魔法少女と戯れる日々 01-07
2000-01-19
「鈴木さん!」駅前を鈴木がぼんやりと歩いていると、田中が声をかけてきた。
「おう、田中じゃないか。なっ、なんだその紙袋は?」
田中が持っている紙袋には、魔法使いの格好をした女の子が派手な色使いでペイントされていた。
「ああっ、これですか?」田中は少し照れくさそうに笑った。「いやあ、コミケにいってきたんですよ。友達が出展するっていうもんですから。僕もちょっとだけ協力しましたけど」
「コミケ?」
「要するに、こういうものがいっぱい並ぶところです。これはちょっと恥ずかしいですけれどね。あんまり派手なもんで……」
田中はそういって紙袋を片手でぶらぶらさせた。
「へえ……」
鈴木は軽くうなずいてみせた。しかし、実際のところ田中がなにをいっているのかさっぱりわからなかった。
「ところで鈴木さんコンビニにでもいくんですか?」
「ああ、晩飯に弁当でも買おうかなと思ってな」
「よかったら、僕の部屋に来ませんか? なんならご馳走しますよ。お世話になりましたし」
「俺、何かお前に特別なお世話したっけな?」
「なにいってるんですか、金曜日に居酒屋で僕がからまれているところを助けてくれたじゃないですか」
「ああ、あれね……」
鈴木はいかにも興味なさそうに返答した。
「本当にあの時はどうもありがとうございました」
田中は深々と頭を下げた。
「オイオイ、こんなところでよせよ。それに、いちいち感謝しなくてもけっこうだ」
「それじゃあ僕の気分がおさまりません。何かお返しをしないことには…… だから、部屋に来てくれますよね?」
「別に部屋でつくってもらわなくても、これからどっかのレストランでおごるほうが簡単じゃないか?」
「いえいえ、これでもけっこう料理には自身あるんですよ。それに、今部屋に友達にもらったおいしいワインがあります」
「そうか…… そんなにいうのなら行くよ」
田中が妙に強引なのが少々気になったが、和美がいなくて暇だし、悪い話ではなさそうなので、鈴木は田中の部屋で晩飯をいただくこと決めた。
「じゃあ、部屋で待っていますよ。後で僕の部屋に来てくださいね」
田中は歯を見せながらニコニコと笑った。
鈴木は1時間ほど駅前で時間をつぶし、ちょっとしたジュースとスナックを買って、田中の部屋に訪れた。田中も鈴木や山形と同じように独身寮で生活をしていたが、鈴木が田中の部屋に入るのは今日が始めてだった。
「まだもう少しつくるのに時間がかかりますから、ハーブティーでも飲みながら、テレビでも見ていてください」
田中は明るい声で鈴木を迎えた。シャワーを浴びた後なのだろう、田中は濡れた髪にヘアバンドをしていた。鈴木は座布団に座ると、テーブルの上にあった湯飲みからいい香りのするお茶をカップに注ぎ、何気なく部屋の周囲を見まわした。
田中の部屋は女の子の部屋のように小ぎれいにきちんと整頓されていた。部屋にはクラシックが流され、壁には淡い色彩の油絵が一枚飾られていた。油絵の右下にはローマ時でTANAKAとイニシャルが入っているので、どうやら田中自身が描いたものらしい。実際、田中の机の上には画材道具がいくつか置かれていた。
「さあ、お待たせしました」
数十分後、洋食のいい匂いがたちこめているキッチンから田中は顔を出して、テーブルの上に色とりどりの様々な料理を次々と並べ始めた。
「けっこうあるじゃないか……」
どうやったらこれだけの料理を短時間に、しかもあの独身寮の狭苦しいキッチンで調理できたのか鈴木は不思議に思った。
「要領よくやらないといけないから大変でしたよ。そうそう、ワインを開けないと……」
田中が出してくれたワインは恐ろしいくらいまろやかだった。2人で乾杯した後、鈴木は最初の一杯をすぐに空にしてしまった。
「僕お酒が全然飲めませんから、せっかく上等なワイン何本ももらっても、こういう機会がないことには飲むことがないんですよ」
そういいながら田中は鈴木のグラスにワインを注いだ。
「俺だけ飲んでいるとなんだか悪いような気がするが……」
「いえ、今日は僕も飲みますよ」
鈴木のグラスにワインを注ぎ終えると、田中はグラスを一気にあおった。
「おい! お前全然飲めないんじゃないのか?」
「ええ、飲めません」
そういうと田中は、驚いている鈴木を気にすることもなく、もう一杯ワインを注いで、先程と同様に一瞬にして飲み干した。
「明日は月曜日で仕事だぜ。大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないでしょうね」
田中は悪気なさそうに静かに微笑えんだ。みるみるうちに彼の顔には赤みが増し始めた。
「何かあったのか? 俺の目の前で酔いつぶれるのだけは勘弁してくれよ」
「鈴木さん、僕ってそんなに男らしくないですか?」
田中は鈴木の質問には一切答えず逆に質問を投げかけた。
「誰もお前のことを男らしくないなんていってないぜ」
「どうしたら鈴木さんや山形さんみたいに……」
「なんだ、お前女の子にでも振られたのか? 強引に俺を部屋に誘ったかと思えば、要するに俺か山形に話を聞いてもらいたかったんだな、なあ、そうだろ?」
「そっ、それは……」
「別にごまかす必要はないぜ」
「ええ…… そうです…… どうもすいません。本当に申し訳ありません……」
田中は舌のまわらない口で弱々しい声をあげると、植物が枯れるようにがっくりとうなだれた。
その様子を見て鈴木は、だからお前は男らしくないっていわれるんだぜ、と思わず口に出しそうになったが、それをいうのはやめておいた。部屋の中には居心地の悪い沈黙が長い間流れた。
「で、何があったんだ? 少しは聞いてやろうじゃないか」
一通り料理をたいらげてしまうと、ようやく鈴木は沈黙を破った。田中の話を聞くことはたいして興味はなかったが、ネチネチとひどい仕打ちをしてもしょうがないので、半分ヤケクソながらも鈴木は話を聞いてやることに決めた。
「ええ、実はですね……」
田中は酔いがまわったどんよりとした口調でゆっくりと話し始めた。
彼の話は要するにこういうことだった。田中には高校生の時に知り合った女の子がいて、彼は地方で専門学校に、彼女は東京の大学にそれぞれ進学した。そして、2年程遠距離恋愛をしていたのだが、ようやく田中が東京に勤めることになった今頃になって、彼女に別な男ができて別れることになったそうである。
「よくあるといえばよくある話だな…… でも、彼女がお前よりそっちの男のほうが好きになってしまったというんならしょうがないじゃないか」
「ええ、でも、なんかくやしくて……」
田中は聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやいた。
「くやしかったら、もう一度彼女を振り向かしてみるとかなんとかしろよ」
「たっ、たぶん、それは僕には無理です……」
「だったら、その子のことはさっさとあきらめろ。世間には数えきれないくらい女の子がいるぜ。もっとも、それでも納得できないから、お前はここで俺にウダウダ話をしているというわけだが……」
「彼女のことで僕は男としての自身を完全に失いましたよ…… もちろん、それじゃダメだとわかっているんですが…… なんでいつも自分はいつまでもウジウジしていて男らしくないのかと……」
「男らしさで自分がダメだと思ったら、少し考え方を変えて、今度はお前の絵を気に入ってくれる子を探せばいいじゃないか。別に難しいことじゃないと思うぜ。その絵お前が描いたんだろう?」
「そっ、そうですが……」
鈴木が不意に壁の絵を指差したので田中は少し驚いたような声をあげた。
「そういや、お前今日オマケとかいうところに行っていたらしいな、誰か好みの子でもそこで見つければよかったのに」
「ああ、コミケですか? なにいっているんですか鈴木さん…… そこで彼女と別れ話をしたんだから、そんな気は全く起りませんでしたよ」
「オイオイ、俺に向かってむくれることはないだろうが……」
鈴木は苦笑した。
「すっ、すいません……」
田中が少し感情的になり始めたので、鈴木は心の中でそろそろ景気の悪い話から別の話に切りかえるべきだと思った。
「ところで、この紙袋には何が入っているんだ?」
鈴木はテーブルのそばに置いてある魔法少女がペイントされた紙袋を床に引きずるように無造作にそば寄せた。
「ちょっ、ちょっと鈴木さん、乱暴にあつかわないでください!」
田中は恐ろしく真剣な顔をして鈴木を睨んだ。
「ああ、こりゃスマン」
鈴木は田中のそのあまり剣幕に少し驚いた。田中の顔はもう真っ赤だが、それがワインのせいなのか、それとも怒りで頭に血が上ったせいなのか鈴木にはよくわからなかった。
「友達にたのまれたものもありますから、そうでなくてもそんなふうに扱わないでください」
田中は鈴木に念を押すようにそういうと注意深く中のものを取りだし始めた。紙袋の中にはいろいろなものがはいっていた。薄っぺらい冊子のような同人誌、あやしげなフロッピーディスク、これまたあやしげなCD-ROM、広告各種…… そのほとんどに魔法少女の絵が描かれていた。
「おい田中、なんでこんなに魔法少女ばっかりなんだ」
「魔法少女ミモですか? 有名ですからねえ…… 今でもカルト的な人気があります。特に今回のコミケは一ノ宮かほるの追悼という意味もありましたから……」
「一ノ宮かほる?」
鈴木には田中のいっているとこがさっぱりわからなかった。さっき急に大声を上げたので酔いがさらに回ったのか、田中の口調は先程よりフワフワしていた。
「しかし、この魔法少女が今でもカルトな人気とはな。そういや見たことあるようなないような…… でもこれだいぶ昔のものだろう?」
「ええ、かれこれ十年くらい前になるんですかねえ……」
「十年くらい前のアニメを今でも喜んでいるとは、俺にはなんともいえん世界だな」
「魔法少女ミモはまだ終わっていないんですよ……」
「終わっていないって?」
その瞬間、田中は音をたてて後ろ向きに倒れこんだ。頭が机に当たっていくつかの画材道具が床にこぼれ落ちた。
田中はそのまま静かに寝息を立て始めた。彼はTシャツと半ズボンを身につけているだけだったので、露出した肌がピンク色に染まって見えた。その寝顔は柔和で幼く、まるでボーイッシュな女の子のようであった。
「ヤレヤレだぜ……」
鈴木はそう悪態をつくと、田中の身体をテーブルから引きずり出してそばのベッドに寝かした。田中は一切抵抗しようとはしなかったし、体重が軽いのでこの作業は簡単だった。
「それじゃあな…… ふられた女の夢でも見ていやがれ……」
テーブルの上の食器類を適当にキッチンに片付け終えると、鈴木は熟睡中の田中に一言かけて玄関にむかった。
「……マッテ……」
「ん?」
玄関の扉を開けた瞬間部屋の中から声がしたようなので、鈴木は部屋の中に振り返った。しかし、テーブルのそばの紙袋に印刷された魔法少女のペイントが彼に微笑みかけているだけで、部屋の中は特に何もなかった。田中が寝言でもいったのだろう、と鈴木はさほど注意をはらわず、彼は田中の部屋を後にした。
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