする!」
ブサバクは姫の腕をつかんで、無理やり彼女を引っ張って表に連れ出した。
ミモファルス姫とブサバクは城壁沿いに特になんの目的もなくブラブラと歩いた。前方は大河、後方は切り立った崖という、難攻不落と名高いグルゴス砦には最後の決戦の準備が着々と整いつつあった。城壁沿いには櫓が組まれていて、その周囲では男も女も老人も子供も怪物のような姿をした魔族も、すべてのものが力を合わせて汗を流していた。姫が通りかかると、周りのものはみんな笑顔をみせて彼女に向かって手を振った。
「今日は風がここちよい……」
姫はそういって王家の象徴である紋章のついたティアラをはずした。砦には涼しい風が吹きぬけていた。姫の長い美しい髪はその風に舞った。
「たまには気分を変えるためにこんなのもいいでしょ?」
「そうだな……」
「ねえミモちゃん。ついでにそんな堅苦しい言葉使いやめたら? 別に誰も聞いてはいないわよ」
「そうね、確かにこんな言葉使いばっかりだと肩こっちゃうよね」
姫の表情に少し明るさが出始めたので、ブサバクは少しうれしくなった。「あとそれから、ちゃんと休まなきゃダメよ。ミモちゃんが私たちの要なんだから」
「うん、わかっているんだけれど、みんなのことが心配で……」
「心配したって物事がどうなるってわけじゃないんだから。休むことができる時はゆっくり休まなきゃね。あと、グロイザー様のことだったら心配する必要はないわよ」
「えっ!」
姫は驚いた表情をして目を輝かせた。
「別に根拠はないわ…… 単なるカンよ。でも私のカンって当たるのよ。女の、いや、男のカンよ」
「なんだ……」
姫はすぐにがっかりと肩を落とした。
「あらあら、ミモちゃん、私のカンを信用していないの?」
ブサバクは唇をブルブルいわせて笑いながら姫にウインクをした。
「そういうわけじゃないけど……」
「なにがっかりしてんのよ、あのグロイザー様がみすみす犬死するわけないじゃない…… きっと誰も考えつかないようなディアーロスの罠に引っかかったのよ。グロイザー様のことだからきっとそこから抜け出すに違いないわ」
「そうかなあ…… でも、そうだとしたら、ディアーロスはいったい?」
「さあ…… 私にもそこまではよくわからないけど……」
姫の目の前で息絶えた魔族によれば、ディアーロスの軍との決戦が始まった瞬間、グロイザーを中心に取り囲むように巨大な光が輝き、その光に巻きこまれたグロイザーとその軍は跡形も無く消えてしまったという。いかに魔族の軍勢といえども、大将であるグロイザーと大半の兵力を失ってしまっては、ディアーロスに対抗することは難しかった。魔族の軍はディアーロスの軍勢の強力な魔法と機動力に敗れ去り、散り散りになって敗走することになった。生き残ったものたちは今もディアーロスの追手に追われ続けており、その中の一人が決死の思いで砦までその戦況を伝えにやって来たのだった。
「ミモファルス姫様!」
その時皮の軽装備に身を包んだ少女が一人姫に向かってかけこんできた。
「何事だ? ああっ、セトじゃない!」
姫はいつもの厳格な表情に一瞬に戻ったが、少女が子供の頃からの知り合いでるセトだとわかると顔を一気にほころばせた。「キャッ! 姫様、私のことを覚えておいでですか!」セトは屈託のない叫び声をあげた。「そうです、ずっと昔お城で姫様のお世話をさせていただいたシャロウの娘のセトです。私も次の戦闘で出陣することになりました」
「そうか……」姫の声は少し沈んだ。セトは彼女と比べてみて2〜3歳は幼かった。「ところで、シャロンたちは今どうしているの?」
「残念ながら……」セトは悲しげに目を伏せた。「両親はともにお城が攻め込まれた時に命を落としました……」
「あら、ちょっとこれすてきな髪飾りじゃない?」
見かねたブスバクは2人の会話に割りこんで話を切り替えた。セトのショートカットの頭には素朴だがかわいらしいアクセサリーが飾られてあった。
「あっ、これですか?」セトは照れくさそうに笑った。「初陣のお守りに弟たちが魔法を込めて作ってくれたんですよ。姫様のティアラと比べたら全然お粗末ですけど……」
「そんなことないわよ、とってもきれい……」
姫はそういってセトの髪飾りを覗きこんだ。穏やかなそよ風は変わらず砦の中に吹いていた。姫とセトの思い出話は当分終りそうにもなかった。このまま時が止まってくれればいいのに、と話を続けながら姫はふと考えた。もちろん、それは非現実的なただの夢想にすぎないことを彼女はわかっていた。最後の決戦の時は間違いなく刻一刻と迫ってきていた。
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